風のマーサ、石仏峠と魚谷峠を行く① 石仏峠 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


少し以前のことになりますが

今回は石仏峠、魚谷峠について

お話します。

実際の古道歩きのルートとしては

京北井戸町→石仏峠→魚谷峠→雲ヶ畑と

歩きました。

山深い道のりですが、一応は

全ルートが京都市内です。


さっそくバスで

井戸バス停まで向かいました。

そこから徒歩で山越えをします。

京北井戸町(山国井戸)には

かつて京から若狭へと続いた若狭街道(小浜街道、

雲ヶ畑街道)が通っていて、まず初めに

京に向かって、そのルートを進むことに

します。


バス停から東に進むと、すぐに

祖父谷へと向かう道が国道から分岐しています(下写真)

標識には、祖父谷峠通行不能と表示

されていますが、徒歩ならば

進むことが出来るだろう(登山道)(2022年当時)


祖父谷方面へ向かいます。

京都府道61号線になります。

まず雄大な桂川を渡りました(下写真)

一旦、府道から離れて

集落を通る旧道を進みます(下写真)


ほどなくして、府道に合流します。

この府道は祖父谷峠という未開通区間を含んで

います。


しばらく歩いていくと

分岐点があります(下写真)

左が妹路谷。右は府道ルートで

祖父谷です。

ここでは

左の妹路谷を進み、石仏峠を目指します。

ちなみに右の祖父谷峠ルートが

若狭街道(京街道)になります。

いずれに進んでも、雲ヶ畑に至ります。


妹路谷からは未舗装になります。 

なんだか少し荒廃した雰囲気が漂います。


続いては地蔵谷との分岐に至ります(下写真)

ここは右の橋を渡ります(妹路谷)

ちなみに左に進むと池ノ尾峠を経て

京北灰屋町に至ります(廃道、かつて歩いたことが

ありますが、道がなく大変でした)

引き続き、妹路谷を進む。

石がゴロゴロしていたりと

歩きにくくなります。


そして林道終点に至ります。
この先、谷はより一層深くなります。
どうも左上に古道?が続いていそうなので
回り込んで、その道に取り付きました。
林道工事の際に削りとられたものと
思われます。

(上写真、古道から林道を見下ろす)


さて、この古道?作業道?は

谷に沿って続いています。


その道は、細くて所々崩れていたり

していて慎重に歩きました。

また激しい倒木のところを

乗り越えていきました(下写真)

するとペチャンコに潰れた

小屋が見えてきました(下写真)

この先、谷道は不明瞭になります。

石仏峠を目指すときの

最大の迷い地点です。

結論としては、

尾根に登っていくのが正解になります。

谷から登る正確な道は残っていませんが
登ると、いろんな色のテープ(目印?)が
見られます(下写真)

古道は谷から、つづら折れで

尾根に登っていったのだろう。

ほどなく道がはっきりとします(下写真)

深く掘られた立派な道が続いていて

尾根を登っていきます(下写真)



次に、山腹右側を巻いていきます。

右側に先ほどの谷を見下ろしています。


また、かなり遠くからだと思うのですが

鉄砲の音が聞こえてきてドキッとする。


それにしても一筋に巻いていく道を

眺めるのは気持ちが良いです(下写真)

かつて古代出雲族が通ったという?

道、その頃とは道筋は違うと思うのですが

それにしても、ひっそりと峠道は残っていた。

その後、

つづら折れの道を登っていきます。


峠近くまで

やって来て、お地蔵様を通り過ぎてしまったと

思い、引き返します。

炭窯跡?の近くだったか?

2体のお地蔵様がおられた。

石仏峠の石仏といったところだ(下写真)

普通に歩いていると

見逃しそうになります。

さらに進んでいくと

石仏峠に至ります(下写真)


石仏峠。標高約800m。

城丹国境尾根上の峠で

同じく西には祖父谷峠が有名です。

石仏峠は、祖父谷峠に比べると

かなり地味な印象で、また倒木があって

いささか残念な光景になっていました。


旧丹波国の山国井戸側から

旧山城国の雲ヶ畑側へと降りていきます。

こちら側は、すぐそこまで

林道が伸びてきています(下写真)

緩やかに、その林道を下っていきます。

次回は、魚谷峠へと向かいます。

続く。

(2022年12月上旬)