アイドルをめぐる状況や、会社の事情といった外部環境とは別に、チーム「東京女子流」の内部ではなにが起きていたのか、という推測から、もうひとつの理由について考えてみたい。

 

 「アーティスト宣言」をしたとき、運営チームはどのくらい、メンバーの体調不良について意識していたのだろう、という疑問がある。

 

 あとからわかることだけれど、この半年後に小西彩乃が「腰痛」を理由に活動休止に入っている。彼女はグループの歌唱を支える重要なメンバーで、東京女子流の歌姫といえば小西彩乃だとも言われていた。

 

 「アーティスト宣言」の配信のなかで、彼女たちが目標としているアーティストとして『BoA』の名前があがっている。佐竹氏も「BoAが5人いるようなグループになれれば最強ですよね」と話している。

 

 それを知ったうえで、その後の東京女子流の活動を見てみると、すこし違和感がある。

 

 Wikipediaによれば、「アーティスト宣言」の翌日、「1月6日より隔週火曜日にAKIBAカルチャーズ劇場にて『TGS アコースティック 』(全6回)を開催」している。

 

 動画サイトにも映像が残っているのだけれど、彼女たちはアカペラで歌ったり、小西彩乃がキーボードを弾いていたりする。「アコースティック」と銘打ったとおり、まったく踊らない。

 

 観客の多くに着席を要求される劇場の特性もあるとは思う。しかし、彼女たちはBoAを目指しているはずだ。「メリクリ」に代表されるバラードもすばらしいが、彼女の魅力はやはり、キュートさとカッコよさを兼ね備えた小気味の良いダンスだ。「VALENTI」(──タイトなジーンズにねじ込む、わたしという戦うボディ)こそがBoAの代名詞だろう。

 

 チーム「東京女子流」がこのとき、どうして踊らなかったのか(踊らせなかったのか)、いま考えると思い当たるフシはある。(あくまで憶測だが)

 

 6月13日の「デビュー五周年記念ライブ」のあと、小西彩乃は「腰痛の治療に専念するため」として活動を休止する。

 

 のちに彼女はこのように書いている。

 

「──五周年をむかえて、五周年記念ライブをやりきり、あの日のメンバーの笑顔をみて、ここまでこの5人で変わらずやってこれてよかったと本当に心から思い、同時にそこで満足してる自分がいました。

 ライブがおわって一段落したところで抱えていた腰痛のこともあり、改めてこれからの活動のことを考え、お休みをいただくことになりました。…」

 

 彼女の不在によって、おのずと東京女子流の活動も停滞する。

 

 この時期、エイベックス社内の事情によって、運営スタッフの変更や、舵取りであった佐竹氏自身もプロジェクトの中心から抜けていく、という状況があったようだ。(※1)

 

 そして、さらに半年後の2015年12月28日、小西彩乃がグループを離れる。

 

いつも応援してくださっている皆さまへ(小西彩乃よりメッセージ) | 東京女子流*(TOKYO GIRLS' STYLE)オフィシャルサイト

 

 とても丁寧に正直に書かれている文章なので、ぜひ、本文を読んでみていただきたい。

 

 彼女にとっては、「腰痛」よりも「声」の問題のほうが大きかったのかな、ともこの文章からは読みとれる。

 

「──だんだん体が成長していくにつれて、自分が自信をもってやってきた歌がうまく歌えなくなって、歌って踊ることの大変さに気づいてからずっと不調だったけど、時間は止まってくれない。…」

 

 歌うことの大好きだった女の子が、その思いが痛みに変わってしまい、ステージから降りることを選択するしかなかった。それは、ほんとうに切ない。

 

 成長には痛みがともなう、物理的にも精神的にも。

 

 10代前半の女の子を、若くしてデビューさせたことについて、プロジェクトの責任者だった佐竹氏はこう言っている。

 

「──東方神起も(韓国の)事務所としては、女子流と同じくらいの年齢の時から抱えていた。そこからレッスンをして育てていき、デビューするのがあのタイミング(16~18歳)だった。東京女子流の場合はデビューさせながら、育てたほうがいいという考え方をとった」(※2)

 

 よくいわれるように、韓国は完成されたかたちでデビューさせ、日本には成長を楽しむ文化がある。

 

 クールな言い方をすれば、韓国は成長にともなうリスクを回避している。ひとの成長期は不安定な思春期でもある。彼らは不安定な時期をレッスンにあて、安定し、あるていど完成を見てから、世に送り出す。逆にいえば、不安定なまま完成されなかった者は世に問われることもなく消え去る。

 

 どちらがいいと言うつもりはない。韓国のショウビジネス界にだっていくつもの悲劇がある。

 

 佐竹氏にとっては、「アーティスト宣言」で無用の反感をかってしまったのは、いささか想定外だったかもしれない。ただ、活動のペースを落とすことはむしろ積極的に考えていたのではないか。体調の問題が成長の痛みであるとすれば、時間をかければ治まる可能性もある。

 

 しかし、結果的に希望はついえ、東京女子流は大切な歌声をひとつ失った。

 

 東京女子流の「アーティスト宣言」を悪手だと断じるのは簡単だ。でもそこには、いくつもの要因が重なった、やむを得ない事情もあったのではないか、と僕は思っている。

 

 そして、東京女子流の苦難は、「アーティスト宣言」そのものよりも、小西彩乃の歌声を失ったことのほうが大きな痛手だったのだ。

 

 

 ──「アイドルとアーティストのはざまで【5】停滞ときざし」につづく

 

 

 

(※1)@JAM THE WORLD アフタートーク 緊急討論会!?(3) 2016.06.13 - YouTube(30分あたりから)

 

(※2)同上(14分30秒あたりから)