27 歴博館の誤発表、信じた歴史好き | 広瀬氏族研究所発表の広瀬康述とその一族

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40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。

歴博館の誤発表、信じた歴史好き

40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。

 

1. 広瀬兵庫助に関する調査研究分析を重ねて40年以上が経過して、この研究の成果は、私のブログで情報公開しています。

2. 長浜城歴史博物館は、「広瀬兵庫助」に関する展示をするにあたり、2015年10月に広瀬兵庫助に関する報道発表をしましたが、その内容は伝聞を主として記述された文献(豊鑑、東浅井郡志)や歴史学者(S大学のO名誉教授)・当時の同館O館長などの仮説と推定に基づく一部誤発表となっていました。

  広瀬一族に直伝の古文書(寺院の過去帳等)とは大きく乖離していました。広瀬一族の直伝史料は歴史学者等の伝聞や推定仮説を翻すに足る詳細情報を保有しております。
 同館館長(O氏)へは2008年頃から情報提供しているにもかかわらず、広瀬兵庫助の直伝の情報を完全無視の状態で人物像を描いたため誤発表につながったのです。
 第一に、広瀬家代々の直伝の史料を信頼して発表するのが公の組織の役割であります。広瀬兵庫助の正統末裔の直伝の情報を採用すべきでありました。

3. 一部誤発表となった理由は、広瀬兵庫助からの直伝の史料は生かされず、広瀬兵庫助の事績の根幹部分(出身地・拝領の経緯・活躍の経緯など)に誤認があります。
 誤発表により別人の人物像となっています。長浜城歴史博物館に対しまして指摘(2015年12月)していますが、現時点においても訂正されず、誤発表のままです。


4. 長浜城歴史博物館は、「広瀬兵庫助」に関する展示では、秀吉から広瀬兵庫助への文書2通が展示されましたが、広瀬兵庫助が関ヶ原の戦いに敗れ、長男・太郎に宛てた手紙1通を展示していませんでした。
 私のブログでは、広瀬兵庫助・史料の解読に成功して解説付きで情報公開しています。(関ヶ原の戦いの戦記と形見の刀を譲与する経緯を記していますが、広瀬兵庫助の事績を熟知しないと理解できない短い手紙です)

5. 広瀬兵庫助の子孫には、真宗大谷派(東本願寺)所属の寺院を多数・建立開基して寺院住職として代々にわたり寺院に関する過去帳(寺院における事績を時系列順に記録したもの)により、寺院一族の記録を伝承しています。

6. 広瀬兵庫助からの直伝の史料の存在は、広瀬兵庫助の体験の生の記録で本人以外は誰も知ることができない経験の記録です。
 これが子孫の代々にわたり受け継がれているものです。400年にもわたり門外不出だった広瀬家代々の史料情報です。広瀬兵庫助末裔が初めて情報公開しています。

7. 長浜城歴史博物館の誤発表にもかかわらず、正しい情報と信じた歴史好きのブログ愛好家の投稿記事の好材料となり、誤認記事がインターネット上で拡散されており、大変に迷惑しています。残念です。

 

研究者:愛知県春日井市藤山台 

広瀬氏族研究所代表広瀬まさのり

 

 

                   広瀬家伝 ー27ー

 
 
 
 

 

 

 

 

 

                 真敬寺(岐阜県垂井町)