2016年の3月に志田友美と新井ひとみのコラボレーションが行われ、オリジナル曲が制作された。その曲はのちに「あんなに好きだったサマー」と名づけられる。

 

 はじまりがすでに「夏の終わり」を意図してつくられた曲だったのは、その後の展開と無関係ではない。

 

 5月になると、『志田サマー新井サマー』という夏限定ユニットとして活動をはじめる。初ライブが「TOKYO IDOL PROJECT 」のイベントであったことは象徴的だ。

 

 彼女たちは7月のCD発売にむけて、ネットやミニライブで精力的にリリースイベントをこなす。

 

 そして、8月のTIF2016(東京アイドルフェスティバル)に出演することも、あっさりと決まった。

 

「──アイドルということで受け皿が広がる。ダンス&ボーカルというと出ていくところがなくなってしまう…」ある音楽プロデューサーのことばである。それは東京女子流の「宣言」以降の動きを見て、再確認されたと言っていい。

 

 『東京女子流』の再建を考えるとき、多くの観客の前でパフォーマンスできる、大型アイドルフェスへの復帰は重要な課題だった。

 

 しかし、さまざまな理由があったとはいえ、物議をかもし、みずからの選択で活動の幅をせばめてしまったという経緯がある。観客がどのような反応をするのか、正直、わからない。

 

 そこで、新井ひとみを『東京女子流』から切りはなし、『新井サマー』という先遣隊として、TIF2016(東京アイドルフェスティバル)に送り込み、まずは状況確認を、と考えたのだろう。

 

 8月に東京お台場で開催されたTIF2016で、『志田サマー新井サマー』は5日、6日の両日、パフォーマンスを披露する。新井ひとみはステージ上で「ただいま!」と挨拶をした。(※1)

 

 彼女たちは歓喜をもって迎えられた。

 

 志田友美は夢アドの歌姫といわれ、ファッションモデルもこなすグループのエースである。

 

 新井ひとみは歌唱、ダンスともに優れ、そのパフォーマンス力に疑問を持つものはいない。

 

 そして、ふたりは共に、こぼれ落ちるほどのアイドル性をもっている。

 

 このとき新井ひとみは高校3年生だった。

 

 夏休みを目いっぱいに使って活動できたことは、ステージをつくりあげる側にとっても、見る側にとっても、幸いだった。もし東京女子流の活動だけだったら、この夏、彼女はどのくらいのステージに立てただろう。

 

 そして、TIF2016で「新井サマー」の活躍を見た人々の間では、「来年は女子流だな…」とつぶやかれることになる。おおむね好意的に語られていたとは思う。

 

 しかし、好意的な人々にとっても、「どの面をさげて戻ってくるのか」という問題があることは承知されていた。

 

 彼女たちが傷つかないよう、うまく着地してほしい、それが多くの人の願いだった。

 

 9月には「@JAM×ナタリー EXPO 2016」に志田サマー新井サマーとして出演。そして東京女子流も出演している。

 

 @JAM EXPOはアイドルを中心とした大型イベントで、前章で佐竹氏と対談をしていた橋元恵一氏が総合プロデューサーをつとめている。

 

 この年のイベントでは音楽情報サイトの「ナタリー」と共催することで、『神聖かまってちゃん』や『THEイナズマ戦隊』などのロックバンドも出演していた。

 

 タイトルに「アイドル」の文字がないこともあり、東京女子流としても出演しやすかっただろう。(※2)

 

 TIF(東京アイドルフェスティバル)と@JAM EXPOでは集客規模や、野外アリと屋内のみ、というイベントスペースの違いこそあれ、観客層に大きな違いはない。

 

 @JAM EXPOでは東京女子流も好意的に迎えられた。しかし、いくらかの「言い訳」を感じないわけでもない。

 

 この、アイドルファンとの間にある奇妙なシコリをとりのぞくためには、TIFへの出演がもっとも象徴的な意味をもってくる。「東京《アイドル》フェスティバル」である。言い訳はきかない。

 

 そして、@JAM EXPOでのセットリスト(演奏曲)を見てみると、「アーティスト宣言」によって封印されたカワイイ曲はやっていない。(※3)

 

 「カワイイ曲」のあつかいをどうするのか?

