奈良の東大寺の話やよ | efgmailadさんのブログ

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[またまたマイナーな話やよ。どうかウザがらないでね]


『奈良の東大寺大仏建立の謎』


第45代聖武天皇が発願建立したんよ。

お話は、なんで建てようと思ったか……???という話です。



若くして亡くなった聖武天皇の一人息子(基王)→もといおう、の供養の為に建てられた〔金鐘寺〕→きんしょうじ、が元々の名前なんやよ。
(この時は大仏はまだないよ)

聖武天皇の時代には干ばつ(732年のこと)、凶作と飢饉(733年)、地震(734年)が起こり、
さらに伝染病(735年)まで大流行し、また凶作(736年、737年)
聖武天皇夫人(光明皇后)の実兄4人(いずれも当時の政府高官)→いわゆる藤原4兄弟。
全員が病死するなど不運不幸が続き、聖武天皇の祖父の草壁皇子は27歳で死亡。
父親である文武天皇も25歳で死んでおり、次は自分か《もしくは皇后か》と憶測する中、仏の力を深く信じていた皇后が聖武天皇に勧めて、(仏の力で不運不幸、天災を取り除こうとしたん)
それで天皇家繁栄、国家安泰を祈願するため、また近親者の早死、4兄弟の怨霊を鎮めるために(神頼みならぬ、仏頼みとして、わざわざデカイ大仏を造ろうとしたわけなん)

(デカイと力も強いと思われたわけ)


天平17年(745年)大仏造立を開始したん。

(建立の発令は743年)完成とともに《東大寺》となったんよ。


のちの平安時代での日本三大高層建造物の第2番目
(高さ46メートル)であったことが記録に残っているんやよ。
(1番は出雲大社の48メートル)

当時のことだけど
《大和二郎》→やまとじろう、と言えば東大寺大仏殿のことを指す言葉だったん。(二郎は2番目の意味)


戦乱による人災で2度も焼失してるんよ。
1180年焼失
1567年焼失。


大仏の台座の蓮(はす)の一部だけが奈良時代のもので大仏の胴は鎌倉時代に、頭は江戸時代に作りなおされたん。


1692年に新しい大仏殿が建てられるまで、
実に125年もの間、大仏さんは外に置きっぱなし。雨ざらしだったんだよ。

ちなみに現在の大仏殿の高さは52メートルあるよ。
おわり