風のマーサ、塩買い道を行く① 黄金清水越え | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


今回は中河内の人々が

塩を買いにいったという道、

その名も塩買い道を

歩いてみたいと思います。


中河内は、木之本より北国街道(国道365号線)

をずっと北に進んだ深い谷間にある集落。

滋賀県の最北端に位置していて

さらに北国街道(国道365号線)を

進むこと3km、

栃ノ木峠の先は、もう福井県になります。


その中河内からは、北国街道以外にも

かつて複数の生活道がありました。

例えば、池河内を経て敦賀へと向かう道。

*そのルートは長野尾峠(庄野嶺越え)

を進みますが、以前の投稿で紹介しています。


また今回紹介する

塩買い道も、その一つです。

今回の山歩きのきっかけは

「琵琶湖の北に連なる山、近江東北部の山を歩く」

草川 啓三  ナカニシヤ出版

という著書を読んでからであり

また探索するにあたって参考にしました。


塩買い道のルートとしては

中河内→黄金清水越え→獺河内→ウツロギ峠

→五幡となります。

中河内の人々が炭を担いで歩き

敦賀湾沿いの五幡に出て塩を買って帰ったと

いう道です。

また中河内と獺河内の間の峠近くには

黄金清水という池があるようです。


果たして道は残っているのだろうか。

黄金清水と呼ばれる池を見ることは出来るのか。

なんだかワクワクします。


さて木之本駅から、中河内行きのバスに

乗って終点の中河内にやって来ました(下写真)

中河内からは徒歩で進みます。

かつての北国街道の宿場町になります。

(上写真、中河内の様子)

集落を出て、北国街道(国道365号線)を
北へ進みます。

するとすぐに水道浄水場の施設が見えてきて

その手前を左に入りました(西に進む)


つまり国道から左に分かれて進む。

水道浄水場の施設の前を通る。

とても細い道です(下写真)

この谷は網谷になりますが

林道がずっと奥まで続いています。


すぐに捕獲檻が見えてきた(下写真)

なぜか古道の入り口には高確率で設置されています。

ずっと林道を進んでいきます。



中々、自然溢れる林道です。

横に見える平地の部分は水田跡?だろうか(下写真)
いずれにしても道からは
外れないようにします。


やがて印象的な木々の様子に

ついつい写真を撮りたくなる(下写真)

この先がすぐに林道終点です。


(上写真、林道終点)

このまま直進方向(北の谷)

には獣道?らしきが続いていて

ついつい、そちらに行きたくなりますが

そちらは目的の谷ではありません。


左側の谷に入りたいのですが

道はありません。

はて、どうしたものか?

しばらく思案しますが

その左向こうには石積みが見えるので

そちらへと(念のため)くくり罠に警戒しながら

進みました(下写真)

浅い沢を渡ると

どうやら道らしきが続いていました(下写真)


小径の左側には段々畑跡。

そのさらに左に(峠からの)沢が

流れているようです。

しばらくすると、四角の窪みのような

ものが見られ、その先からは

沢沿いに歩くように

なります(下写真)

その後、道がなくなったので

単に河原を歩きました(下写真)


しばらくすると、右岸に道?らしきが

あったので、そちらへと進むと

炭窯跡が見られました(下写真)

また、ここより少し先

対岸を渡って進むと(下写真)


ここにも立派な炭窯跡がありました(下写真)

炭窯跡は写真では分かりにくいなぁ。

そして、その先

谷が二つに分かれます(下写真)

ここでは左の谷に進みます。

といっても、ここから先

道跡はありません。

自然の猛威によって削りとられたか、

土砂崩れしたのか、はたまた

深い薮に埋もれてしまったのか。


現状では、沢を単純に

進むしかありません。

狭い谷はジメジメしていて

また虫がたくさん飛んでくるので

煩わしいです。

ほどなく人工的な石積みが見えてきました(下写真)

近付いて観察してみると

炭窯跡であることが、わかりました。

このあたりを、かつて道(谷道)が

通っていたと推測されます。

(上写真、炭窯跡を振り返る)

その後も、やはり沢を進みます。

あるいは少し迂回して進んだりも

しました。

いずれにしろ道がない割には

案外とサクサクと進むことが

出来ました。

谷がV字に切れ込んでいる様子を見ると

本来の谷道は削りとられたと想像される場面も

ありました。

そして右岸側に登れそうだったので

登ると炭窯跡がありました(下写真)

その後も道が続いているわけではない。

沢を中心に右岸、左岸と

要領良く歩いていく。

谷を進むにしたがって

水量は少なくなります。

今度は左岸側に炭窯跡があった(下写真)

そのまま左岸を歩いていくと

また谷が二つに分かれます(下写真)

ここでは右の谷へと進みます。

谷は狭く深く切れ込んだように

なっている。

登りが、いっそう急になってきて

一息ついたところに炭窯跡があった(下写真)

ここでも谷筋が二手に分かれるが

どちらへ行くのか、判断に迷いました。

しかし経験上、炭窯跡の上に

登っていくのかなぁと思い

右の谷だと判断しました。


実際には

空想上のつづら折れ道を

なんとなく尾根に描きながら

進むと、右の谷の

より上流部に自然と出ました

(勘ですが、あながち良い線はついていると

思う)


あとは堀状になった谷を登っていく。

古道なのか、自然の地形なのかは

わからない。


印象的な大岩が見えてきました(下写真)

また、地面には鉄の人工物があったので

ルート的には正解のような気がしてきました。

この先、あきらかに古道の匂いがしてくる。

今まで単に切れ込んだ野生の谷地形だったものが

はっきりとした古道へと姿を変えている((下写真)

自然の地形が峠近くでは道として

有効利用されているようです。

その古道を登り詰めると

平地になる。

真正面には炭窯跡がありました(下写真)


ここからは

辺りは開けてきて

高低差はそれほどない。

左側へと緩やかな道を進みます(下写真)

すると、またまた炭窯跡がありました(下写真)

このあたりは湿地帯のような雰囲気があって

水を含みやすいのだろうか。

一部、ぬかるみには注意して歩かないといけない。


まっすぐに進むと、峠?だろうか(下写真) 

(実際には、峠は別の位置にある)

先程から高低差はなく、まったりとした感じで

峠感はない。

その先に獺河内側に降りるルートは

ない。

肝心の黄金清水と呼ばれる池も

まだ見ていない。

そんな疑問から、あたりを

探索することにしました。


結論としては

直近で見た炭窯跡よりも

少し手前で右側に進めばよい。

まあ、普通に進めば直進してしまうので

分かりにくいのですが(汗)


すると炭窯跡が

ここでも見られます(下写真)

今回のルートでは

頻繁に炭窯跡が見られますが

まさに現地調達ってやつですね。

さらに奥へと進むと

池がありました(下写真)

結構大きいです。

山頂部分に池とは

中々に神秘的です。

(上写真、黄金清水の池)

念願の黄金清水の池を

見ることが出来ました。

まあ、お世辞にも黄金清水っていう

感じはないのですが(汗)


さて、このあたりの地形は

実に複雑な構造をしていて

そこを理解するまで時間と体力を

要しました。

結論を言うと、この黄金清水の池の

横を右側から通り抜けて行くのが

今回の峠越えのルートだと思われます。


よく見ると道跡が見られます(下写真)

また炭窯跡もありました。

この先、やや堀状の古道を登っていくと

すぐに峠に到着します(下写真)


黄金清水越えの峠、標高約600m。

先程、峠だと思っていたところより

北側になります。

また、獺河内側への道も続いている

ようで期待が膨らみます。

続く。

(2024年5月上旬)