 

 「どのつらさげて問題」も浮上してくるだろう。

 

 ここからまた少しづつ、チーム東京女子流は、からまった糸を解きほぐしていくことになる。

 

 

 ──「アイドルとアーティストのはざまで【9】 深海 」につづく

 

 

 

(※1)【TIF2016】志田サマー新井サマー、「最初で最後の夏」をめいっぱい盛り上げる - Ameba News 

 

(※2「@JAM」ナタリーステージでイナ戦、NAH、超特急、女子流が強力ライブ - 音楽ナタリー

 

(※3)セットリスト

東京女子流  @JAM×ナタリーEXPO 2016 (2016.09.24) 

東京女子流  @JAM×ナタリーEXPO 2016 (2016.09.25) 

 

 

 

 

 2016年の3月、『夢みるアドレッセンス』主催のツーマンライブに『東京女子流』が出演する。そこで、志田友美と新井ひとみがコラボレーションしオリジナル曲を披露した。(※1)

 

 このコラボが、のちに意外な展開をする。

 

 5月になると、『志田サマー新井サマー』という名義で、ふたりが夏限定のユニットを組み活動することが発表された。

 

 公式ツイッターは5月10日から稼働をはじめ、「灼熱サマー ~SUMMER KING × SUMMER QUEEN~」の7月6日リリースを告げている。(※2)

 

 ちなみにこの曲は、3月のツーマンライブで歌われたものではない。ライブでのオリジナル曲は「あんなに好きだったサマー」として、8月10日に第二弾シングルCDとしてリリースされる。

 

 3月にはすでに夏の終わりの曲が準備されていた。

 

 そして5月29日には、新井ひとみの地元である仙台で、初ライブを行う。

 

 『ミュージックパーク×TIP in SENDAI』というイベントで、TIPとは「TOKYO IDOL PROJECT」つまり「東京アイドルフェスティバル」の主催団体である。

 

 感のいい人は、ふたりのユニットが発表された時点で、気づいていたと思う。

 

 この『志田サマー新井サマー』はチーム東京女子流が、「東京アイドルフェスティバル」へ復帰するための観測気球であり、地ならしの役目も担っていたのだ。

 

 東京女子流プロジェクトディレクターの佐竹氏は、「志田サマー新井サマー」の誕生の経緯について、こう話している。

 

 ──以前(メンバーの活動休止のころ)、『夢みるアドレッセンス』のプロデューサー氏から、なにかお互い楽しめることを一緒にやりませんか、とお話をいただいた。それから少し時間があいてから、企画が立ち上がった。期間限定の「夏、楽しんじゃおうぜ」企画になった。(※3)

 

 上記の@JAM総合プロデューサー橋元恵一氏と佐竹氏との会話では、「アーティスト宣言」後の困難や、そこに込められた思いなども語られている。

 

 橋元氏も音楽の製作者として、大量のCD盤が「おまけ」のように扱われ、ときとして廃棄されてしまうのを見ると胸が痛むと口にしている。

 

 佐竹氏は、「宣言」のあとCDの売上が落ちたと率直に認める。

 

「──ふつうにやるとCDは売れませんからね。(…)逆に、その正しい数字を見て、見えたことで、女子流はまだ音楽をやったほうがいいかなと……」(※4)

 

 残ってくれたファンの方たちとまた一緒に女子流の音楽をつくっていきたい、そう考えていたようだ。しかし、佐竹氏は、「宣言」のあとプロジェクトの中心から外れていった。社内の都合だったという。それもあって女子流の活動は停滞した。

 

 「宣言」から一年半がたち、佐竹氏は、ふたたび東京女子流のプロジェクトにもどり、楽曲の制作をはじめていると話す。『志田サマー新井サマー』の立ち上げも佐竹氏によるものだろう。

 

 志田友美の所属する『夢みるアドレッセンス』のレーベルはソニー・ミュージックだ。志田友美のマネジメントは別事務所だが、彼女を借り受けてエイベックスからCDを出すには、それなりの交渉や根まわしが必要となる。

 

 もちろん、夢アドのプロデューサー氏の「楽しいことをしよう」という提案と協力があってのことだ。

 

 ここで、ものづくりの主体性について考えたくなる。

 

 アイドルグループの主役はステージに立つメンバーだ。しかし、その楽曲をつくり、ダンスパフォーマンスを構成し、出演イベントやライブを企画して、半年先、一年後の目標を見すえてスケジュールを組み立てていく必要がある。それは「運営」とよばれるスタッフの仕事だ。

 

 メンバーの意志が、運営チームにどれだけ反映されるかはグループによって違うだろう。東京女子流のデビュー時、メンバーはまだ小中学生だった。そのためクリエイティブの意思決定の中心に佐竹氏はいた。

 

 さまざまな経緯があったとはいえ、佐竹氏が東京女子流のプロジェクトから離れているあいだ、グループの活動は停滞していた。

 

 すこし余談になるが──

 

 このあと2017年初頭に夢みるアドレッセンスも危機に陥る。そこでも、グループが存続したのはメンバーの強い思いとともに、運営がつづけるという意志を固めたからだ。

 

(*この文章は、2018年に書かれている。2019年現在の夢アドについては、まだ言うべきことばをもたない。ただ、やはり誰が主体なのか、その意志を誰がもっているのかは、とても重要だと再確認させられた。そして権力と情熱はどうちがうのか……)

 

