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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

本日は月一度の「受診日」でした。

 

今回はちょっとうっかりしていて、内科と歯科の受診日が被ってしまい、先日急遽歯科の受診日を変更していただきました。私が通院している歯科は、どうやら私が感じているよりも「人気歯科」なようで、変更した受診日が8月中旬のお盆明けになってしまいました。血糖値が落ち着いて以降、かつては出血が続いていた歯茎も全く問題がないので、歯科は多少受診日が延びても大丈夫でしょう。

 

本日はどうやら「一番乗り」だったようで、いつもはそこそこ埋まっている駐車場も私の車だけしかありませんでした。9時受診開始のはずでしたが、採尿や採血は9時前にして頂き、9時ぴったりには先生とお話しすることができました。

 

糖尿病患者にとって最も重要な指標である「HbA1c」は、前回同様の「5.9」、服薬を減量している中では上々の数値だそうです。本来であればさらに薬を減量する予定だったのですが、体重が2キロほど増えていることが判明し、今回は前回同様の投薬量となりました。

若干体重が増えてしまった原因には大いなる「自覚」があります(笑)。ここのところの猛暑で、極端に「外に出る」機会が減りました。そうなると運動量自体が大幅に減ってしまうこととなり、カロリーの消費量が少なくなってしまうのは当然のことなのです。食事の量や内容はほとんど変わらず、指標も良好にもかかわらず、適度な運動量を確保しなければ、体重は少しずつ増加してしまうようです。当然と言えば当然なのですが(笑)。

 

とりあえず今回も大過なく受診を終えることができましたが、猛暑の中での「運動量」をいかに確保していくのか、という新たな課題が見つかったような気がしています。完全にパターン化しつつある食事の内容にはすっかり慣れてしまいましたが(笑)、そもそも「カロリーを消費する」という点においては、まだまだ改善が必要なようです。職種柄、椅子に座っていることが多いので、ただでさえ運動量が不足気味な生活の中で、いかに効率よく「カロリーを消費していく」のか、なかなかに難しい問題を抱えることとなってしまいました。

 

しばらくの間、さしたる用もないのに、教室の中をウロチョロする私がいるかもしれませんが、私自身の「健康維持」のため、ご容赦頂けますと幸いです(笑)。暑い日が続きますので、皆様も熱中症には十分にご注意ください!健康を維持しつつ、何とか猛暑を乗り切りましょう!

 

頑張りましょう!

私の愚息(長男)は少々イカれたところがあります(笑)。

 

体調が悪く、病院を受診した際に出される処方薬を服用して、「すぐに」効果が現れないと、

 

「あの医者はヤブ医者だ!」

 

と騒ぎ立てることが多々ありました(笑)。「飲めばすぐ効く薬」などあったなら、それこそ全世界の医者は即日廃業に追い込まれるはずですし、何よりもあまりにも強烈な「即効性」がある薬など、逆に怖くて飲めません(笑)。毎日きちんと服用することによって、日々薄皮を剝ぐように少しずつ良くなっていくのが「薬の効能」であることは間違いがないのです。その点、倅はまずは「常識」を持つことを学ぶべきなのかもしれません(笑)。

 

話は変わりますが、子供の能力開発、とりわけ左脳の活性化には「指先の訓練」が重要であることは、数多の実証にて証明されています。身近な例で言えば、ピアノやそろばんなどを幼少期に訓練しておくことは、後の能力向上のために極めて有効だと言えるでしょう。

ただし、それらの訓練は決して「即効性」が期待できるものではないということは理解しておくべきでしょう。当塾はそろばん教室を併設していますが、幼少期にそろばんの訓練をした子と、そうでない子の「差」は、高校・大学受験で如実に表れることを実感しています。単純な計算の「速さ」や「正確性」は、時に入試の合否を左右するほどの重要性を持ちます。

 

数年先の「受験」を見越して、幼少期からそろばんを学ばせる保護者様が増えています。特に中学受験を志す場合は、受験勉強と並行してそろばんを学び、基本的な計算の鍛錬を重ねるケースが多いのです。このような方針は非常に「理に適っている」と言えるでしょう。

