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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

今週末は母の認知症、とりわけ「徘徊」に振り回されてしまいました。

 

金曜日の授業中、妻から何度もLINEの連絡が入っていたのですが、その時は授業中でもあり、すぐには確認できなかったのですが・・・

 

母は私が三島に出勤した後、フラフラと出歩き始めたそうです。それに気がついた仕事帰りの妻が、昼食も取らずに母を追いかけて保護してくれたようなのですが、それが実に3回も繰り返されたようで、妻もクタクタになっていました。妻のみならず、お隣の奥様も一緒に探してくれたようで、我が家のみならず、近隣の皆様にも大変なご迷惑をおかけしてしまいました。

 

さらに私の帰宅後、妹から母の「怪しい電話」の一覧が記載されたメモを渡され、対応をお願いされました。着信履歴で調べたそうですが、発信履歴の方も確認しなければなりません。

取り急ぎ着信履歴を調べたところ、驚きの事実が判明しました。

 

詐欺不動産屋から数件(詐欺不動産屋については、母が私の連絡先を拡散しまくっているため、現状私のスマホにも恐ろしいほどの数の着信があります)、関西方面からの謎の電話が数件、ネットで有名な「押し売り詐欺業者」から数件(「古本の回収に行く」という名目で押しかけ、古本以外の貴重品を安価で持ち去る手口、ちょっと自宅の中を調べてみないといけないかもしれません)、証券会社、保険会社、常備薬の営業から数件、うち数件は来週に来訪する約束までしていました。もちろん私たち家族には何も告げないどころか、自分自身もはっきりとは覚えていない有り様で、いったどこから手を付ければよいのか、という悲惨な状況でした。

 

加えて夜の非常識な時間に、母の「宗教関係の友達」から突然連絡があり、日曜日の朝に宗教施設に出かけないか、というお誘いの電話まであったそうです。この友達連中は母よりも年上、独居老人のため諫める家族もおらず、まさに「無敵の人たち」なのです。小奴らについてはすぐに私から折り返し電話して、かなり強い口調で「勝手に母を連れ出すな!」と釘を刺しておきました。それでも日曜日はどうしても行きたいという母の希望があり、私が朝から車で伊豆まで送ることを約束したのです。

 

ここまでが金曜・土曜までの話です(笑)。

 

そして日曜日の早朝、まだ日も昇らない時刻に妹から連絡があり、

 

「やっぱり母さん、行かないって。」

 

とのこと、昨夜からの騒ぎはいったい何だったのだと(笑)、じっと座っていられる自信がないとのことだそうですが、だったらなぜ昨夜の時点で決められなかったのか・・・

「正常ではない人」に対応しているのですから、仕方がないと言えば仕方がないのですが、これ以上振り回されると家族の方が先に「やられてしまう」感じがして、何だか恐ろしいのです。

 

まずは週明けに保険会社や証券会社に連絡し、事の経緯を確認すること、転送電話の設定を申し込んだので、設定が終了次第固定電話を撤去し、かかってくる電話は全て教室に転送すること、そして火曜日には急遽ケアマネージャーさんに来訪していただくことになり、要介護度の見直しと徘徊への対策について、ご相談差し上げるつもりです。

 

ここ最近はウイークデーよりも週末の方が疲れてしまいます。こうしている間にも、どこかへフラフラと出歩こうとする母の姿を見て、言い知れぬ不安を感じざるを得ない私なのでした。

 

頑張りましょう!

先般の「コロナ禍」は、人類にとって大変な試練となった出来事でした。私共私塾の世界においても、通塾が難しくなるなどの深刻な影響が頻出しました。願わくば、あのような事態は二度と訪れてほしくないと、心から感じます。

 

それでも、人間は「生きていく」上で、何事からも「学び」を得なければいけないと、私は考えているのです。教育業界において、コロナ禍での数少ない「功績」のひとつは「リモート授業の発展」だと思います。

倅たちの大学の授業においても、コロナ禍から数年が経過した現在、教授が出張等で遠隔地にいるケースなどでは、授業形態を急遽「リモート授業」に切り替えて実施できるという大きなメリットが生まれています。「窮すれば通ず」の言葉通り、困難な時期でも何とかしよう!という精神が、新たな手法を生み出す源泉なのかもしれません。

