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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
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です。よろしくお願いいたします!

先日の総選挙の際、我が町沼津において、とても看過できない問題が発生しました。

 

沼津の一部地区で、投票日当日になっても「投票券」が届かなかったとのことでした。主権者たる国民がその意思を表明できる機会を失ったのは、極めて由々しき事態なのです。

 

実のところ、今回の選挙においては当該地区のみならず、私の住む地域においても投票券の到着が非常に遅かったのです。日曜日は所用があったため、土曜日に「期日前投票」に出向こうと思っていたのですが、投票券が届いたのは確か火曜か水曜だったと思います。私がこれまでに経験した選挙の中で、ここまでギリギリのタイミングで投票券が届いたことはなく、「ちょっとおかしくない?」とは感じていました。まさか投票日当日になっても届いていない地域があったとは、大変驚きました。

 

選挙管理委員会が「独立した組織」とはいえ、市の責任は極めて重大だと思います。このような場合、市民として最初に相談するのは「市」であるのは無理からぬことで、そこで、

 

「投票券がなくても投票できますよ!」

 

などというアドバイスだけでは決して十分でないことは明らかです。その時点で選挙管理委員会に報告し、役人総出で対処すべきではないでしょうか?

選挙管理委員会なるものが独立性を担保しなければならないという論点は理解できますが、国民の最も基本的かつ最重要な権利が不当に制限されようとしている時に、単なるおざなりな対応しかできないのは、文字通り「お役所仕事」だと言えるのではないでしょうか?お役所お得意の「縦割り行政」など、とても市民に理解されるものではないということを、もうそろそろ自覚すべきではないかと思うのです。

 

思想信条における「右や左」、「ハトやタカ」などと考え方が大きく異なる以前に、国民ひとりひとりが「意思を表明する」という機会を奪ったという事実を、しっかりと認識すべきだと思うのです。今回のケースの場合、解散総選挙ということもあって選挙準備が十分に整わなかった側面もあるでしょうし、郵便局の配達に問題があったのかもしれません。投票券などの「重要な郵送物」を、「下請け」の「アルバイト」に配送させることが果たして適切なのか、今回のような重大なトラブルが生じた際に、行政が「選挙管理委員会の管轄だから」とおざなりの対応でよいのか、「国民主権」という観点から再度見直して頂きたいと心から感じております。

 

今回のようなトラブルの「積み重ね」が、主権者たる国民の「権利」を軽んじる傾向に拍車をかけるようなことがないように、強く願っているところです。

 

頑張りましょう!

高校受験生にとっては、従来からの「理想」は掲げつつも、そろそろ「現実」から目を背けてはいられない時期となります。これは高校受験生に限らず、大学受験生や中学受験生にとっても同様のことが言えるでしょう。

 

誰にでも「希望の進路」というものがあるはずなのですが、現在の「学力」や「内申点」という逃れ難い問題がある限り、いつまでも「夢」を語ってはいられない、というのが現実なのではないでしょうか?

受験生に限らず、およそ人間というものは「上手くいっている時」には大きな心配はないものです。一方で、窮地に追い込まれた時ほど、その人間の「本質」が現れてしまうものだと、私は考えているのです。「理想」と「現実」が乖離する中で、いかに理性的に振る舞えるのか、この点において各受験生の「人間力」が問われているように感じるのです。

 

来春には嫌でも「進学先」が決まってしまう現実の中で、その「進学先」でいかに充実した生活を送ることができるのか、という極めて重要な論点について、忙しい受験生活の中においても、時折考えてみることは大変大切なことだと思います。努力が確実に報われるほど「世の中」は甘くはありません。万が一思いを遂げることができなかった時、貴重な青春時代を半ば「不貞腐れたまま」過ごすのか、あるいは耐え難い悔しさを胸に、3年後に向けて「臥薪嘗胆」を誓うのか、その判断ひとつでこの先の人生が大きく変わるという事実をしっかりと認識すべきなのです。

 

学生の皆さんもいずれは「わかる」ことだと思いますが、世の中というのは「理不尽」に溢れ、決して「生易しい」ものではないのです。一方で、ひとたび失敗しようとも、必ず「リベンジの機会」が与えられるのも、また事実なのです。今、受験生に「できること」は、目標達成のための努力を怠ることなく、遮二無二「頑張る」ことだけではないでしょうか?