繰り返しになり恐縮ですが、そろばんを学んでいるからといって、すぐに学校での「成果」が期待できるものではありません。一方で、幼少期に計算の訓練を重ねた子とそうでない子の「差」は、私共のような「指導させて頂く立場の人間」から見れば、文字通り「一目瞭然」なのです。努力家で、ほとんどの教科の成績が上々であるにもかかわらず、数学だけはどうしても点数が伸びず、その原因が単純な計算のケアレスミスやスピード不足である生徒が、毎年一定数存在します。このような子供たちが、幼少期に基本的な計算の訓練を重ねていたら、きっと「進路」は変わっていたに違いないのです。

 

「お勉強」と捉えるならば、少し敷居が高くなってしまうかもしれませんが、ピアノやスイミングなどと同義の「習い事」と捉えて頂き、幼少期における「そろばん」の訓練を強くお勧めする次第です。

「即効性」こそありませんが、3年後、6年後にきっと「効果」が現れることでしょう。

 

頑張りましょう!

今年もいつのまにか甲子園大会の静岡予選が「決勝」まで進んでいたようです。かつての高校球児でありながら、近年の「高校野球」には全く興味がないので、すっかり忘れてしまっておりました(笑)。

 

「公立高vs私立高」などというテーマにスポットを当てて、下品なスポーツマスコミが「煽り記事」を書くことに精を出しているようですが、学生スポーツ、とりわけ高校スポーツの「商業化」もほどほどにしてほしいと心から願います。

 

現在、静岡県の高校入試では「裁量枠」なるものがあって、学力的に「合格ライン」に少々足りなくとも、部活動における技量や実績によって「下駄を履かせる」行為がなぜか公然と認められるようになりました。もっと言えば、それ以前から「野球部枠」「サッカー部枠」などという「特別枠」が、強豪公立高校に存在していたのは、言わば「暗黙の了解」でした。もちろん私立高校はもっと大胆に行っていたことは確かですが、やっていることは「どっちもさほど変わらない」のです。

加えて言えば、公立高校にもかかわらず、「専用球場」と思しき施設を持っている高校もあり、施設面を見ても、「本当に公立校なの?」と疑わざるを得ないほどのケースもあるのです。いつぞやの夏の甲子園で準優勝した某公立高校は、立派な「室内練習場」まで備えているそうです。有力なOB・OGの有無もこのような「格差」を生む原因になっているのかもしれませんが、少なくともこのご時世において、「公立vs私立」などという「煽り」は、いささかナンセンスだと言えるのかもしれません。

 

学生野球の「本質」は、野球は勿論のこと、一人の学生として勉強を始めとする学生生活全般について「頑張る」ことだと思うのです。野球で「飯が食える」ようになる子はごく僅かですが、青春時代の貴重な時間を野球に、勉強に「頑張った」経験は、長い人生を生きていく上での大きな「糧」になることを、私は信じて疑いません。

野球に限らず、学生スポーツを取り巻く我々大人自身が、より「理性的」になるべきだと、私は常々考えているのです。

 

頑張りましょう!

静岡県の中学3年生は、9月の「学力調査」を終えると、より現実的な「志望校選定」を強いられていくことになります。

 

ここ数年、私が危惧しているのは、中学生自体の学力低下もさることながら、チャレンジ精神が決定的に欠落している子(親子)があまりにも多いという現実です。

 

志望校選定の際、

 

「目指すべき学校」

 

ではなく、

 

「(今の学力で)行ける学校」

 

を早々に選択してしまう子があまりにも多すぎるのです。

とはいえ、そんな子たちの心の中にも、思い描く「理想の学校像」はあるのです。にもかかわらず、受験に対する漠然とした不安から、そんな「夢」を簡単に諦めてしまうケースが多発している印象です。

この問題は生徒や保護者のみに責任がある訳ではなく、学校側の責任も極めて重大だと考えます。とにかく「不合格者」を出さないことを何よりも重要なことと捉え、夏の時点で生徒の志望校を決めさせてしまおうという姿勢では、受験勉強のみならず、残りの学校生活においても前向きに学習に取り組めるとは到底思えないのです。

 

「結果」について危惧することは決して恥ずかしいことではありませんし、受験直前ともなれば現実的な選択をしなければならないこともあるでしょう。しかしながら、過度に「結果」を恐れることは文字通り「愚の骨頂」ですし、何よりも自らの「夢」を簡単に諦めることが、その先の人生によい影響を及ぼすとは、私にはどうしても思えないのです。

 

努力の末に叶わなかった「夢」を恥じる必要はないのです。真に恥ずべきなのは、「努力する前に諦めてしまったこと」なのではないでしょうか?

