風のマーサ、蝿帽子峠を行く① | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


昔の峠道を使って

岐阜県側〜福井県側を歩きたい!!

と思っております。

しかし、それには

大きな問題が立ちはだかります。

例えば

・県境周辺を含む広い区間で

電車、バスが通っていない

・峠道がすでに廃道化している

ケースが多そう

などなど


このように

中々ハードルが高いですが

いろいろと吟味した結果、今回は

岐阜県側から蝿帽子峠(はえぼうしとうげ)を越えて

福井県側に歩く予定です。

その蝿帽子峠は

美濃と越前を繋ぐかつての街道ルートの一つで

具体的には根尾村大河原〜西谷村下秋生とを

繋いでいました。

(現在、いずれも廃村)

また幕末には水戸天狗党が辿った道として

知られています。

下に昔の地名表記を使っていますが

概念図を載せておきます。

(上が北、越前大野に至る。下が南、樽見を経て

大垣に至る) 


このルートは

長い区間が深い山々で覆われています。

岐阜県側の根尾能郷を過ぎると

越前大野に至るまで、事実上

民家がありません。

その距離、およそ60Km。 

*峠道(古道)を無事に歩くことが出来るのか?

*どうやって家に帰るのか?


今回は

前日に大垣駅より

樽見鉄道に乗り込み

終点の樽見駅までやって来ました(下写真)

(大垣駅より樽見鉄道に乗る)

(樽見駅に到着)

最終電車で樽見駅に着きましたが

駅前は辺り一面、真っ暗でした。

ここでは落ち着いて

コンパスで方向を確認してから

旅館に向かいました。


さて早朝になって

根尾樽見地区(岐阜県本巣市)

の周辺を散策しました(午前4時半くらい)

樽見は根尾東谷川と根尾西谷川の合流する地点に

あって根尾市場、板所と隣接しています。

近くには駅や役場があったりと

(この辺りが)根尾の中心地域だと思われます。


午前5時、予約しておいた

タクシーに乗り込んで

根尾西谷川沿いに国道157号線を

進みました。

谷奥へと

いくつかの集落を過ぎていきますが

やはり実際に歩いていないと

地理感覚としてはイメージしにくいです。

そして根尾能郷から先は

いよいよ民家がなくなって

電波も届かなくなります。

ちなみに能郷からは別の道が分かれていて

能郷白山への登山口に至るようです。


そのまま国道157号線を進みます。

この先からは頻繁に通行止めに

なるような区間で

特に能郷〜黒津の間は

断崖絶壁の中を縫うように進む難所中の

難所のようです。

「落ちたら死ぬ」の看板で有名な国道157号線。

まさに落ちたら奈落の底、助かりません。

また細い道で車同士が

すれ違うことも出来ません。

私自身は座席に、

ただ座っているだけなのですが(汗)

(参考)能郷〜黒津間の、この

険しい道は倉見(くらみ)峠と言うらしい

(正確には、そのルートのピーク地点か?)

地形的に見て、もっと昔は能郷から背後の山を

登って茶屋峠ルートの山越えで黒津に

至ったように思われますが〜


そして出発から30分。

黒津集落の手前でタクシーを

降りました。

ここから歩き旅が始まります!

まず道が二手に分岐していますが(下写真)

直進(国道157号)すると温見峠を経て

越前大野に至ります。

また右の分岐路に入ると越波集落に至るようです。

ここにあげた、黒津集落も越波集落も

廃村で、少なくとも定住者はいないようです。

また道路脇には道標地蔵が

ありました(下写真)

左 越前道、右???

右が解読出来ないですが

この道標が、上写真二股の所にかつて

あったとすれば右は越波道?


ともかく左へ、

つまり国道157号を

歩きました。

念願の岐阜〜福井を歩ききることが

出来るのだろうか。

まずは黒津集落を通ります(下写真)

廃村ではあるものの、建物は

しっかりと残っています。

それがかえって不思議な感覚で、また

あたりはひっそりとしていました。


黒津を出て、続いては

大河原(廃村)に向かいます。

能郷〜黒津間に比べると

多少、道は広いようです。

また、早朝にもかかわらず

時折、結構な頻度で車が走っていました。



途中、2箇所で祠があって

地蔵様が祀られていました。

(一方は石碑だったか?)