 

当塾においては、コロナ禍よりずっと前から「オンライン授業」を実施していましたが、コロナ禍を契機にその量が大きく増加し、現在においても一定量の授業はオンラインにて実施しています。当塾においてはその利便性からZOOMを利用していますが、学校ではその他のソフトを使用することが多く、学校支給のタブレット端末にはアプリをインストールすることを禁じている学校がほとんどで、塾においてオンライン授業を行う場合は新たに端末が必要となってしまいます。そのため当塾では、一定数のノートパソコンを常備し、必要に応じて塾生に貸し出すようにしています。それらのパソコンを管理するのは、他ならぬ私なのです(笑)。

新品のパソコンを揃えられるほどのゆとりがあるはずがないので(笑)、折を見て中古品を仕入れているのですが、今回仕入れたのは上記の写真のものです。見た目は実に綺麗で、まだまだ使用可能なように見えますが、ここに「コンピューターの落とし穴」があるのです(笑)。

とにかく「起動」が遅いのです。立ち上がるのに10分以上かかってしまいます。SSDを使用し、メモリも十分、それでも遅すぎるのです(笑)。設定も変更し、BIOSも最新のものに入れ替えたのですが、それでもダメ、ただ、ひとたび立ち上がってしまえば、実に快調に動作するから、また不思議なのです(笑)。これ以上は私の手に負えず、残念ながら「お蔵入り」となりました(笑)。

 

私自身、パソコンについては素人の域を出ず、日々四苦八苦しているのですが、それでもなぜか「楽しい」のです。「ダメだと思っていたこと」がある日「できるようになった!」り、新たな発見があったりすると、なぜだかワクワクしてしまう私なのです(笑)。

失敗さえも楽しむこと、私のパソコンとの戦いは、日々こんな感じで流れていくのです(笑)。

 

頑張りましょう!

私どもは「個別指導塾」ですので、塾生各人との関係性は、学校や一斉指導塾とは異なり、より深いものとなっています。

「頑張っている子」の様子は手に取るようにわかりますし、逆に「怠けている子」の様子も容易にバレます(笑)。私たち教える側の講師もひとりの「人間」ですので、ノリノリで指導することもあったり(笑)、逆に大いに苦労させられることもあるのです。

 

黙っていても学習を進めようとする意欲的な子を担当した時は、教える側としても必死なのですが、とにかく時間が経過するのが早く感じてしまうものです。あれもやりたい、これもやらなければ、とセカセカとしているうちに、あっという間に90分が終了してしまう感じですね。こういう子は宿題を10ページ課しても、勝手に20ページ以上やってきてしまう子もいて、ただでさえ時間が足りない状況の中で、こちらがストップをかけることさえあるのです。このような子を指導すると、確かに疲弊はするのですが、言ってみれば「爽やかな疲れ」であり、当然のことながら子供の成績も間違いなく向上します。

 

一方で、「やる気」という概念を、すっかりどこかへ置き忘れてきたような子もいます(笑)。入塾当初はまったくやる気なし、ただただ時間の経過を待つような子は、教える側としても「嫌な疲れ」が蓄積しますし、なかなか時間が進まないものです(笑)。それでも、こんな子でさえ何とか最低限の「やる気」を喚起し、自ら学習に取り組む姿勢を醸成していかなければなりません。まさにこの点が我々の「腕の見せ所」といえるでしょう。ただ、繰り返しになり恐縮ですが、なかなか時間は進みません(笑)。

 

同じ「90分」でも、その時間感覚は状況によって様々に変化するようです。この事実を把握するためには心理学的アプローチが必要なようですが、現在大学にて教育心理学を学んでいる次男の研究テーマになり得るのではないかと、ふと考えた次第です(ちょっとテーマが壮大過ぎるかもしれませんが(笑))。「机上の空論」ではなく、「現場感覚」で、しかもごくごく単純化して考えれば、どの子にとっても、

 

「え?もう授業時間終了なの?」

 

というくらいの時間感覚を会得することができれば、まず間違いなく成績は向上していくものでしょう。

頑張ってもサボっても、同じ「90分」なのだから、その時間だけでも集中して取り組んでみることを強くお勧めいたします。そうすればきっとまた別の「世界」が見えてくるのだと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!

