突然電話を代わってと電話を渡されて、
お礼を言うように促された。
相手が嫌な人だとわかっているのにも関わらず
私は「嫌なんだけど」と即答できなかった。
私も今までにちゃんと嫌と伝える
トレーニングをしてきたはずなのに、
それでもあまりに突然すぎると
とっさに反応できなくて、
それがとても悔しかった。
今の電話の話は、
ついさっき見た夢の中でのことだけど、
その中で私が感じた悔しさは本物だった。
行きたくない誘いに対しては
返事を保留することはまず無い私でも、
とっさの出来事にはさすがに対応できないなら、
『突然の出来事には
即答しない』
と決めることにした。
突然何かして欲しいと言ってきた相手の
都合に合わせる必要は無いよね?
人に何か突然対応を迫るのは、
相手を思考停止にさせるための手段だから、
絡めとられちゃいけない。
だからって、いつでも戦闘モードでいて
突然の事態に備えていたら、
メンタルやられちゃうからね。
突然のことに即答しないと決めるだけで、
少し楽になれるとわかった。
何か即答を迫られたら、今日から
「ちょっと待って」を癖にする。
癖にするなら、
たとえ思考停止状態でも
対応できる。
夢で見た電話の例なら
「話(代わるのが嫌だと電話を渡す人に伝えたい)が
あるから、その電話は一度切って」
くらいなら言える。
突然「嫌です」の返答の連発を迫られる環境からは、
すぐに離れた方がいいと今ならわかる。
かつて幼い息子を連れて親族の家に行くたびに、
そういう事態になって大変だった。
嫌なことばかり言われるし、嫌なことばかり起こる。
しかも、その地域?世代?の人たちにとっては
そういう対応が当たり前だそうで、
私が嫌だと思うことに驚かれるし反発される。
だから、私はそこから離れた。
あの頃の私には、
夫が大好きなら
私が「嫌だ」ということを
その環境の人に理解してもらえるよう
伝え続ける努力をした方がいいのかな?
という葛藤があった。
ちなみに、「嫌だ」ということそのものを
我慢しようという発想はなかった。
私は他人に対して期待しない。
でも、結婚したら今までのように
「この人合わない」の思いだけで
人間関係を切れないんだろうな、
大人として我慢しなきゃいけないかなって、
最初は思ってたんだろうね。
嫌だということを理解してもらえるように
伝える努力を続けようと思ったのかもね。
もうやめたけどね。
もうやめていいよ。
だから、今はそんな葛藤は何も無いよ。
子供の頃と何もかわらない、
それどころか大人の自由さでもって
より進化した自分大好きな生活をしている。
誰にも遠慮せず、
それはそれはのびのびと、
自分の意志にだけ従って暮らしている。
夫が大好きなまま
頑張らない自分も大好きなままでいられるよ。