それぞれ文政6年(1823年)、弘化3年(1846年)と

なっていました。

江戸時代後期ですね。

水戸天狗党が美濃〜越前へと進んだ時代より

古いです。

また蝿帽子峠方面が見えてきます(下写真)

そして大河原集落にやって来ました(下写真)

黒津からは、かなり距離があって

1時間半かかりました。


こちらも黒津と同じく廃村ですが

建物はしっかりと残っています。

また辺りはひっそりとしていました。


昔の地図を見ると

大河原から先で道が二手に分かれています。

一つは、そのまま根尾西谷川を詰めて

温見峠、もう一つはコワタビ谷右岸の尾根を

進む蝿帽子峠。

前者は国道157号線ルートに該当します。

(ただし、道筋は大きく異なっていて

峠も車道となって昔の面影はないと思われます)

後者の蝿帽子峠は歩くしか手段がないのですが

果たして通過することが出来るのか?


大河原から少し歩くと

右に林道猫峠線が伸びています。

それを辿れば越波に至るようですが

昔の猫峠は、大河原集落よりも手前から

別ルートで進んでいったようです。

国道157号線を歩いていますが

辺りは緑いっぱいで密林化しています(下写真)

そして、ほどなくして

右に蝿帽子峠への入り口標識が

ありました(下写真)

ここから国道を離れていきます。

草藪に覆われていますが

林道のようになっていて

その道筋を辿ります(下写真)

ほどなく

薮に覆われて道跡が

わからなくなります。

がしかし、右側に石が並んでいて

そちらに向かうと根尾西谷川が流れています(下写真)

根尾西谷川を渡るのですが

今回、蝿帽子峠を越えるにあたって

懸念材料の一つが川の水量でした。

今回、雨の影響でいつもよりも

水量が多いようです(いつもの基準が

わかりませんが)

実際に、この目で見てみないと何とも

言えない所だったのですが…

いざ本来の渡河ルート?(実際にどこが本来なのかは

わかりかねますが)を確認してみると

流れが早く、水も深そうです。

これは、残念ながら

引き返すしかないか。

念のために藪漕ぎして

上流の様子も執拗に確かめます。

すると川の流れは早いものの

複数の大きな石があって

それらを掴みながら(途中までですが)

進めそうな所がありました。

さてと服を脱いで川を渡りますが、このルートは

水深は多少は浅いようで

(それでも膝上はありますが😱)

何とか川を渡りきりました(下写真)

川の水はとてつもなく冷たかった。

(上写真、渡ってから川を振り返る)

やれやれと胸を撫で下ろす。

メモ書きでは、膝下区間では

一休みしたとあるから、水深が膝を越えるか

越えないかは大きな違いのようです。


教訓と反省から思うのですが(汗)

ここを渡るとしたら

出来るだけ水量の少ない日を

選ぶのが良いです(汗)

(今回みたいな日はダメですね)

また水量の少ない日でも

実際にどのような状況なのか、自分自身の目で

確認しているわけではないので

何とも言えませんが😓


次に山側に入ると

広い道跡?が川と並行に見られました。

それを下流方向に

辿ると石仏が見られました(下写真)

その右隣りがコワタビ谷になります。


文化5年?(1808年)と台座には

刻まれていました。

さて、石仏より下側

先ほど通った広い道跡?が

ありますが(下写真)

そちらには進みません。

結論としては、コワタビ谷側から

石仏の上あたりを登って進むと

道跡も見られるようになります(下写真)

そして、そのまま根尾西谷川沿いに(上流方向)

高巻いていきますが、すこし危なかしい

道です(下写真)

蝿帽子峠への案内標識があったので

ルートに間違いはないでしょう(下写真)

また川との高度差も少なくなってきて

少し開けた?所に出ると

如意輪観音の標識があって

側には石仏が置かれていました

(下写真)

ここからは、川沿いにも

獣道らしき跡はあるのですが

そちらには進みません。

上記、如意輪観音の標識の

すぐ側から良く見るとしっかりとした

道が伸びていて、それを辿り

尾根に取り付いていきます(下写真)


倒木と薮で覆われていますが

馬車でも通れるような幅の道が

しっかりと続いています。

また一部路肩には石積みが見られました(下写真)

そして、つづら折れでターンして

標高を上げていきます(下写真)

最初の石仏、続いて如意輪観音、

いずれも道のターニングポイントに

なっていて、そこに気付かないと

迷走してしまうだろう(汗)

続く

(今年の6月)