当塾のような零細塾であっても、20年以上継続していれば、かなりの数の「卒塾生」を世に送り出していることになります。学校や大規模一斉指導塾とは異なり、当塾のようなマンツーマン個別指導塾では講師と塾生の関係性も濃密であり、それぞれの塾生に、ぞれぞれの「忘れ難い思い出」があるものです。

 

小学生後半から中学まで、ほとんど「不登校」で過ごした彼が、当塾を訪れたのは小学4年生の時でした。

ご家庭の事情がやや複雑で、その複雑な事情が彼の性格にそのまま現れているような感じがしていました。誰もが「腫れ物に触れる」ような扱いで自らに接してくることが、逆に彼自身の心を閉ざしてしまっているように、私には感じられたのです。

 

「学校に行かないやつ、宿題をやってこないやつは税金を払わない大人と一緒だ!」

 

私もまだ若かったので、かなりきついことを言ったと思います(笑)。日々私に叱られ、それでもなぜか、毎日「一番乗り」で塾にやって来た彼の姿を見るたび、私の方が何だか不思議に感じてしまったものでした(笑)。きっと彼は、「ズカズカと土足で入り込んでくる」私のような存在が、実に「珍しい生き物」のように映ったのではないかと思います。私の𠮟責に対して、嬉々として塾での日々を楽しんでいた彼が、高校の卒業式において「皆勤賞」で表彰されたと聞いたときは本当に驚きました。人間は変われば変わるものだな、と(笑)。小学4年生から高校3年生まで当塾に在籍してくれた彼は、私にとっては到底忘れることができない「悪ガキ」であったことは確かなのです(笑)。

 

先日、ふと某SNSを見ていると、その彼が結婚し、お子さんができたことを報告していました。実に幸せそうな「家族」の様子が、私にとってもとてもうれしく感じられました。彼のお母様は、いまだに私を見かけると、

 

「先生がいなかったら、あの子の人生がどうなっていたかわかりません。ありがとうございます!」

 

と勿体ない声をかけて頂いています。彼も「人の親」となって初めて、「親の子に対する気持ち」が理解できることでしょう。現在の彼の幸せが、決して彼一人のものではなく、親はもちろんのこと、「塾のおっさん」まで幸せを感じることができるという事実を、決して忘れないでほしいと強く感じているところです。

 

彼の子はまさに私の「孫」みたいな存在で、どおりで私も年を取るはずだ、と今更ながら実感してしまった水曜日の午後なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

テストにおいて「わからない問題」が出題されると、その問題が気になって仕方がなく、他の問題に時間や労力を十分にかけることができなくなって、結果としてテスト全体が「うまくいかなかった」という経験をされた方がいるのではないかと思います。

 

「難しい問題」に強いこだわりを持ち、果敢にチャレンジすること自体は大変素晴らしいことですし、それこそが「学習の本質」だと言えるのかもしれません。一方で、「同じ問題」を「同じ時間内」で解き、「点数を競う」テストにおいて、特定の問題への過度な「こだわり」は、まさに「百害あって一利なし」だという事実を、決して忘れてはならないのです。

 

学習理解度が「ほぼ同じ」でありながら、テストにおいては驚くほど「差がついてしまう」原因は、まさにこの点にあるのです。ひとつの「難問」に対して、その「難易度」と「解答を導くまでの所要時間」を考慮し、他の「十分に解答可能な問題」を解くための「ゆとり」をいかに確保するのか、瞬時に比較検討して、最も効率的に問題を解いていくことこそが、テストにおいて高得点を得るための重要の要素であることは疑いの余地がないのです。

 

受験は「戦略」であることを決して忘れてはなりません。

 

「その問題が解けなければ、合格できないの?」

 

あえて「難問」を捨ててまでも、「できる問題」の確実性を上げることを優先する方針こそが、入試などの重要なテストにおいて「結果」を求める際には必須であることは言うまでもないのです。

 