 

「じゅくちょう、俺は〇〇高校を目指すよ!」

 

大風呂敷を広げるというか、ビッグマウスと言おうか、こんなことを恥ずかしげもなく披露する「おバカさん」が僅かながら存在します(笑)。ただ単に大口を叩いてなにもしないのは論外ですが、一見無謀とも思える「夢」に向かって遮二無二頑張る「おバカさん」たちを、私は愛して止まないのです。彼らのような存在こそが、いまだに私自身がこの業界の末席に身を置く理由の一つなのです。

 

受験に向けて、まだまだやれることはあるはずで、時間だって残されています。今はまだ「現実」に向き合う時期ではありません。何よりも、思い描いた「夢」をいとも簡単に諦めてしまうのはあまりにも残念なのです。他人に笑われようが、後ろ指をさされようが、

 

「この「夢」だけは譲れない!」

 

という確固たる信念を持つ親子を、これからも精一杯応援したいと思った土曜日の午後なのでした。

 

頑張りましょう!

いったい何をもって「普通」というのか、その定義さえ私には全くわからないのですが、それでも多くの「親」は我が子に「普通」であることを求めるケースが多いのです。

 

「せめて義務教育の知識くらいは我が子に身に着けさせないと・・・」

 

そんな「親心」で我が子を塾に預ける親御さんは実に多く、私どもとしては「教育者」などという大仰な自覚を持つことなく、一介の「教え屋」として、少しでも知識を身に着けてもらうべく、微力を尽くしているところなのです。

私自身、同じ「人の親」として、我が子に対する親の想いは痛いほど理解できます。一方で、少しばかり学習に問題がある子供たちをたくさん見てきた中で、私自身の「想い」が芽生えてくるのも、また確かなのです。

勉強の出来は「普通」には程遠いけれど、素晴らしい絵が描けたり、音楽的な才能が豊かな子もいました。苦手な分野を「頑張ること」は素晴らしいですが、それは誰にとっても決して「愉快」なことではなく、能力的にどうしても「できない」ことだってあるはずなのです。勉強に限らず、世の中の全てのことを「学び」と捉えるのであれば、「苦手なこと」に無理矢理従事させるよりも、「得意なこと」に集中させる方が、長い人生を考えた上では「得策」だと言えるのかもしれませんし、私ども「教え屋」でさえ、時には保護者様に具申することだってあるのです。

 

スーパーで「3割引」になっている商品が、いったいいくらになるのか、全くわからないのであれば、それは「勉強ができないこと」が実生活で障害になっていると言えるのかもしれません。まさに親御さんたちは我が子に対するこのような「将来」を心配して、少しでも知識を身に着けさせたいと強く願っているのですが、私どもはそんな「親心」を最大限くみ取って、「教え屋」の矜持をもってお子様たちの指導に当たっているつもりです。同時に、私たち自身もひとりの「人間」であり、「人の親」ですから、客観的に認められるお子様の「可能性」について、それが勉強以外の可能性であったとしても、随時保護者様にご報告させて頂き、お子様の「生きる術」を模索していきたいと考えているのです。

 

冒頭で「何が「普通」かわからない」と申し上げましたが、少なくとも当塾が「普通でない」ことだけは確かなようです(笑)。「ニッチ」で「微力」な「教え屋」だけれど、常に子供の「可能性」に目を向ける姿勢だけは堅持していこうと改めて感じた金曜日の午後なのでした。

 

頑張りましょう!