 同じ年(2017年)の末には、エイベックス内のレーベル「iDOL Street」で、『GEM』というグループの解散が決まっている。その後、同レーベルの『Cheeky Parade』も解散させられた。ふたつのグループの解散は、iDOL Streetを立ち上げた樋口竜雄プロデューサーが、その総合的な責任者の立場から離れてからの出来事だった。

 

 不穏な流れから解散の噂が絶えなかった『SUPER☆GiRLS』だが、いちどは『わーすた』単体のマネジメントに退いていた樋口プロデューサーが、ふたたびSUPER☆GiRLSの運営にもどることで、2020年までのロードマップを示すことができた。

 

 もちろん、その顛末のドタバタには賛否がある。会社組織が利益を上げなければ存続できないのもわかっている。それでも、幕府による小藩お取り潰しのようなやりかたは、ファンビジネスを行うエンターテイメント企業にとしては見栄えが悪すぎる。

 

 そのように運営や上部組織を批判したくもなるが、バニラビーンズの解散が決まったあとレナも言っていたように、「運営のモチベーション」を維持することも大切だ。

 

 組織がうまく回っているときにはリーダーシップなんて必要ない。ただ、危機にひんした時には、損得を超えて、情熱をそそぎ、そのチームやグループを引っ張っていく主体性のある人物が必要なのだ。

 

 簡単にいうと、「わたしはこうする。なにかあったら責任はとる」と言える人物がいるかどうか、それだけだ。

 

 未来は誰にもわからない。だから失敗もする。責任のとりかたはいろいろある。あるひとは去り、あるひとは沈黙する。あるひとはリカバリーを選択する。

 

 東京女子流にもどってきた佐竹氏は、プロジェクトの再建に乗り出す。

 

 まずは『志田サマー新井サマー』という夏限定ユニットを使って、周辺状況の確認と、環境整備を試みる。

 

 なぜ、夏なのか? 

 

 そこには「アーティスト宣言」によって遠ざけてしまった、大型アイドルイベントが待ち受けている。

 

 

 ──「アイドルとアーティストのはざまで【8】TIF2016」につづく

 

 

 

(※1)ライブ告知動画:「志田友美(夢アド)×新井ひとみ(東京女子流) - YouTube」(2016/03/24)

 告知映像だが、いま思えばオリジナル曲の制作をしていたのだろう。

 

(※2)志田サマー新井サマー 灼熱のインフォさんのツイート

 音楽ナタリー「志田サマー新井サマー」灼熱の夏季限定ユニット 

 

(※3)@JAM THE WORLD アフタートーク 緊急討論会!?(3) 2016.06.13 - YouTube (24分00秒あたりから)

 

(※4)同上、33分あたりから

 

 

 

 

 2016年の春、『夢みるアドレッセンス』主催で行われた『東京女子流」とのツーマンライブで、志田友美と新井ひとみとのオリジナル・コラボ曲がさりげなく披露された。

 

 このコラボ曲こそが、東京女子流の新たな冒険のはじまりを告げる狼煙(のろし)だったのだけれど、──そのお話は次の章にゆずる。

 

 僕は前回、新井ひとみの過去動画を見つづけて、「佐竹さん、この子がアイドルじゃないって言う方が無理があるよ!」という結論に至った。

 

 そこでふたたび、「アイドル」ってなんだっけ? と考えることになる。

 

 おそらく現在は「アイドル」ということばに二つの側面がある。

 

 じつはすでに、佐竹氏の「アーティスト宣言」のなかで言及されている。

 

「──昨今、アイドルに注目が集まる中で、『アイドル』の呼び方が、その人にとっての『アイドル』という敬称ではなく、『ジャンルとしてのアイドル』という呼び名の方が強くなってきたと思います。…」(※1)

 

 この「ジャンルとしてのアイドル」と「その人にとってのアイドル」の二つだ。

 

 例としては、吉田豪氏が配信番組などで、ときどき話すアイドル観がわかりやすい。

 

 彼はゲストから「豪さんにとってアイドルってどういう定義なんですか?」と尋ねられ、答えるときに二つのパターンがある。

 

「──ぼくが思うアイドルは、歌って踊る人で、だからグラビアとかだけの人はちょっと違うかなと…」

 

「──アイドルって、ただご飯を食べているだけでも、ずっと見ていられる。それがアイドルだと思うんですよ」

 

 この二つの返答は、違う場面で、別の相手と、異なった会話の文脈のなかで語られている。そのため、ここで用いられている「アイドル」は、それぞれ違う内容を指している。

 

歌って踊る人」は、アイドルという「仕事」を指している。

 

 「アーティスト宣言」のなかで、佐竹氏の言う「ジャンルとしてのアイドル」に対応する。

 