テストにおいての「価値観」は100%「得点の結果」であり、その得点は「難問」であっても「易しい問題」であっても同じであるのは言うまでもないことです。「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、各論ばかりに終始して、全体の評価を見誤り、独りよがりな対応に終始していると、思わぬ「落とし穴」に嵌る結果になりかねないのです。同じような「理解力」でありながら、テストにおいて思うような結果が得られない子は、きっとこのような極めて非効率な対応を常態的に行っているものと思います。このような実に「もったいない」状況は、すぐにでも改善しなければなりませんし、そのためには塾などの第三者的な視点から、客観的に指導・改善していくことが「効率的」なのではないかと、私は考えているのです。

 

子を持つ保護者様としては、我が子が「対処不能」な問題に出くわすたびに、言い知れぬ不安に陥ることがあるでしょうし、そのお気持ちは痛いほど理解できます。一方で、テストにおいて「求められていること」とは何なのか、今一度冷静になって考えてみる必要があるのかもしれません。

 

妙な「こだわり」が、子供の真の「実力」を阻害していることもあるのです。

 

頑張りましょう!

大学で「学ぶ」目的は、人それぞれだと思います。

 

資格を取得して将来就くであろう職業に生かそうとする者や、研究者を目指してひたすら机に向かう者もいるでしょう。絶妙なバランスで卒業に必要な最低限の単位だけ取得し、あとは旅行やアルバイトなど、「若者の特権」を大いに満喫しようとする者も少なくないでしょう。皆それぞれ「目的」を持って、決して法律を侵すことなく(笑)、日々全力で物事に取り組むことができれば、どのような選択をしてもそれはそれで素晴らしいことだと、私は考えているのです。

 

先日、次男が大学生ビブリオバトルの予選で名古屋に出向いた話を書きましたが、実はその直前にも東京までとある出版社主催のビブリオバトル大会に参加していました。親としては交通費で頭が痛いのですが(笑)、それでも遠方でありながらも嬉々として参加しようとする次男を見るにつけ、「何とかしようか!」と考えてしまうダメな父親なのです(笑)。

 

東京でのビブリオバトルでは、出版社(そこそこ有名な出版社です)主催ということもあり、当然そちらの社員さんが何名も関与されていたそうなのですが、そのうちの何人かの方と交流を持つことができて、名刺も頂いてきたとのことでした。次男にとって大好きな本を作っている出版業界の「最前線」に直接触れることができ、次男としても少なからず「思うところ」があったようなのです。

 

「俺、出版社の営業か編集者になってみたい!」

 

「目立ちたがり屋」ではあるものの、あまり自己主張をすることがなかった次男から、初めておぼろげながら近未来のビジョンを聞くことができて、親として少々驚きました。様々な経験を通じて、「子供の未来」は形作られていくものなのです。大学というモラトリアムな時間の中で、いったい何をすべきなのか、ただただ漫然と「貴重な時間」を浪費している学生は、ほんの少しだけ考えてもらいたいと強く願っているところです。

 

せっかく大学まで進んだのだから、勉強も遊びも趣味も、全力で取り組めばよい(ただし、4年で卒業できる範囲で(笑))、それこそがキャンパスでの座学以上に「大人への階段」を登るための「学び」になるのだということを、私は信じて疑いません。

 

不景気で、先の見えない世の中ではあるけれど、自分の足で街に出てみれば、まだまだ「楽しいこと、面白いこと」はあるはずなんですよ。それこそが大学生たる「学び」ではないかと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!

本日は土曜日、次男が「大学生ビブリオバトル」東海地区予選のため、新幹線で名古屋まで出向いていました。もともと静岡市までは通学定期券があるので、静岡駅手前の草薙駅までは東海道線で、静岡駅からは新幹線を利用したようです。

 

草薙駅には「草薙球場」という伝統ある球場があります。この球場はかの有名な沢村栄治投手がベーブルースやルーゲーリックなど、当時のスーパースターを擁したアメリカチームに対して快投を披露した場所であり、球場敷地内には沢村投手のモニュメントも設置されているのです。

 

さらには、この球場こそが、私自身が高校生活最後の試合の舞台となった球場なのでした。私にとって忘れ難い場所のほど近くにある大学に倅たちが通っていることには、何だか運命的なものを感じてしまうのです。

 