 

母が認知症を患ってからというもの、最も困っているのが「郵便物が届かない」ということです。

最初に断言しておきますが、これは決して郵便局の皆様の責任ではありません(笑)。我が家の「郵便受け」に郵便物はしっかりと届いているのです。その届いた郵便物を勝手に取り出して、どこかにやってしまっているのが、他ならぬ「母」なのです。

 

既に隣近所の皆さんにはその旨を伝え、回覧板などは自宅に隣接する沼津教室に届けていただけるようにお願いしました。市役所からの母宛の郵便物についても、私名義で送って頂けるように手配済みです。このブログにも書きましたが、先日母は市役所からの介護認定通知や介護保険証を勝手に「握り潰して」しまい、私自身が市役所まで出向いて、諸々の書類を再発行していただいたことがありました。市役所の担当者様曰く、認知症の方のこのような行動は決して珍しいことではなく、郵便物については家族の職場などに送付してもらう等の手続をとっている方が意外と多いとのことでした。

 

母は何度も「郵便受け」に向かい、酷い日には30分おきに郵便物を確認しに行ってしまいます。私が思うに、家族に見られると「都合が悪い」郵便物があるのではないかと思うのですが(実際のところ、母は様々な悪徳業者に騙されており、長年にわたってそれを私に知られないようにしてきた「前科」があります)、それでも頭がしっかりしていた頃は家族宛の郵便物については一応は「仕分け」できていたものの、現在は自分宛の郵便物以外は「不要物」と認識してしまっているようで、家族宛の郵便物は、文字通り「そのへんにポイ!」なのです(笑)。数日間は溜めていたであろう私宛の郵便物(請求書)の合計金額が5万円を超えていた時には、我が母ながら軽い殺意を覚えてしまったほどでした(笑)。

 

「郵便受けを取っ払えばいい!」

 

「郵便受けに鍵をかけてしまえば!」

 

物理的に「郵送物に触らせない」手段を取ることは確かに有効なのかもしれませんが、一日に何度も郵便受けを確認することが、現在の母の「ルーチンワーク」となっている中で、そんな僅かな「お仕事」さえも奪ってしまうことに、家族として少なからず逡巡があることも確かなのです。決して「治らない」病気であること、日々少しずつ症状が進んでいく母の姿を見るにつけ、母がその生涯を終えるまで、家族として「いかにあるべきか」考え続ける日々が続くのだな~と、何となく感じた木曜日の朝なのでした(笑)。

いや、もしかすると、このままでは母より先に私が「参って」しまうのかもしれません、踏ん張らねば!(笑)。

 

頑張りましょう!

随分久しぶりの記事になってしまいました。

この1か月間は非常に忙しかったこともあったのですが、何よりも「心」が疲れてしまっておりました。この件については後日改めて記したいと思います。

 

近隣の小中高では既に「夏休み」に入っています。この長期休暇は学習の「遅れ」を取り戻す絶好の機会であり、また「先取り」的な学習に取り組む時間的余裕が生まれる時期でもあるのです。連日の猛暑においては、無理に外出などせず、エアコンが効いた快適な部屋で勉強に明け暮れる「夏」を強くお勧めする次第です(笑)。とりわけ静岡県の中3生にとっては、夏休み明け早々に「学力調査」が控えています。出題内容の6割から7割が「1・2年生の学習範囲」から出題される第1回学力調査において、既習範囲の復習を徹底して実行できる機会は今夏をおいて他にないのです。県下の高校受験生たちの頑張りを大いに期待しております。

 

高校受験生に限らず、中学受験生や大学受験生にとっても、今夏をいかに有意義に過ごすのか、ということが極めて重要であるということは疑いの余地がありません。そもそも受験というものは押しなべて「学力」が試される機会であり、そこをひたすら強化するのが「受験勉強」であり、「受験生」たる所以でしょう。

当然のことながら、世の中には「勉強」よりも大切なことは山ほどあるのです。本来であれば、受験においても勉強面以外の「個性」を尊重し、合否判定の重要な要素に組み入れるべきなのかもしれませんし、実際にそのような多様な価値観を入試時に最大限尊重する学校もあるのではないかと思います。

 

一方で、100人、200人と「合格者」を選択しなければいけない「現実」の中においては、すべての受験生の「個性」や「人格」を正確に把握し、正当に評価することには無理があります。中学・高校・大学でそれなりに難解な学問を修めていく中においては、入試時において「最低限の学力」を求めることには、一定以上の合理性があるのは当然のことなのです。

 