 この「ジャンル」も混乱しやすい。ここでは音楽の内容(ロックとかジャズとか)をしめしているのではなく、音楽興行の形態(ライブとかテレビとか握手会とか)やパフォーマンスのスタイル(バンドとか弾き語りとかダンス&ボーカルとか)をざっくりと想定している。

 

 それとは別に、「ただご飯を食べているだけでも、ずっと見ていられる人」は、仕事や年齢、性別にさえ関係なく、その人からどうしようもなくこぼれ出てしまう「アイドル性」についての話だ。

 

 これも佐竹氏が「宣言」のなかで話していた「その人にとってのアイドル」に対応する。

 

 そのひと個人にとって感じられる誰かにたいするアイドル性が、広く共感されればアイドルスターは生まれる。それは歌って踊る人だけにかぎらない。スポーツマンでも学者でも、アイドルは成立する。

 

 たとえば、吉田豪氏がもふくちゃん(福嶋麻衣子『でんぱ組.inc』プロデューサー)をゲストに迎えた配信番組では、批評家で哲学者の東浩紀氏のアイドル性について話されていた。

 

  吉田豪「──ちょっと表現はあれですけども。いい面倒くささを持っているっていうか」

 

 もふくちゃん「──いや、本当。あんなにやっぱりストレートに正直に生きている人っていないですもん」(※2)

 

 要約すると、あんなに頭がいいのに、「自分にマイナスだ」ということも顧みず、言いたいことをいい、ストレートに正直に生きている、それが魅力的だ。そこが彼のアイドル性ではないか、という話だ。

 

 「頭がいい」のに「バカ正直」というギャップがアイドル性の源だという。スポーツマンやステージに立つ芸能者が常人では真似のできない能力を見せながら、日常で誰でもできるようなことができないと、そこが可愛げに見えたりもする。いわゆるギャップ萌えだ。

 

 ただ、このギャップを「完成」にたいする「未熟」だととらえてしまうと、苦しみも生まれる。

 

 ライムスター宇多丸は、「アイドル」とは何か? についてこう書いている。

 

「──『魅力』が『実力』を凌駕している存在、ということになるでしょう。加えて、その間のギャップを『無償の(=〈実力〉分の対価を求めない)好意』で埋めてくれる『ファン』の存在と対になって初めて、その構造は可能となる、というのも絶対条件。…」(※3)

 

 ひらたく言うと、実力はまだまだだけど、人を惹きつける魅力があり、実力の足りない(未熟な)ところは、ファンが無償の愛で埋め合わせる(受け入れて応援する、成長を期待する)から成立するんだよ、といったところか。

 

 この、「足りない分の対価」ということばに引っかかって、では「実力の価値」って何だろう? と考えはじめると、なかなか難しいところに入っていくので、ここまでにして。

 

 やはり、アイドルにはどこか「未熟」な印象がつきまとう。ただ、エンターテイメントとして成長を楽しむ文化があるのだとすれば、それは「未熟」であるからこそ成立するのだが。

 

 2017年の終わりに元『アイドリング!!!』のリーダー遠藤舞が、芸能界を引退すると発表した。そのコメントにはこうある。

 

「──私はいわゆるアイドルと言われることに昔からものすごく抵抗があった。私の中ではアイドルとは芸能人という職種の人間がやるべき『芸』がプロの域に達せず未熟で、その成長過程を楽しんでもらうものと考えているからだ。ゆえに10代や20代前半ではそれはありだとしても、20代も半ばを過ぎてそれは恥ずかしいことだとこの職に就いた時から思っていた。

 時は流れてその結果、私はいまだに元アイドルの肩書きなしにはメディアに出られず、アイドル的な売り方をしなければCDも売れない。アイドルを卒業してから何年もたった今でも、最近知り合った人にアイドルという目で見られてしまう。その原因は私の『芸』の才能がアイドルの域を所詮超えられなかったからなんだと思う。結局私はそれほどの者だと思い、自分の才能のなさに嫌気がさして他の適する職業を目指すことになりました」(※4)

 

 とても生真面目で誠実な人なのだな、と思いつつも、彼女のファンに限らず、アイドル界全体を好ましく見ている人々の多くがこの文章を読んで、大きな挫折感を抱くことになったと思う。

 

 「アイドル」ということばにつきまとう「未熟」という重力は強い。遠藤舞は「シンガー」というロケットに乗って、その重力圏を飛びだし、「スター」という衛星軌道を目指したが、けっきょく届かなかった。

 

 ただ、彼女はもともと裏方志向が強かった人のようだし、いまはボイストレーナーとして若いアイドルたちを指導している。けっしてアイドルが嫌いだったわけではない。彼女にとっては時間制限とともに乗り越えるべき壁であったのだ。その経験をもとに、いまは後輩にあたる若い女の子たちを支えている。

 