 

もしかしたら努力の末に辿り着いた「新天地」は、あなたにとって「理想だった場所」とは少々異なるかもしれませんが、その新たな場所を「住めば都」だと考えられるようになるためには、「今、できること」を一所懸命に取り組むことではないかと、私は考えているのです。一片の悔いを残すことなく受験生活を全うすることこそが、受験結果の成否にかかわらず、皆さんの人生にとってとても重要なことだということだけは胸に刻んでおいて欲しいと、心から願っております。

 

人生には、時には「挫折」や「敗北」から学ぶ時もあるのです。今はとにかく「頑張り時」であることだけは、決して忘れないでください!

 

頑張りましょう!

本日は妻が仕事を「お休み」しています。ちょっとでも気になることがあると仕事に集中できない妻は、迷うことなく本日は仕事を休む選択をしました。

 

本日は次男の「合格発表」なのでした(笑)。

 

このブログでも何度か書いたのですが、次男はお世辞にも「勉強ができる」タイプではありません。だからこそ、やや強引に「中学受験」を勧め、3年後の「高校受験」を回避する選択を、親である私がしたのです。6年前、連日1日3時間のマンツーマン授業を課し、何とかギリギリ受験を突破したことを昨日のように思い出します(笑)。

私たち「親の目論見」は案外上手くいったようで、勉強以外の中学・高校生活は実に有意義なものでした。少々の体調不良では決して学校を休もうとしない、「学校大好き」な次男は、ある意味で幸せだったのではないかと思うのです。

 

一方で、勉強はからっきしなのにもかかわらず、なぜか「スクールカウンセラーになりたい!」などと途方もない「夢」を語りだし、次男にとっては少々荷が重い志望校を選択したのには大変驚かされました(笑)。長男に続き、またしても「教育学部」とは、このアホな兄弟はいったい何に影響されてこのような進路を選択したのか、不思議でなりませんでした(笑)。

 

そして本日、ついに運命の日・・・

兄が同じ大学に通っていることが功を奏したのか、あるいはビブリオバトルでの奮闘が大学側の目に留まったのか(ビブリオバトル静岡県大会は毎年この大学で開催されており、3年連続出場し、優勝・準優勝の結果を残している次男を知っている大学関係者もいるのではないかと思われます)、とにかく無事合格できたようです。妻もほっとひと安心したようで、早速お昼寝タイムに突入するようです(笑)。

 

とにもかくにも、我が家の「懸念」が越年することなく、年内で「片が付いた」のは大変喜ばしいことなのです。一方で、いわゆる「推薦入試組」の学力は、一般入試を経た子よりも明らかに見劣りするのが実情であり、特に入学後の教養科目である英語や数学の基礎的学力が大きく劣る場合、一般教養科目で単位を落とす=留年や極端な成績不振に陥る可能性も否定できません。来春には2月・3月まで必死になって勉強した子たちが一緒に入学してくるという「現実」をしっかり認識し、そのような子たちに後れを取ることがないよう、次男には引き続きしっかりと学習させるつもりです。まだまだ「小うるさいオヤジ」をやめるつもりは毛頭ないのです(笑)。

 

今夜は三島にて次男の授業があり、長男も22時まで勤務です。二人は私が車で連れ帰るのですが、妻も呼んで行きつけのラーメン屋で「祝杯」をあげようと、今から楽しみな私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

塾にやって来る子は、多くの場合「勉強に不安がある子」です。当たり前といえば当たり前なのですが、「学力不振」の原因は、「勉強不足」や「遊び過ぎ」といったありきたりの理由ばかりではないのです。その「原因」を見つけ出すことこそが、マンツーマン指導ならではの特性だと、個人的には考えているのです。

 

決して有能だとはいえない一教師が、バラバラの個性を持った30人の子供たちを一手に引き受けること自体、土台無理な話なのです。そういう意味では、学校の先生には大いに同情すべき点があるのですが、だからといって生徒をぞんざいに扱ったり、パワハラ的な言動をするのは、公教育を担う「一公僕」としては明らかに「失格」でしょう。

