26 岩本屋は康述末裔の惟然の実家 | 広瀬氏族の広瀬康述とその一族

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40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。

岩本屋は康述末裔の惟然の実家

40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。

1. 美濃国広瀬郷(岐阜県揖斐郡揖斐川町)に在住した広瀬一族の初代当主・広瀬加賀守康述の末裔にあたる第14代当主は広瀬康平です。康平の弟・安周(号・安近)は甲斐国(山梨県)の八代郡小石和の地へ移り、広瀬村を形成して活躍した人物です。

2. 康平の弟・安周(号・安近)の末裔で広瀬郷左衛門景房は、武田信玄の家老・山縣昌景に仕えました。信玄の亡き後に徳川家康の家臣となり、江戸幕府になってからは徳川家康の命で彦根藩主・井伊直政に仕えています。

3. 広瀬郷左衛門景房の末裔で広瀬次郎右衛門は、甲斐国(山梨県)から美濃国(岐阜県)関の地へ移住し、造り酒屋の広瀬屋を営んでいます。広瀬屋の広瀬次郎右衛門家は、弟たちにより分家として「三河屋」と「岩本屋」を開業しています。この事実は、岐阜県関市の郷土史家の克明な記録を基にして発掘された新事実です。

4. 造り酒屋の「岩本屋」は、広瀬康述の末裔になる広瀬惟然(いねん)の実家になります。広瀬惟然は、俳人・松尾芭蕉の門人として著名な人物です。

5. 広瀬家史料の真敬寺(岐阜県垂井町)の古文書の一点に、『広瀬兵庫助の末裔、中古は広瀬の酒屋なり。今は、広瀬半兵衛と申す』と記されています。正確には、広瀬兵庫助と先祖を同じくする広瀬郷左衛門景房の末裔で、昔から広瀬の造り酒屋を営んでいる。今の当主は広瀬半兵衛で繁盛しているということです。江戸時代末期の1850年代頃に、当時の真敬寺住職により美濃国(岐阜県)関で造り酒屋を営む「岩本屋」について記された古文書です。

6. 広瀬郷左衛門景房の弟・広瀬将監正直は、甲斐国(山梨県)から筑前国(福岡県)博多へ移住して商人となりました。後に、豊後国 (大分県)日田へ移っています。広瀬正直は、広瀬淡窓・広瀬久兵衛・広瀬旭荘の三兄弟の祖です。 広瀬正直の末裔にも活躍した著名人が多数います。

7. 広瀬加賀守康述の末裔で第16代当主は、広瀬康利で美濃国広瀬郷広瀬城主です。広瀬康利は、広瀬兵庫助の祖父になります。

 

研究者:愛知県春日井市藤山台 

広瀬氏族研究所代表広瀬まさのり

 

 

               広瀬家伝ー26ー

 

 

 

 

 

 

 

 

                   真敬寺(岐阜県垂井町)