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年が明けて少し経過した頃
父から弘前に引っ越すことを告げられた。
同級生にハブられている状況から逃れるのは
有り難いことだったが、
5歳からずっと慣れ親しんできた土地を離れるのも嫌だった。
ほとんどテレビを見せてもらえなかったとはいえ、当時はNHKを入れて4局しかない。
人口も函館の半分。
制服は黄色のラインに黄色いスカーフ😳
私の趣味ではない。
今までは学生鞄を持っていたが
今度は学校指定のザックを背負う。
何だかとんでもない田舎に行くようで嫌だった。
(私服がダサいクセにそんな上からな私だった)
引越し当日
青函連絡船へI君が見送りに来てくれていた。
中学に入りクラスも違って
ほとんど顔を合わせることも
話すこともなくなり、
しかも部活にハマりI君への気持ちは冷めてしまっていた私だったのに…
あーあ
あんなに必死でおまじないして
両思いになってたのに
(ホント嫌なヤツ
この程度で済んだことを有り難く思わないといけないのに)
そして逃れたと思っていたことだったが
そうは問屋は卸さないのだった。
本日もお付き合いいただき
ありがとうございました😊
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