また、子供にとっての「人間関係」は、ほぼすべて「学校」なのです。そこでひとたび「うまくいかなくなった」なら、子供にとっては学校での日々が、即「地獄の日々」となります。上述のような複合的な「負の要素」が絡み合って、「勉強どころではなくなる子」が増えてきているような気がしてならないのです。

 

親にも相談できず、ましてや学校の先生などには口が裂けても言えない「実情」を、無理矢理「吞み込みながら」何とか「生きている子」たちに、勉強に割くための時間的・精神的余裕などないのです。この「真実」をしっかり把握するため、指導する側の我々としてもできる限りの時間と手間を投入するのです。

「原因」さえわかれば、あとはそれらに対処する術を模索すればよいのですが、子供自身はともかく、保護者様に理解を得ることに苦労することも多々あります。嫌でも社会の一員に組み込まれている大人にとっては、大人なりの価値観があることは大いに理解できますが、一方で「学校」に翻弄され、疲弊し切っている子供にそれを強いるのは、決して得策とは言えないのです。

 

「誰にも相談できないこと」を口にするのは、誰にとっても愉快なことではありません。時間をかけて信頼関係を構築しつつ、少しずつ「真実」を明かしてもらうこと、学校で問題を抱える子供が「学力向上」を目指す第一歩が、まさにこの点にあるのではないかと、私は考えているのです。

 

もはや「学校」は「学ぶ場所」ではなく、「社会性を学ぶ場所(本当に学べるかどうか、疑わしいのだけれど)」と割り切った上で、勉強は「(塾などの)別の場所で!」と考えた方がよいのかもしれません。いずれにしても、「学校」という場所が、誰にとっても「楽しい場所」となることを願わずにはいられない水曜日の朝なのでした。

 

頑張りましょう!

中3生の皆さんの中には、現在履修している単元、例えば数学ならば「相似の証明」や「二次関数」、英語で言えば「関係代名詞」など、「こりゃ、難しい!」と嘆いている人が少なくないと思います。

静岡県においても「内申書偏重主義」が跋扈しており、定期テストの結果を意識せずにはいられないのが実情ですが、11月末に控える「学力調査」や、2月・3月の入試においては、「難解な問題」だけが出題される訳ではないという事実を、再度認識し直していただきたいのです。

 

例えば「数学」においては、学力調査や入試における冒頭で、必ず数問の「計算問題」が出題されます。全体の4分の1程度は基本的な方程式の計算問題などを含む「比較的簡易な問題」が占めているのです。更には「資料の整理」や「確率」など、数学の「本筋」とはやや異なる「覚えておけばできそうな問題」もなぜか必ず出題されており、これらをミスなく完璧に解答できれば、たとえ後半部分の難解な問題が「全滅」だとしても、全体の半分近くの点数を確保することができるのです。もっとはっきり言えば、3年生で学ぶ難解な単元が「できなかった」としても、1・2年生で学ぶ比較的簡単な単元さえマスターできれば、最低でも半分程度の点数は取れるということなのです。志望する高校の難易度にもよりますが、必ずしも難問を解くことが必須ではない高校も多く、どの部分に力を入れて学習を進めるべきなのか、という事実は自ずと見えてくるのではないかと思います。

 

受験直前期になると、どうしても解けない難問にぶち当たり、焦りを隠せなくなる受験生を見かけるのですが、焦燥感をじっと堪えて、まずは「既習範囲の復習」に力を入れてみてはどうでしょうか?その学習がそのまま重要なテストの得点源となるのは明らかですし、難解な問題を解くための「助け」となるかもしれません。

考えてみれば、数学において「一次方程式」が解けない子が「連立方程式」が理解できる訳がありませんし、ましてや「二次方程式」なんて、もはや「未知の世界」でしょう(笑)。特に数学と英語は「積み重ねの科目」ですから、現在学校で学んでいる単元がどうしても理解できないようであれば、勇気をもって「既習範囲をやり直す」選択も必要なのではないかと、私は考えるのです。

 

「できる子」も「できない子」も混在する公立中学校の中で、周囲の子たちの動向が気になってしまうことは無理からぬことだとは思いますが、自らの志望校に求められる「学力」を冷静に分析し、合格のためには何が「必要」で、何が「必ずしも必要ではない」のか、しっかりと見極めることが重要だと思います。

「急がば回れ」という言葉の通り、時には勇気をもって「振り返る」ことも必要なのだと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!