 彼女が2017年の終わりに、このようなコメントを出して表舞台を去ったことは、とても考えさせる出来事だった。2018年のアイドル界に訪れる、大量の卒業と解散の嵐を予見していたかのようで、象徴的にも感じられる。

 

 少し先走ってしまった。

 

 いま「アイドル」ということばには、二つの側面がある。個人の魅力としての「アイドル性」と、仕事(ジャンル)としての「アイドル」。

 

 もちろん、お互いに相互作用してしまうので、「アイドルという仕事」を離れたはずなのに、「アイドル(未熟)」扱いされていると感じて苦悩する人もいる。

 

 仕事としてのアイドルは、吉田豪氏が言っているように、「歌って踊る人」くらいのゆるいしばりで良いのではないかと思う。

 

 じっさいTIF(東京アイドルフェスティバル)には、2017年から『ベッド・イン』が参戦している。バブル期のスタイルやことばづかいをパロディ化して、過剰にセクシーさを演じている二人組だ。(※5)

 

 彼女たちがTIFに受け入れられたのは、色物としての楽しさとは別に、音楽に対しての真摯な姿勢があったからだ。もともとバンドマンだったふたりなので、自ら演奏するギターにも、ボーカルにも迫力がある。そして、ジュリ扇を持って踊る。(だからもうアイドルでいいじゃん)

 

 2015年ころ、ベッド・インのふたりは、「シケ金」という原宿のローカルFMにゲスト出演していた。そのころはまだ、バブル女性のパロディーと、根が真面目な素の彼女たちが混在していて、MCのジェーン・スーから、「やるときは完全にやりきれっ!」と叱咤激励されていた。「コンセプトは間違いないのだから、やりきれば絶対に売れる」それ以降、彼女たちを見かけるときには、ステージ上であれ、番組出演であれ、バブル女性のパロディーを演じきっている。うざいくらいに(褒めてます)。

 

 ジャンル(パフォーマンス)としての「アイドル」は、限りなく広がっている。

 

 かつて80年代に隆盛を誇った音楽業界のアイドル文化は、カジュアル化し、セルフ・パロディ化のすえに、陳腐化する。そして、いくつかの不幸も重なり、輝きを失う。(※6)

 

「アイドル」はカッコ悪いことばとなり、音楽業界は「アーティスト」ということばを持ち出した。

 

 しかし、この「アーティスト」ということばも、80年代以前を知るものには、どこか違和感がある。

 

 山下達郎の発言がわかりやすい。「嫌いなことばは?」と問われ、彼はこう答える。

 

「──アーティスト。自分が言われるのも嫌だし、口にするのも嫌い。いま日本で使われてたり、メディアが言ってるアーティストは、本来の意味じゃないですからね」(※7)

 

 やがて、カッコ悪くなったはずの「アイドル」ということばがふたたび、浮上する。

 

 音楽業界ではゴミ箱に捨てられてしまった「アイドル」という〈ことば〉を、もういちど取り出して磨き直したのが『モーニング娘。』であり、音楽業界の外からチャレンジし、屈することなく「アイドル」というあり方を圧倒的な購買力へと拡大したのが『AKB48』だった。そのあいだを橋渡しするように『Perfume』の成功物語もある。

 

 2010年以降の音楽業界がAKB48とPerfumeを参照しながら展開したように、2015年以降は『東京女子流』の事例が参照される。

 

 『フィロソフィーのダンス』をプロデュースする加茂啓太郎は「──アイドルということで受け皿が広がる。ダンス&ボーカルというと出ていくところがなくなってしまう…」と話していた。(※8)

 

 それは『東京女子流』の挑戦があったからこそ、あぶりだされた現実で、歴史的に重要な役割をはたすことになった。

 

 ほんらい、肩書はどうだっていい。プロモーションで効果的なら、「アイドル」でも「アーティスト」でも、なんだって使えばいいのだ。

 

 エンターテイメントで大切なのは、ひとを感動させることである。それだけでいい。結局それだけが残る。

 

(僕は荻野可鈴の握手の力強さに驚いたことがある。そんな些細なことだって感動だ。僕は一生忘れないだろう)

 

 2016年の春、新井ひとみの歌を聴き、映像を見つづけて、僕はこう思った。

 

「佐竹さん、この子がアイドルじゃないって言う方が無理があるよ!」

 

 そのころ、東京女子流のプロジェクトディレクター佐竹義康は、つぎのプランに着手していた。

 

 

 ──「アイドルとアーティストのはざまで【7】再建のサマー」につづく

 

 

(※1)東京女子流アーティスト宣言(素人テープ起こし) | カピバラ日和

 

(※2)吉田豪ともふくちゃん 東浩紀のアイドル性を語る

 

(※3)「ライムスター宇多丸『アイドル幻想』変容の時代。」マガジンハウス「BRUTUS」2010年6月1日号p84

 

 (※4)吉田豪と遠藤舞 芸能界引退ツイートを振り返る

 