ところで、次男のビブリオバトルの結果ですが、見事「予選通過」とのこと、また来月にも名古屋に出向くそうなのですが、予選通過者の「特典」として、来月参戦時の「交通費」は大会運営に半額負担していただけるそうです。学割と合わせれば、格安で名古屋まで行けるそうで、親としても経済面においてはほっとしているところです(笑)。

 

実は先週は長男が就職関係で名古屋まで出向いており、やはり次男同様、来月も名古屋に出向く予定だそうです。もう二人でしばらく名古屋で暮らせばいいのに、とちょっとだけ考えてしまいました(笑)。そういえば、私も大学院は名古屋近郊でした。関東圏の大学に通っていた身として、当時の名古屋の「暮らしやすさ」に大変驚いた記憶があります。私はちょうど「バブル期」に大学生活を送った影響もあってか、首都圏は家賃などの物価も極めて高く、実に「暮らしにくい」印象でした。一方で同時期の名古屋は、中心部は首都圏に負けないほどの都会的な雰囲気を醸し出しているものの、地下鉄に20分ほど揺られれば、都会の喧騒から一線を画した、実に自然豊かな場所に誘ってくれました。首都圏に比べれば家賃もびっくりするほど安くて、私にとってはある種のカルチャーショックを感じたほどでした。現在の名古屋はどんなふうに変わっているのでしょうか?それとも(いい意味で)変わっていないのでしょうか?機会があれば、今度は私自身も久方ぶりに訪れてみたいと強く感じた月末の土曜日なのでした。

 

でも名古屋って、静岡と同じ「東海地方」ではあるんだけど、沼津や三島からでは、東京に出る方が圧倒的に近くて便利なんですよね(笑)。

 

頑張りましょう!

9月中旬からは、公立・私立問わず、各高校が受験生のために「一日体験入学」等々のアピールの機会を頻繁に催すようになります。受験生の皆さんは、ぜひこの機会を有効活用して「志望校選考」の参考とするようにしましょう。

 

高校入試や大学入試においては、志望校選考にあたっての重要な「根拠」として、その学校の「合格難易度」を重視します。これは至極当然のことであり、自らの「合格可能性」を考慮しつつ、慎重に受験先を選択するのは「当たり前」ですね。現時点において明確な「将来へのビジョン」が描けていない人は、「とりあえず難関校に入りたい!」というのは極めて普通の考え方だと思いますし、私自身も大学入試においてはそのような考え方でした。

 

上述のような「合格難易度」による志望校選定にも少なからず意味がありますが、一方で「難易度に依存しない」志望校選定も、また立派な選択肢のひとつだと、私は考えているのです。

 

当学区には公立の農業高校があります。

私が高校の頃は農業専門の高校がいくつかあったのですが、現在では校名に「農業高校」と謳っているのは、少なくとも静岡県東部においてはこちらの学校だけだと思います。

同じ公立高校でも、「普通科の進学校」と比べれば、正直なところ「合格難易度」はさほど高くはありません。きちんと「最低限の学習」を継続していけば、入学できる子も少なくはないでしょう。一方で、「合格倍率」は例年極めて高めに推移しているので、油断は禁物なのですが。

 

実業高校に進学することは、もしかしたら高校卒業後に大学などへ進学する際は、普通科の卒業生よりも学力的にはやや不利になるかもしれません。それでも、当塾の卒塾性で、この農業高校に進学した生徒たちは、皆が皆、生き生きと高校生活を送っているように、私には見えるのです。

動物が大好きな子は、早朝に通学して牛舎や豚舎のお掃除をすることが楽しくて仕方がないようです。お花などの植物が好きな子は、きれいな花を育てるためには、少々臭いがきついたい肥を畑に蒔くことだって「へっちゃら」なのです。きっと体力的にも精神的にも「キツい」ことがあるとは思うのですが、それでも彼らは嬉々として日々の「学習」に取り組んでいるように、私には見えるのです。

 

「好きなことを学べる」ということは、もしかしたら「合格難易度」なんかよりも、ずっと大切なことなのかもしれません。そういう意識こそが、少々の困難なら乗り切れる!という気概を生むことに繋がるのではないかと、私は考えているのです。

 