「型にはめる」というと言い方が悪いのですが(笑)、学校側の「求められる生徒像」に合わせていく「作業」が、受験において非常に重要になるという事実は決して否定できないものなのです。加えて、「勉強」というたったひとつの側面においても、「頑張った!」という事実は称賛されてしかるべきものだと、私は考えているのです。

子供それぞれが持つ「個性」を尊重しつつ、将来にわたってその「個性」を遺憾なく発揮できる環境を整えるため、「今は「頑張り時」だ!」という意識を忘れてはいけません。本当の意味で子供自身が溢れる「個性」を発揮する時期は、苦しい受験期を乗り越えた「その先」にあるのだと、私は考えているのです。

 

受験生の皆さん自身は勿論のこと、受験生の保護者の皆様にも、ぜひお子様に「今、何が求められているのか?」よく考えて頂きたいと強く感じた、久々のブログ更新なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

本日は金曜日、母が「そろばん教室」に出勤する日です。

 

率直に言えば、私をはじめとする母の「関係者」は皆、母に「振り回されている」状態で、かなり疲弊しております。にもかかわらず、本人には全く悪気がないどころか、逆に、

 

「仕方がないから、私が君たちにしてやった!」

 

という態度なので、ホトホト参っております(笑)。特に常に母について頂いているS先生のご苦労は大変なものだと思います。何とかしなければなりません。

 

世の中には様々な「病気」がありますが、最も恐ろしいのは「自覚症状がない」という例だと思います。そういう意味では、母は全く「自覚症状」がなく、本人自身は至って「正常」だと考えて、とんでもない行動をしているのですから、周囲の人間は非常に困惑してしまいます。

介護認定のため、市の職員が我が家に訪問されてから既に1か月が経過しようとしています。包括支援センターに相談してからは2か月経過し、もうとっくに介護度の判定結果が送られてきているはずです。前回の市からの通知も母が「握り潰していた」ので、無意識か意図的かにかかわらず、おそらく今回も母が隠しているのだと思いますが、

 

「私はまだまだしっかりしている!」

 

という根拠のない母の「自信」が続く限り、現在のような「困惑の日々」がまだまだ続いていくのではないかと危惧しています。私はともかく、母を取り巻く人たちが、母のせいで大きな迷惑を被ることだけは何としても避けなければいけないと思っています。

最近は、

 

「車で買い物に出かける!もう運転だってできる!」

 

と家中を「家探し」して、車の鍵を探し回っています(もちろん車の鍵は長男が厳重に管理しています)。可能な限り「従前どおりの生活」を送らせてあげたかったのですが、ここ最近の急激な変化を見るにつけ、そろそろ「次の一手」を考えなければいけないかもしれない、と痛烈に感じているところです。

 

母がこのような事態に至って、私自身も少なからず考えさせられることがありました。母に対する周囲の「評価」についても、否応なく耳にすることになりました。父が末期がんを患った時、「かわいそうだから」と最後まで「告知」に反対していたのも母でした。自らの現状を正しく認知できていないことが、まさに人生の最後を迎えようとしている母にとって、果たして本当に「幸せ」なことなのか、私を含んだ母の周囲の人間すべてがきちんと考えなければいけない時期に来ているのではないかと感じています。

 

ひとつだけはっきりしているのは、いずれにしてもこのままでは「難しい」ということだと思います。何とかしなければ!

 

頑張りましょう!

学習塾は「勉強をするところ」であるのは当然のことなのですが、マンツーマンで指導にあたる中で、思わぬ「発見」に遭遇することが多々あります。そしてその「発見」に対して、なかなか「価値」を認めてもらえない現実に、やきもきしている私がいるのです(笑)。

 

当塾では中学生はもちろんのこと、中学受験を志す小学生や大学受験生もいます。一方で、少しだけ学習に対して問題を抱えていたり、学校に通えない子も在籍しています。少ないながらも多様なお子さんをお預かりしているのですが、それぞれにキラッと光る可能性が垣間見れるのです。

 

勉強はからっきしだけど(笑)、休み時間に描く絵はまさに「プロ級」の出来で、何としてもこの特性を伸ばしてあげたいと思えるお子さん、一方で保護者様は「人並み」の学力を得ることを強く望まれています。私自身、同じ親として保護者様のお気持ちは痛いほど理解できます。ただ、特に芸術の分野において一際異彩を放つのは、このような個性的な子たちであることは「歴史」が証明しています。明らかな「特性」であり、「能力」であることは疑いようがないのですが、この点を認めてもらえない現実は、私にとっても口惜しい限りなのです。