塾には全く関係がない話題です(笑)。

我が家は以下の画像のように駐車場内に垣根が設置された造りになっています。

その垣根の真ん中に、少しだけスペースがあるのです。松林に囲まれた中にある家なので、垣根の中にも松葉がびっしりと敷き詰められているような感じなのです。その垣根の中で、何やら「気配」を感じたのでした(笑)。

垣根の陰から可愛らしい顔が見えました。私たちが声を掛けても決して逃げることなく、じっとこちらを見ています。体もふっくらしていて、野良猫には見えません。おそらくどこかで飼われている猫なのだと思うのですが、人に見つかりにくく、それでいて松葉のベッドでフカフカのこの場所は、「お昼寝」にはぴったりなのかもしれません(笑)。

 

母は、「チンに似てる!」と。「チン」とは父が末期の癌を患っていた頃、飲み屋のママさんから貰ってきた子猫でした。ちょうどその頃は私も妹も大学生活のため家を出ていたところで、父としてはきっと寂しかったんだと思います。

父の死後、悲しみに暮れる母に毎晩「添い寝」してくれたのも「チン」でした。母が父の死から何とか立ち直った頃、「もう俺の仕事は終わったぜ!」とばかりに、ふっといなくなってしまったのです。そんな「チン」の思い出に、母は心を馳せていたのかもしれません。

 

「下手に猫に餌を与えちゃうと、居ついちゃうから!」

 

と、家族に対して猫に餌をあげることを固く禁じている母でしたが、実はこっそりと魚のアラをあげにいっていることを、私は知っています(笑)。

 

妻は「ミーちゃんに似てる!」と。「ミーちゃん」は妻が独身時代に実家で飼っていた猫でした。私も何度か見たことがありました。文字通り「猫可愛がり」していたようですが、どこの馬の骨ともわからない男が突然飼い主の前に現れて、「どうやらお家を出ていくらしい」という事実を「猫なりに」悟ってしまったようなのです。妻が嫁に行く少し前に、「ミーちゃん」は「チン」と同じく、忽然と姿を消したのでした。

 

母も妻も、自宅の敷地内に勝手に「お昼寝場所」を確保する猫に、それぞれの想いを抱いているようです。そんな「おばあさん」や「おばさん」たちに、勝手に「妄想」されているこの猫には同情を禁じ得ないのですが(笑)、かく言う私も、

 

「今日も来ているかな?」

 

と、垣根の中を確認せずにはいられなかった、日曜日の朝なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

以前、以下のような記事を書きました。

「逆張り」などという言葉がありますが、「天邪鬼」が如く、人から与えられた指示の「真逆」を平気で繰り返す親子があまりにも多く、時々嫌になってしまうことがあるのです(笑)。

 

以前、「短期間で何とか!」と、受験まで残り数か月の段階でお預かりした「中学受験生」がいました。本来ならお受けしたくないところだったのですが、その当時在籍していた塾生の保護者様からの紹介でもあったため、

 

「どこまで指導できるかわかりませんが・・・」

 

との条件付きで入塾を許可しました。

 

首都圏でのケースとは異なり、地元の中学受験については、さほど難易度が高いものではありません。きちんと「指示通り」学習してもらえば、「何とかなる」可能性は決して低くはありませんし、現にこれまでの塾生たちは「何とかなって」きたのです。しかしながら、合格可能性を見出していくためには、こちらの「指示」に従っていただく必要があるのです。

この「指示」とは、受験当日の学力のみならず、願書の提出時から実行しなければなりません。当塾ではウケのよい「志望理由書」の書き方から指導しており、これは受験生のみならず、保護者様にも徹底して順守していただかなくてはならない内容なのです。このあたりの指導は「中学受験」を指導している他塾様でも同様であると思われますし、最低限「守っていただかなくてはいけない」内容であるはずなのです。

 

ところが、前出の親子は、見事に「やってくれた」のでした(笑)。

 

私や講師が何時間もかけ指導し、ようやく書き上げた「志望理由書」について、

 

「こう書いた方が大人っぽいから!」

 

