風のマーサ、集福寺越えを行く(近江の峠) | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
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また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


今回は近江の峠、集福寺越えの古道を

探索しました。

集福寺越えは

西浅井町集福寺と余呉町池原とを

繋ぐ峠で、また大きくは

塩津街道と北国街道とを横に繋いでいます。


同じ塩津街道と北国街道を繋ぐ峠としては

権現峠のほうが有名かもしれません。

集福寺越えのほうは

あまり歩いたという記録は

少なく、どうかなあ?と

思いながら、今回歩くことにしました。



さて今回、いろいろと検討した結果

集福寺側から歩くことにしました。


まずJRの近江塩津駅で下車。

ここから集福寺の集落まで

トコトコと歩きました。

そして10分少々歩いてから

北陸本線の高架下を進みました(下写真)


続けて、もう一つ北陸本線の高架下を

くぐります(下写真)

そして集福寺に入っていきます(下写真)

また集福寺会館のあたりには

昭和9年の道標が立っていました(下写真)


右 集福寺 中之郷停車場線

左 国道12号線

細かいところは良くわからない。


余談ですが

昔の北陸本線は今とは違うルートをとっていて

道標に書かれる余呉町中之郷に駅がありました。

右とは集福寺と国鉄駅がある中之郷とを

繋ぐルート、つまり

山越えの集福寺越えだろう。

また、左の国道12号線とは

現在の国道8号線(一部区間)にあたります。

塩津街道に相当するのだろう。


さて下塩津神社に立ち寄りました(下写真)


五輪の塔(下写真)

ルート上に戻り、さらに先へと進んでいくと

獣柵。開けて中へと進みます(開けたら閉める)

林道集福寺線らしい(下写真)

歩いていきます。

ほどなく分岐点では左の橋を渡ります(下写真)

さらに進んで

また橋が見えてきます(下写真)

そこを過ぎて、すぐ右側に

細い山道が分岐しています(下写真)

沢沿いに進んでいくことになります(下写真)

削れて、道がなくなっている所もありますが

何とか歩けました。


丸太の橋が架かっていました。

その後、沢沿いに道はなく、

段々畑跡のような所を歩きます(下写真)

なんとか踏み跡を辿っていくと

また丸太橋(下写真)

この先は、また沢沿いに明確な道が

続いていました(下写真)

このあたりには獣罠が仕掛けられているの

だろうか?道から外れないように慎重に

歩きました。


段々畑跡を左に見ながら

歩きます。

また雪溶けのあとだからだろうか、

全体的にぬかるんでいました😓

また沢を渡ったりもします(下写真)

その先では段々畑跡の立派な石積みが

印象的で、その横の沢を進みました(下写真)


土砂の影響か、道が消失していましたが

ほどなくして、道がまた復活します(下写真)

沢を左に渡り、さらに左のほうへと

歩いていくと、道の続きがあります(下写真)

段々畑と段々畑との間に通る道で

坂道になっています。



今回のルートの中では一番(あるいは唯一)

古道らしさが残る区間でした。

しかし、ほどなくすると

道跡が消えてしまいます。


まあ、谷を詰めていけば良いことは

確かなので、勘を頼りに歩きました。

しばらく半信半疑の状態ですが

谷が狭まってくると右岸に踏み跡が

見られました。

また炭窯跡が続けざまに2箇所見られました(下写真)


さて、この先はまた道がなくなっているようで

沢を歩くことにしました。

幸いにも水量は少なかったので歩くことに

問題はありませんでした。

とはいうものの道を歩かないというのは

心身共に疲労が溜まっていきます。


そうこうしている内に

右岸側にまた炭窯跡が見られました(下写真)

とても立派な炭窯跡です。

ここからは沢ではなく

右岸を歩きますが、倒木が多くて大変です。

現在の集福寺越えは全体的に歩きにくい。

ほどなくすると、また炭窯跡だ(下写真)

この先では、また道がなくなっていて

沢を歩いたりしました。

やがて沢の流れはなくなり

あたりは静寂に包みこまれました。

間もなく右の谷へと入っていきます。

わずかに踏み跡が見られます(下写真)

まあ、谷といっても沢が流れているわけでも

なく緩やかな窪地を登っていく

イメージです(下写真)

この道中にも、2か所

炭窯跡らしきところが見られました。

(上写真、炭窯跡らしきを振り返る)


そして

尾根に乗ります(下写真)

一見すると峠のような雰囲気です。

ここからは、西浅井町方面が

一部見えます(下写真)

ここからは本来なら

山腹を巻くようにして

進んだようです。

しかし斜面が崩落していて古道は消失?

またルート自体もわかりにくいので、今回は

尾根を直登して目的の集福寺越えの峠に

向かいました。

そうして峠に到着。 


その後は

例のこどく、峠から逆を辿っての

確認作業です。


その結果、結論としては

山腹を巻いていく部分は

ほぼ完全に崩落しています。

それでも、かなり細い部分

(靴の横幅二個分くらい)を

綱渡りのように歩き、何とか元の地点へと

到達することが出来ました。

(上写真、山腹を巻く古道を歩く)

(上写真、古道は崩落していた)


さて改めて、同じ道(一応、古道の名残り?)

を慎重に辿り峠に

戻りました。

(注)あまりオススメ出来ません




広い谷地形の窪地で出たら

あとは緩やかに峠まで登っていくだけです。 

標高450mくらい。

(上写真、集福寺越えの峠)

また峠には、石段?と地蔵様?

よくよく見たら

普通の石?

いずれにせよ

峠地蔵さんのイメージだろうか(下写真)

さて峠から余呉町側を覗くと

舗装された林道が通っているのが見えました。

あらかじめ予想出来てましたが

ガッカリな気分になります。


余呉町へは、かつては

谷を下っていったと思いますが

道路開発の際の影響だろうか、

そんな痕跡はありません。

無理に進んでも危なそうなので、

ここは大人しく林道を歩いていくことにしました。


なんとか、余呉町側の眺望が見え隠れします(下写真)

林道は、かなり大回りに進みますが

やがて、かつての谷道?との分岐点まで

降りてきました。

(上写真、昔はここから峠へと登ったのだろう)


ここから、さらに林道を下っていきます(下写真)

ほどなく獣柵が見えてきて

この先が池原集落になります。


あとは、ひたすら余呉駅まで

歩き続けました。

途中、国鉄の中之郷駅跡の前を通ったことを

最後に付け加えておきます。

(2024年2月中旬)