 

中高生の指導をする中で目立つのは、「基本的な計算力」の有無が際立っていることです。一見して努力家で、相対的なテスト結果も決して悪くはない子が、なぜか「数学」だけは点数が伸びないケースが散見されます。おそらくは幼少期に計算の鍛錬をあまりしていなかったのだと思うのですが、中学生になってからでは単純な計算の鍛錬をする時間的余裕がありません。難問が理解できないのでは決してなく、単純な四則計算でケアレスミスを連発し、かつ時間がかかり過ぎている子を見るにつけ、私自身もとても悔しくなってしまうのです。

一方で、全体的な成績は振るわないにもかかわらず、計算だけは実に速く、正確な子もいて大変驚かされます。幼少期に公〇式やそろばんをやっていた子がこの例に当てはまることが多く、幼少期の計算の鍛錬がいかに重要なのかを痛感しています。今は学力全般が振るわない現状ではありますが、何かの「きっかけ」で「大化け」する可能性があるお子さんであり、私ども「指導する側」の責任も重大だと考えています。

 

かように個々のお子さんにはそれぞれの「個性」や「才能」があること、大人はそんな子供たちの可能性を「発見」し、「伸ばして」あげることが責務であると、私は考えているのです。「未来」と「可能性」に溢れる子供たちを日々目の当たりにできる私は、それなりに幸せではないかと、何となく感じた月曜日の午後なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

もう10年以上前になりますが、とある私立中学の1年生が入塾してきたことがありました。

 

彼の中学では学力別にクラスを分けていて、当時彼は「上位クラス」に所属していたものの、成績は最下位で、次回の定期テストが振るわなければ、下位クラスに落とされるという、言わば「切羽詰まった」状況でした。

彼の学習への取り組み方を観察すると、「問題ない」というか、むしろ懸命に取り組んでいる様子が窺えました。それでも「成果」が上がらないというのは、学習の方向性に問題があるとすぐにわかったのです。

以後は学習の方向性を「ちょっとだけ」修正してあげただけで、彼の成績は急上昇したのでした。入塾3か月後の定期テストでは見事クラス1位、最下位からトップまでたった3か月で上り詰めるという「離れ業」をやってのけてくれたのでした。その後、彼は結局大学入試まで当塾に在籍してくれて、最終的には無事某国立大学に進学したのでした。

 

彼は学習の方向性にやや問題はあったものの、当然のことながらしっかりとした「学習習慣」が定着していました。このようなお子さんは、ちょっとした軌道修正をすることにより、短期間で劇的に状況が改善することがあります。成績が上がれば、本人の学習に対するモチベーションも自然と高まり、好ましいサイクルで次々と状況が改善していきます。こうなると、私があれこれと「お小言」を言わずとも、子供自身が勝手に「頑張って」くれるのです。子供本人は成績が向上して嬉しいし、私も楽ができて、全員が幸せな状況となります(笑)。

 

一方で、学習習慣が全く定着していない子の場合は、そう易々と状況が好転するはずがありません。まずは通塾することで継続的な学習習慣を定着させることから始めます。既習範囲に未理解な点があれば、遡って「やり直す」ことも決して珍しくはありません。少なくとも学習面においては、これまでとことん怠惰な生活を送り続けてきたのですから、これを矯正することは並大抵のことではありません。一朝一夕に成し遂げられることでは決してなく、保護者様はもちろんのこと、指導する側の我々にとっても少なからず忍耐が求められるタフな作業となるのです。

 

「注射一本打てば、すぐによくなる!」ようであればこんなに楽なことはありませんが、勉強というものはそんなに甘いものではないのです。時間はかかるけど、こつこつと積み上げていけば必ず状況は改善するという「信念」を抱きつつ、根気よく子供に向き合っていくほか、状況を改善する手立てはないという事実を、しっかりと認識して頂きたいと強く願っております。ぜひお子様を暖かくも長い目で見てあげてほしいと、強く感じた金曜日の午後なのでした。

 

頑張りましょう!