(※5)ベッド・イン、TIFで初単独おギグ お台場にバブルの香りを撒き散らす - KAI-YOU.net

 

 ちなみに──

 2019年末にはじまった、ひーさんの新たなるチャレンジは、80年代末の森高千里による「非実力派宣言」と、毒抜きした『ベッド・イン』みたいなものかなあ、と思ってみたり…

80年代の終わり【2】「オタク」「バブル」「森高千里」

 

(※6)本ブログ:参照

「おニャン子クラブ」 その可能性と限界 

1986年の岡田有希子 

80年代の終わり【1】 中森明菜と小泉今日子 

 

(※7)本ブログ:アーティストは自作自演? | マニファクチャード・ガールズ・クロニクル:参照

 

(※8)@JAM THE WORLD アフタートーク 2017.5.22

 

 2015年、東京女子流は、人気のあったカワイイ楽曲の封印と、歌姫といわれた小西彩乃の引退によって、重要な「歌」と「声」のふたつを失った。翼を二枚、もがれたようなものだ。それでは飛べるわけがない。

 

 この時期、東京女子流の活動は停滞する。

 

 アイドル関係のイベントやフェスへの出演はなくなり、もちろん『東京アイドルフェスティバル』への連続出場も途絶える。

 

 不在となったメンバーの復帰を待ちながらも、曖昧さは消えない。それぞれのメンバーが個別に、舞台演劇や映画(※1)に出演したり、中江友梨はサイプレス上野とのヒップホップユニット『サ上と中江』を結成したりしているが、『東京女子流』というグループとしての将来像には不安な気持ちを抱えていたはずだ。

 

 2015年の終わりに、5枚目のアルバム『REFLECTION』をリリースしている。このアルバムは、新井ひとみ、中江友梨、庄司芽生、山邊未夢の四人で制作されており、これからもこの四人で活動をつづけて行くという決意表明ではあった。

 

 「アーティスト宣言」からはじまった2015年は、小西彩乃の引退で、幕を閉じた。

 

 僕自身がふたたび『東京女子流』を見かけたのは、2016年の春だ。

 

 『夢みるアドレッセンス』主催のツーマンライブで、四人の女の子たちが、キレの良いダンスで、なんども上手にターンを決めていた。(※2)

 

 そこで、夢アドの志田友美が「──大人のひとに頼んで、コラボでオリジナル曲をつくってもらいましたー」と言って、いっしょに歌う女子流の相方を紹介した。

 

 ところが、その彼女のマイクの調子が悪く、あいさつの言葉をうまく伝えることができずに、マイクをとりかえて、すぐに二人で歌い出すことになった。

 

 さいしょのワンフレーズを聴いて、あ、この子は歌がうまい、と思った。

 

 それが東京女子流の「新井ひとみ」だった。

 

 夏の終わりをイメージさせるバラードで、彼女の声はとても甘く伸びやかで安定感があった。

 

(いま思えば、なんで春先に、夏の終わりの歌をうたってるのだろうと不思議に感じても良かったのだけれど、のちにその意味を知ることになる)

 

 もともと『東京女子流』における歌唱の重要なパートは、小西彩乃と新井ひとみで分け合うように担当し、フォーメーション的には新井ひとみがいつも真ん中にいた。いわゆるセンターである。

 

 『東京女子流』という名前と、MVの幼かった5人組のイメージだけを持っていた僕は、彼女たちをネットで検索し、そこではじめて、「アーティスト宣言」の顛末や、重要なメンバーを失っていることを知った。

 

 それから少し気にするようになり、東京女子流の参加するイベントやライブのネット配信を目にするようになった。

 

 この時期の女子流は、週末にショッピングモールなどに赴いてフリーライブも行っていた。それを、佐竹義康プロジェクト・ディレクター自身がスマホなどでウェブ中継をしていて、ちょっと驚いた。

 

 以前から女子流を知っている人ならあたりまえのことなのだけれど、チーム『東京女子流』は早くからネットでの配信に積極的で、移動中の車の中や、ライブ前の楽屋裏などを、佐竹氏がみずからカメラをまわして配信していた。

 

 じっさい、2016年の春から僕が見ていたころも、控室から舞台に出ていくようすや、舞台からもどってきて控室で汗を拭いているような場面も、よく見かけた。

 

 佐竹氏は、ネット配信についてこんなふうに話している。(2012年出版のインタビュー ※3)

 

「──もともとは生中継が基本で、その間に過去に撮った映像を夜流したい、と。年齢的にメンバーの稼働が出来ない時間帯に、家で見れるものをやりたかったんです。それで(…)『ディスカヴァー女子流』という番組を立ち上げて、ライブを流しはじめました。いまは(…)、メンバーにカメラをもたせて撮ってきた映像も流しています。