という親からのアホみたいな理由で大幅に「改訂」し、私に無断で提出してしまったのです。文字通りの「事後報告」を、なぜか「やってやったぜ!」と自慢げな態度で受けた私は、これまでの苦労は何だったのだと、全身の脱力感を禁じ得なかったのでした(笑)。

この親子は学習指導時も勝手に宿題の内容を変えてしまうなど、そもそも他人の指導など真摯に受け取らない性格だったようですが、やっぱりというか、無事にというか、入試は失敗に終わりました。このようなケースにおいて、「不合格なのは塾が悪い!」などと言われても、こちらとしても大変困ってしまうのです。だって、何ひとつ言うこと聞かなかったじゃん(笑)。そもそも、何のために塾に通おうとしたの?と改めて聞いてみたい気分なのです。

 

勉強に限らず、何事においても「セオリー」というものがあるはずで、どのような手法を取ろうが、基本的な知識や技術を習得しなければ応用は効かないものであるということを理解すべきなのです。何よりも「月謝」を払って塾に来ているのですから、その分の知識やスキルを吸収してやろう!という貪欲な姿勢こそが重要だと思います。

「自己流」が通用するほど「受験は甘くない!」という事実を、しっかりと認識してください。「株」の世界でもあるまいし、「逆張り」などで「遊んでいる」暇はないのだということを心に刻んでいただきたいと強く願っております。

 

頑張りましょう!

 

静岡県の高校受験生にとっては、進学における最重要なテストである「第2回学力調査」を1か月後に控え、いよいよ「直前期モード」に突入といった感じなのです。

 

この時期は「理想と現実」を見つめ直す時期でもあり、少々の危険が伴うのを覚悟の上で「理想」を突き詰めるか、あるいは「現実」を受け入れて合格可能性が高い高校に「進路変更」するのか、厳しい判断を迫られます。その際に重要となるのが、模擬試験結果などに代表される「現状における学力分析」であり、これを欠くこととなれば、適切な進路指導が難しくなってしまいます。

 

当然のことながら、当塾においても随時模擬試験を実施しているのですが、今年は少々問題が発生しているのです。9月に依頼した模擬試験の結果が、10月末の現在においてもまだ送られてこないのです。

ちょうど今頃は第2回学力調査前の「三者面談」の時期であり、塾などで実施した模擬試験の結果についても、進路選定においては少なからず参考にされるはずなのです。9月に実施した模擬試験の結果を11月に返却されても、「受験情報」としてはもはや「陳腐化」しており、全く意味をなさなくなってしまっているのです。

 

先日この件についてメールにて問い合わせたのですが、受信確認の自動返信が届いたのみで、何の反応もありません。お恥ずかしい話なのですが、「塾業界」というのは、このようないい加減な企業があまりにも多いような気がしてならないのです。

私どもは小さな塾なので、大手塾と比べて受験者数は微々たるものです。おそらくは「上顧客優先」で、私たちのことなどはなから相手にしていないのでしょう。私の予感では、

 

「ヤベ!忘れてた!今から送っておけば大丈夫だろ!」

 

とシレっと結果を送付してくるのではないかと思います。ですが、今さら必要ないので「受け取り拒否」してやろうと思っています(笑)。

ちなみに、この業者の指定した締め切り期日も守っていますし、送受信履歴の証拠ももちろんあります。このまま何のアクションもなかったり、あるいは前述のように今になってシレっと結果だけを送付して済ませようとするのであれば、この業者との「お付き合い」はこれっきりにしたいと思っております(笑)。

 

巷の商売においては「同業者組合」があり、商売敵ながら時には助け合って行動することもあるようですが、「塾業界」においては、少なくとも近隣の同業者と交流がある塾はほとんどないのではないかと思います。それどころか、「足の引っ張り合い」ばかりしていて、「共栄共存」の精神など全く皆無なのです。かく言う私自身も、交流がある同業者といえば、箱根を越えた場所にある塾長さんで、よくよく考えればやっぱり「おかしい」業界なのです。

 

とにもかくにも、塾生たちに迷惑を及ぼす輩は看過できないので、徹底的に糾弾しようとは思っております(笑)。このような悪しき「現状」こそが、私が「塾業界」に辟易としている点そのものであることを改めて認識し直した、不快指数MAXの金曜日なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

少し前の記事ですが、気になる内容が書かれていたものを見つけました。

 

