風のマーサ、西熊野街道を行く1 大日川〜長坂〜鳩の首峠 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


前回の東熊野街道に続いて

今回は西熊野街道について

書いていきます。


「西熊野街道」は、五條市街地から

西吉野町、大塔町を経て

十津川村に至る、奈良県を南北に繋ぐ

かつての主要路の一つです。 

十津川街道とも呼ばれています。


また十津川村の平谷からは

熊野古道の一つ、小辺路に入り

果無山脈を越えて

熊野地方へと入っていきます。


西熊野街道は、現在の国道168号線以前に

使われた道ですが、やはり利用されないと

廃道と化してしまいます。

それでも整備されたり、また歩けると

いう情報を得て、分割してでは有りますが

幾らかを歩きました。


西熊野街道ルートの内、今回は

大日川(西吉野町)〜永谷(西吉野村)〜天辻峠

〜坂本(大塔町)〜小代(大塔町)の区間を

紹介していきたいと思います。

(なお、2回に分けて歩いています)


1回目、大日川〜永谷〜天辻峠〜道の駅大塔

〜五條市街地に戻り散策

2回目、道の駅大塔〜坂本〜小代


朝、タクシーで

大日川までやってきました。

五條市街地からは10kmほど

丹生川沿いに南へと進んだところです。

(上写真、国道168号線から山腹に連なる

大日川集落を見る)


大日川集落前から、

わざわざ国道168号線を少し戻ったのは

この光景を見るためにでした(下写真)

山の斜面を利用して集落が形成されるのは

平野部が少ないからだろうか、十津川村などでは

よくある光景です。

大日川バス停に戻ってきました(下写真)

バスを使っても良かったのですが、

それでは山歩きの時間が短くなる。

峠歩きは大抵が交通の便が悪い場合が

多いので事前計画がとても大切です。

バス停近くにある

丹生神社に立ち寄りました(下写真)


続いて大日川集落のある山腹を

登っていきます(下写真)



細かくジグザグに坂道を登っていきました。

舗装はされてはいますが、登山をしている

みたいでした。

そうして、かなり見晴らしが

良くなってきて丹生川流域の様子が

はっきりと見えます(下写真)

(上写真、丹生川沿いに国道168号線が通る)


国道168号線は丹生川沿いに

進むのに対して、西熊野街道は

大日川で山越えの最短ルートをとりました。


というわけで、大日川集落内を

登ってきているのです。

道を登りきると

遍路道の立札が立っていました(下写真)

高野山への道だろうか?

今回は、遍路道ではなくて

左隣りの舗装道路を下っていきます(下写真)

そうしますと、東谷と言う谷に降りてきます。

東谷には舗装路が通っていました。

ここから一旦下流に歩いていくと

西熊野街道の分岐点が見出せます(下写真)

この登り坂が長坂という古道で

鳩の首峠まで続いています。

さて、皆さんは

ここで違和感を感じなかっただろうか。

本来なら谷に降りてきて、峠まで登ろうと思えば

上流に進むべきだろう。


昔の道筋は、他にあったのかも

しれない。

そこで、この分岐点よりも

さらに下流に

歩きました。

ほどなくすると対岸へと渡る橋があって

その先には祠がありました(下写真)

何となく大日川集落の出入口のような感じがします。

ここから山道が続いているようなので

行ける所まで歩きました。

最終的には大日川集落へと入っていくのだろうと

思う。

中々興味深く歩きましたが

途中、網がされていて進むことは断念(下写真)

この先にも道が続いているみたいで

大日川集落の下のほうへと繋がるのだろうか?

ここを起点にして、先程の長坂の古道分岐まで

戻ることにします。

道は中々の荒れ具合です(下写真)

また道路脇には物を運ぶためのレールが

あって、それは下のほうまで降りていました(下写真)

他にも道路脇には電柱が見られます(下写真)

道そのものは荷馬車が通るような

広さがあります。



近くには、くくり罠が仕掛けてあるのか?

道からは外れないようにします😱


そして岩をくり抜いて作られた堀割まで

登ってきました(下写真)

ここを通ってからは

大きくつづら折れるように坂道を

下り、先ほどの祠まで戻ってきます。

(上写真、堀割を反対から振り返る)

下り道には、ゴミがたくさん落ちていた(汗)

このまま東谷まで道が続いています。

祠まで戻ってきました。

橋を渡りました(下写真)

下が見えて怖いです。

堀割にしても、道の雰囲気からしても

明治時代の道の雰囲気がありました。

かつては、

このルートから東谷に降りてきたのだろう。

そうして、上流に向かって進み先程の

左に分かれる長坂の古道に進みました(下写真)

入り口には捕獲檻が仕掛けられていました(下写真)

古道入り口には、もはやお馴染みの

パターンではあります。

古道「長坂」のルートは

国土地理院地図にも破線で描かれていて

山腹をずっと巻きながら進むルートです。

数分くらい登っていくと

かなり谷からは離れていきます。

遥か下には沢沿いに進む

林道東谷線が見えていました(下写真)

さらに歩きます。

ここまでで10分程度ですが

道が二手に分岐していました(下写真)

そのまま右の巻道を進むのが西熊野街道の長坂。

ここでは一旦、左に登ってみました。

すると石垣などが見られ、規模も

そこそこ大きい(下写真)

ここにも集落があった?もしくは

何らかの建物跡?茶屋?

さて再び長坂の古道を進みました。

岩を削ぎ落として整備されたような道、

また基礎部分が石積みで補強されているような所

なども見られました。

この日は晴れていたのですが

常に薄暗い状態です。

さて長坂も本谷から離れ

支谷に入るようになると

道がさらに荒れてきます。

防砂ダムの地点も過ぎていきます(下写真)

結構、倒木が多いです。

側面には岩が張り出していて迫力があります(下写真)

そして沢の両岸に石積みのあるところがあって

そこに、かつては橋が架かっていただろうと

思われます(下写真)

今は橋はないので

渡れそうな所から渡ります。

(上写真、渡ってから振り返る)


その後は切り返すようにして

山腹を巻き上がっていきます。

ほどなくすると

また道は広くなって

石積みが見られたり、

堀状の道が見られたりしました。

このあたりが長坂の中では(眺望はないですが)

古道歩き的には

一番の見どころかもしれない。



やがて、また

谷間を巻いていきます。

このあたりは特に石積みの補強が

なされていました(下写真)


下写真は谷を横断してから後ろを

振り返った様子。

かつては橋が架かっていたのだろう。

ここまで歩いてきて、長坂も明治時代に

普請された道のように感じられます。

ここを過ぎると道の雰囲気が

ガラッと変わります。

道幅がさらに拡張されていて

平たい。

さらには地面は固く、

最近の作業道の雰囲気です(下写真)


おおよそ、長坂の残り半分が

このような作業道です。

かつての古道の面影は
全く感じられない。
道は明るくなるのだが、気分は
それと反比例して暗い。

登り坂が続きますが

気持ちが沈めば身体も疲れる。

まあ、歩くペースが早くなったのも

原因かもしれませんが。

さて、ようやく登りきった先が見えてきました。

鳩の首峠だろうか?(下写真)

そうではなかった(汗)

もう少し進み、やや下り基調で

歩いていくと、今度こそ

鳩の首峠へとやって来ました(下写真)

峠は舗装道路になっていました。

峠近くからの眺め(下写真)

実際には、写真ほどの見晴らしには

感じられなかったのですが。

昔の道を歩くというのは

いろんな意味で難しく、それゆえに

貴重なものなのかもしれない。

次回は鳩の首峠から天辻峠へと

進みたいと思います。

続く。

(2023年12月下旬)