 そうやって映像を出していく理由のひとつに、本当に売れたときには、表裏があると、本人たちにとって苦しいばかりの活動になると思っていることがあります。スターになると、世の中にウケたキャラクターの自分をつづけなければいけなくなる。(…)これからの時代はスターになるには表裏があってはいけない。表裏なく人に好かれるような人間にならないと成功しないと考えています。だから一番最初に『裏も全部見せるよ。それもふくめて東京女子流の一員として頑張ってください』と子供相手に言ったわけです。きっと、わからなかったと思いますが(笑)」

 

 そういった考えとは別に、佐竹氏にはガジェット好きの一面があるようで、新しい小型カメラや、ネット用の端末などを試していた気配もある。

 

 過去を見ると、2013年には視聴者投票によって「USTREAM大賞」の2位を得ている。

 

<USTREAM大賞>東京女子流が、ももクロに続く第2位 | BARKS

 

 1位がももクロだったことも考え合わせると、アイドル戦国時代といわれた2010年以降のアイドルグループの量的拡大は、SNSの普及も大きく関係していると考えていい。

 

 マスメディアの枠が限られるなか、ネットの動画やライブ配信、SNSを使ったプロモーションは、音楽業界や映像メディアで活躍しようとするアーティストたちの可能性を広げた。

 

 とくにアイドルは親和性が良かったといえる。当時、その先頭にももクロや女子流はいた。

 

(Ustreamの創業は2007年、日本ではTwitterの普及とともに一般化し、2010年には宇多田ヒカルがコンサートを中継して話題となった。2019年現在はアーカイブすら消滅してしまった。※4)

 

 2016年、東京女子流の配信を目にするようになって、少ししたころ、彼女たちのファンクラブ向けのライブがあり、その一部がやはりネットで配信されていた。

 

 スタッフによる簡易な配信なので、映像も音もけっして品質の良いものではなかったけれど、彼女たちのパフォーマンスがすばらしいのはじゅうぶんに伝わった。

 

 もともと、一日、二回公演だったものを、応募が想定よりも多かったため、結果的に三公演になったと記憶している。一日、三回もライブをやるのかと感心した。

 

 パソコンの画面を通して彼女たちを見ていると、三回目でも動きのキレは変わらなかった。ただ、さすがに歌声には息切れする場面もあった。しかし、新井ひとみだけは最後まで歌声が安定していた。

 

 正直、この子はすごいな、とそのとき思った。そして最後のMCで、新井ひとみはニコニコと笑いながら言った。

 

「こんなにたっくさん、歌って踊れて、ほんとうに幸せだねっ!」

 

 僕はそれからしばらく、新井ひとみの映像を検索して何本も見た。ライブの映像も魅力的だったが、「ひとみぼっち」というUSTREAM時代に彼女がひとりで配信していた映像を掘り起こして、何日にもわたって見ることになった。

 

 そこで、僕が至った結論は──
 

「佐竹さん、この子がアイドルじゃないって言う方が無理があるよ!」だった。
 

 

 ──「アイドルとアーティストのはざまで【6】アイドル性、その光と影」につづく

 

 

(※1) 東京女子流・庄司芽生×加藤綾佳の新作撮影に潜入、庄司が単独初主演作へコメント - 映画ナタリー

 

(※2)2016.3.29

【東京】夢アド春の3番勝負~Road to Zepp DiverCity~ 第3夜 ユメトモの竹芝(☓東京女子流)

 

(※3) 竹中夏海『IDOL DANCE!!!』(2012年ポット出版) p110

「衣装から見る東京女子流の世界観」佐竹義康インタビュー

 

(※4)Ustreamの宇多田ヒカルライブ中継は、全世界で104万PV - AV Watch(2010年 12月 21日)

 

 参考:さらばUstream、10年で消滅。IBM Cloud Videoへ完全移行(三上洋) - 個人 - Yahoo!ニュース(2017年4月5日)

 

 

 

 アイドルをめぐる状況や、会社の事情といった外部環境とは別に、チーム「東京女子流」の内部ではなにが起きていたのか、という推測から、もうひとつの理由について考えてみたい。

 

 「アーティスト宣言」をしたとき、運営チームはどのくらい、メンバーの体調不良について意識していたのだろう、という疑問がある。

 

 あとからわかることだけれど、この半年後に小西彩乃が「腰痛」を理由に活動休止に入っている。彼女はグループの歌唱を支える重要なメンバーで、東京女子流の歌姫といえば小西彩乃だとも言われていた。

 

 「アーティスト宣言」の配信のなかで、彼女たちが目標としているアーティストとして『BoA』の名前があがっている。佐竹氏も「BoAが5人いるようなグループになれれば最強ですよね」と話している。

 

 それを知ったうえで、その後の東京女子流の活動を見てみると、すこし違和感がある。

 