当然の如く「IT化」が進む教育環境の中で、「IT先進国」のひとつであるスウェーデンが紙媒体での指導に「回帰」するとの記事でした。

 

先般のコロナ禍において、公教育の停滞を救ったのは、他ならぬ「IT」でありました。当塾においてもオンライン授業を積極導入し、現在においても一定数のオンライン授業を継続しています。その中で、オンライン授業における指導の「効率化」について、日々「経験則」が積み重ねられ、ブラッシュアップされているのが実情です。コロナ禍における数少ない「効用」のひとつだと言えるでしょう。

一方で、記事にも指摘されている通り、紙媒体・印刷媒体を使用しない、ひいては「書く」ことを省いた手法による影響もあってか、子供の読解力の低下や、物事を「整理して考える能力」が著しく低下している印象は、当塾のような小さな塾においてもひしひしと実感しているところでもあるのです。

 

現状の公教育におけるIT化については、言葉を選ばずに言えば「野放図」そのものであり、タブレット等のIT機器が、専ら学習だけに利用されていると考えている方は、かなり「おめでたい」人だと思います(笑)。一部の私立中学や高校などでは、学習以外の用途では使用できないような様々な規制をかけているところもありますが、こと公立学校の場合は子供に「与えっ放し」という状況が多いのです。学習意欲に大いに欠ける親子に、自由にネットにアクセスできる「道具」を無秩序に与えてしまえば、どのような結末に陥るのかは、火を見るよりも明らかでしょう。

 

言うまでもなく、ITは学習において極めて有効な手段であり、上手く利用すれば効率よく学習を進めていけるツールであることは疑いがありません。一方で、紙媒体・印刷媒体という、あえて「旧態依然とした不便なもの」と格闘することによって得られるスキルも、また重要なものでもあるのです。どちらかに傾斜配分することなく、様々な手法の「いいとこ取り」を模索していくことこそが、学習指導を担う者の責務ではないかと、ぼんやりと考えた水曜日の朝なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

最近は学校生活において少なからず「ストレス」を感じる子供が非常に多いように感じます。決して簡潔かつ一律に語れるテーマではないのですが、私自身の「経験則」から、少し考えてみることにしました。

 

当塾では様々な「学習上の障害」を抱えるお子さんが通塾されています。適切な治療を受け、お子さんを「預ける側」と「お預かりする側」がある程度の「共通認識」を持っていれば、中長期的なスパンで見た時には一定の「成果」が期待できます。このようなケースは当塾においても少なからず経験しているのです。

一方で、子供自身は勿論のこと、保護者さえも我が子の「個性」に気づかないケースが多々あるのが実情なのです。何だかよくわからない「普通の子」というカテゴリーに縛られ、「普通の子」であることを「強要」されている子を何人も見てきました。

 

「うちの子に限って・・・」という常套句を多用し、現実を直視することなく、何の「善後策」を検討することさえなく、状況は日々悪化していくという事例を、何度も目にしてきました。適切な治療や指導を受けられていれば、ここまでの状況には至らなかったはずなのに、と私自身も口惜しい気持ちでいっぱいになってしまうのです。

決して学習能力が劣っている訳ではないにもかかわらず、中学生(あるいは高校生)たる自覚に乏しく、周囲の空気を全く「読めない」、受験直前期に至っても、何の根拠もなく「何とかなるさ!」と極めて弛んだ雰囲気を醸し出していることが、他の受験生から煙たがられていることさえ「気がつかない」のは、やはり「普通ではない」のです。

 

公教育という学力レベルが多様な環境の中において、頻繁に「雰囲気を乱す」という行為が、何の躊躇いもなく、というか全く罪悪感のないまま平然と行われている実情を「寛容」という言葉で許していいものなのか、私にはわからないのです。確実に言えるのは、保護者たるものは我が子をつぶさに「観察」することが「義務」であり、必要に応じて適切な処置を施さなければいけないこと、そして「指導する側の責務」として、どのような事情があるにせよ、「やる気溢れる子」の環境を厳守することだと、私は考えているのです。

 

「普通であること」の定義は実に難しいものではありますが、いずれ社会に出ていくであろう子供たちの「未来」を考えれば、「寛容」という言葉だけで簡単に事を済ますことだけはすべきでないと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!