風のマーサ、鉄嶺峠を行く(後) 西横山側 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


旧坂内村坂本(揖斐郡揖斐川町坂内坂本)と

旧藤橋村西横山(揖斐郡揖斐川町西横山)を

繋いでいた鉄嶺峠(くろがねとうげ)

前回は坂本側から登って

鉄嶺峠に至りました。

下写真は北側尾根からの峠の様子。

峠には、お地蔵様が祀られていて

名古屋の人が建てたから名古屋の方を向いている

らしいです。

この写真で見て右側が坂本側、左側が西横山側です。

今回は西横山側を紹介します。

事前に調べたかぎりでは

完全な廃道になっており進めないようですが

その様子を実際に確認してみます。

まず鉄嶺峠付近の略図を載せておきます(下写真)

(上が北、赤が古道ルート、緑が国道303号)


さっそく峠から西横山側をのぞいてみます(下写真)

ここから降りていくのですが

道が崩れているため、ルートは不明瞭です。

初っ端から、この有様ですが

昔の地図を参考に左寄りのほうに

道を見つければ良いのかとイメージします。


まず西横山側から峠に登ってきた場合には
下写真のように峠が見えます。

(上写真、鉄嶺峠の様子)

さて、はじめは

ジグザグに道が付いていたような

雰囲気があったので、そのように降りました。

峠の方を見上げると下写真のようなイメージです。

すると、次に山腹を巻くように道が

続いていました(下写真)

はっきりとした道跡です。

ほどなく右にターンして降りていきます(下写真)

この感じ、古道で間違いないだろう。

がしかし!

この先で道が崩れています。

おそらく、このあたり

急斜面をジグザグに降りていくような

道があったのだろうと想像しています。

仕方がないので、手で木を掴んだりしながら

慎重に下に降りていきます。

何となくジグザグを想像しながらも

降りていきますが、その途中で

西横山、東横山集落あたりが見えました(下写真)

最終的には、そこまで

降りていきたいのですが。


さらに降りていくと

炭窯跡がありました(下写真)

写真では、どのように撮っても

分かりづらいですが、石積みが

なされています。

勘で降りていきましたが

ルート的には間違ってないようです。

炭窯跡から、すぐ右側には

谷があります。

(上写真、炭窯跡周辺の様子)

そして、ここから古道探索が

少々長引きました。

それこそ、いろんな範囲で

いろんな可能性を

調べながら歩きました。

一応、時間的にはかなり余裕を

持たせていますが。


まずルート的には、谷を降りていけば

良いのでしょうが、谷そのものには

滝が流れていたり、

段差が激しい所が多々あったりと

歩くには無理があります。

古道としては、そこを避けるように

作られていたと考えるのが自然です。


結論としては

炭窯跡から(谷に降りたり、あるいは跨いで

対岸に行くことなく)

素直にまっすぐ進みました。

つまり、左岸側を進むことになります。

するとすぐに、

ちょっとした小谷(窪み)を跨ぎます(下写真)

ここは、慎重に進む必要があります。

そのまま、山腹を巻くようにして

下っていきます。

少し降りていくと

獣道だか何だか良くわからないのですが

細い道が続いていました。

ほどなくして、道を見失いますが

確か(記憶が曖昧ですが)

一度つづら折れるようにして降りると

細い道が一直線に続いていたように

思います(下写真)

写真で見るよりも、遥かに急坂です。

坂を下っていくと

間もなく炭窯跡が下に見えるように

なります。

そして炭窯跡に至りました(下写真)

また近くには

石積みが見られました。

とりあえず、ここまでやって来ましたが

実際の古道のルートは定かではありません。

ですが大きくは外れていないように

思います。


さて天気予報では可能性が

あったのですが、雨が

降り出しています。

幸い、小雨、また森林の中にいるためか

ほとんど雨を感じることは

ありませんでした。


ここから先も、

谷には降りることをせずに

獣道?を辿りながら山腹を

巻いていきます。

が、そのまま進むと

すこし違うところに行ってしまうので

途中で、切り返して降りる。

降りたら、また巻道を進み

再び切り返して降りる。

一応、獣道がいろんな所にあったようで

とにかく、ある程度の下流域に

なったあたりで

ようやく谷に降りてきました(下写真)

後ろを振り返ると

確かに、この谷を直接登るのは

厳しい。

左岸にも右岸にも道は

付いていなかったと思います。


やはり道は谷から離れた所を通っていたのだと

思われます。

さて、ここからは

左岸の谷道を歩いていきます(下写真)

中々、急峻な谷です。

しばらく歩いていると

炭窯跡がありました(下写真)

さらに進んでいくと

左岸に歩くスペースがなくなるので

右岸に歩きます。

少し川からは高い所を歩いています(下写真)

そのまま、自然と

右側の尾根を歩くようになります(下写真)

つまり隣りの谷との中間尾根を降りていく形に

なりました。


そして谷出合に降りてきて

再び谷道を進みます。

ここからは左岸、右岸、

とにかく歩きやすい所を

歩きました。


やがて沢沿いに

進むことが難しくなり(滝になる)

ここでは左側に離れて進むと

高巻くような道が伸びています(下写真)

そこを越えたら

後はしっかりとした道が

左岸についています。

ようやくにして道らしい道(下写真)


そして、ほどなくして

舗装道路が見えてきて

そこに降りることになります(下写真)

やれやれ、なんとか

西横山に降りることが

出来ました😓

ただし古道の大部分は消失していて

かろうじて炭窯跡だけを繋ぐルート、

当然のように荒れていて

安全面からも決してオススメは

出来ません。


とはいうものの

個人的には、中々に

骨があって充足感でいっぱいです😊


さて舗装道路から

降りてきたあたりを眺めてみました(下写真)

やや沢から離れたところに道がついていて

見た感じだと、分かりにくいです。

ここからは

舗装道路(林道)を歩きます(下写真)

実際の古道ルートとしては

この先も沢沿いを進んだようですが

雰囲気的に辞めておきます。

舗装道路は

沢から離れていくように進んでいます。

道路を歩くと、雨をキツく感じますが

ほどなく止みました。

そして、途中

八幡神社に立ち寄りました(下写真)

続いては西横山の集落に

入りました(下写真)

次に西横山から東横山へと向かいます(下写真)

写真では、向こう側に見えるのが

東横山です。

そうして橋で揖斐川を渡ります(下写真)

橋の名前は元藤橋。

ところで、すぐ側には

藤の吊り橋の説明看板が

立っていました(下写真)

どうやら昔は、ここを渡るのに

藤の吊り橋がかかっていたようで

藤橋村の名前の由来になっているようです。

現在の橋からの

揖斐川の様子(下写真)

そして東横山に到着しました(下写真)


また鉄嶺峠方面を

眺めることが出来ました(下写真)

あとは

予約しておいたバスを

待つだけです😊

(今年の5月下旬)