 Wikipediaによれば、「アーティスト宣言」の翌日、「1月6日より隔週火曜日にAKIBAカルチャーズ劇場にて『TGS アコースティック 』(全6回)を開催」している。

 

 動画サイトにも映像が残っているのだけれど、彼女たちはアカペラで歌ったり、小西彩乃がキーボードを弾いていたりする。「アコースティック」と銘打ったとおり、まったく踊らない。

 

 観客の多くに着席を要求される劇場の特性もあるとは思う。しかし、彼女たちはBoAを目指しているはずだ。「メリクリ」に代表されるバラードもすばらしいが、彼女の魅力はやはり、キュートさとカッコよさを兼ね備えた小気味の良いダンスだ。「VALENTI」(──タイトなジーンズにねじ込む、わたしという戦うボディ)こそがBoAの代名詞だろう。

 

 チーム「東京女子流」がこのとき、どうして踊らなかったのか(踊らせなかったのか)、いま考えると思い当たるフシはある。(あくまで憶測だが)

 

 6月13日の「デビュー五周年記念ライブ」のあと、小西彩乃は「腰痛の治療に専念するため」として活動を休止する。

 

 のちに彼女はこのように書いている。

 

「──五周年をむかえて、五周年記念ライブをやりきり、あの日のメンバーの笑顔をみて、ここまでこの5人で変わらずやってこれてよかったと本当に心から思い、同時にそこで満足してる自分がいました。

 ライブがおわって一段落したところで抱えていた腰痛のこともあり、改めてこれからの活動のことを考え、お休みをいただくことになりました。…」

 

 彼女の不在によって、おのずと東京女子流の活動も停滞する。

 

 この時期、エイベックス社内の事情によって、運営スタッフの変更や、舵取りであった佐竹氏自身もプロジェクトの中心から抜けていく、という状況があったようだ。(※1)

 

 そして、さらに半年後の2015年12月28日、小西彩乃がグループを離れる。

 

いつも応援してくださっている皆さまへ(小西彩乃よりメッセージ) | 東京女子流*(TOKYO GIRLS' STYLE)オフィシャルサイト

 

 とても丁寧に正直に書かれている文章なので、ぜひ、本文を読んでみていただきたい。

 

 彼女にとっては、「腰痛」よりも「声」の問題のほうが大きかったのかな、ともこの文章からは読みとれる。

 

「──だんだん体が成長していくにつれて、自分が自信をもってやってきた歌がうまく歌えなくなって、歌って踊ることの大変さに気づいてからずっと不調だったけど、時間は止まってくれない。…」

 

 歌うことの大好きだった女の子が、その思いが痛みに変わってしまい、ステージから降りることを選択するしかなかった。それは、ほんとうに切ない。

 

 成長には痛みがともなう、物理的にも精神的にも。

 

 10代前半の女の子を、若くしてデビューさせたことについて、プロジェクトの責任者だった佐竹氏はこう言っている。

 

「──東方神起も(韓国の)事務所としては、女子流と同じくらいの年齢の時から抱えていた。そこからレッスンをして育てていき、デビューするのがあのタイミング(16~18歳)だった。東京女子流の場合はデビューさせながら、育てたほうがいいという考え方をとった」(※2)

 

 よくいわれるように、韓国は完成されたかたちでデビューさせ、日本には成長を楽しむ文化がある。

 

 クールな言い方をすれば、韓国は成長にともなうリスクを回避している。ひとの成長期は不安定な思春期でもある。彼らは不安定な時期をレッスンにあて、安定し、あるていど完成を見てから、世に送り出す。逆にいえば、不安定なまま完成されなかった者は世に問われることもなく消え去る。

 

 どちらがいいと言うつもりはない。韓国のショウビジネス界にだっていくつもの悲劇がある。

 

 佐竹氏にとっては、「アーティスト宣言」で無用の反感をかってしまったのは、いささか想定外だったかもしれない。ただ、活動のペースを落とすことはむしろ積極的に考えていたのではないか。体調の問題が成長の痛みであるとすれば、時間をかければ治まる可能性もある。

 

 しかし、結果的に希望はついえ、東京女子流は大切な歌声をひとつ失った。

 

 東京女子流の「アーティスト宣言」を悪手だと断じるのは簡単だ。でもそこには、いくつもの要因が重なった、やむを得ない事情もあったのではないか、と僕は思っている。

 

 そして、東京女子流の苦難は、「アーティスト宣言」そのものよりも、小西彩乃の歌声を失ったことのほうが大きな痛手だったのだ。

 

 

 ──「アイドルとアーティストのはざまで【5】停滞ときざし」につづく

 

 

 

(※1)@JAM THE WORLD アフタートーク 緊急討論会!?(3) 2016.06.13 - YouTube(30分あたりから)

 

(※2)同上(14分30秒あたりから)