もちろん普通科の高校に進学し、受験勉強を頑張って、大学進学後に本格的に専門的な研究に取り組むことも素晴らしいと思いますし、それもひとつの立派な「将来への青写真」でしょう。それでも、中学卒業時点で自らの明確な「将来像」を描き、「自分が本当にやりたいこと」を一所懸命に実践する若者は、私のようなおっさんから見ても、何だか眩しく見えてしまうのです。彼らにとって重要なのは、高校で「何をするのか」であり、「合格難易度」などは大した問題ではないのです。

 

ところで、当塾からその農業高校に進学した塾生にはひとつの「義務」が課されます(といっても、私が勝手に決めたのだけれど)。それはその農業高校の学園祭で販売される無添加の「いちごジャム」を、必ず「じゅくちょう」に届けること(笑)、このジャム、実に美味しいのです!何とも言えない美味しさのジャムを味わう度に、彼らの充実した高校生活が目に浮かぶような気がする私なのでした。

 

頑張りましょう!

以前ブログにも書いたのですが、最近は加齢の影響もあってか、授業終了後に「スタミナ切れ」に陥ることが多く、残務を処理できないまま休んでしまうことが多いのです。その分翌日の作業が大変になってしまうことと、「変な時間」に目が覚めてしまうことが、私にとっての目下の課題でもあるのです(笑)。

 

昨日の水曜日も諸々忙しく、帰宅後に軽い食事をとって休んでしまったのですが、やっぱり朝5時頃に目が覚めてしまいました。せっかく早く起きたので、昨日の残務でもこなしておこうと外へ出たのですが、そこで衝撃的なシーンに出くわしてしまいました(笑)。

 

最近沼津教室の周辺が「ちょっと臭うな」とは感じていたのですが、その原因が分かったのです。

当地は海岸線にほど近く、松林に囲まれた場所で、よく言えば「風光明媚」な土地柄であり、「犬の散歩」などには最適な場所ではあります。早朝には何人もの人たちが愛犬の散歩にやってきます。ほとんどの愛犬家は「まともな方」だとは思うのですが、ごく一部「とんでもない奴」も紛れ込んでいるようです。

 

まさに沼津教室に入ろうとした瞬間、おそらくは私と同じくらいの年齢の男が、飼い犬に何のためらいもなくおしっこをさせていました。これだけなら何ら珍しくない光景ですが、何とこの飼い主、沼津教室の建物に直接犬のおしっこをかけさせていたのです。その後、「水鉄砲(本当に水鉄砲でした)」でほんの少しだけ水をかけて、当たり前のように立ち去ろうとしていました。そこに私がやって来たものだから、そのおっさんは慌てて、

 

「おはようございます!」

 

などと挨拶していましたが、当然無視(笑)、逃げるように立ち去ろうとするおっさんを鋭い眼光で一瞥する私なのでした(笑)。

我が家に限らず、ペットの糞尿問題については近隣でも大変困っていて、絵心のあるお隣さんはこのような看板を設置されています。私にも絵心があれば同じように「警告」したのに、自らのあまりの芸術的センスのなさに、今更ながら非常に残念に感じているところです(笑)。

 

このおっさんについては、ある程度確信犯的に犯行に及んでいるので、次に見かけた際は必ず「詰めて」やろうと思っています。道端ならいざ知らず、教室の建物に直接糞尿をかけさせる行為は、もはや「犯罪」です。身元を確認して、小奴の自宅に私がおしっこをかけに行ってやろうかと、半ば本気で考えているところなのです(笑)。この手の問題は「ペット」の問題ではなく、「飼い主のモラル」の問題であることを、決して忘れてはなりません。

 

これはあくまで私の偏見なのかもしれませんが、若い世代の愛犬家たちは、比較的きちんと糞尿の処理をされていく方が多いような気がします。この手の問題を起こすのは、少なくとも私の周辺では「おっさん・おばさん」ばかり・・・同じ世代の「おっさん」として、ただただ恥ずかしく感じた、木曜日の朝なのでした。

 

まったく朝から気分が悪い!

 

頑張りましょう!

勉強はきっとごく一部の「天才」以外にとっては、決して「愉快なもの」ではないと思います。かく言う私自身も、こんな商売をしていながらも、勉強が「三度の飯より好き」なんて、口が裂けても言えないのです(笑)。

 

それぞれが「勉強」の先に「志望校」があり、「理想の職業」があるからこそ、少々の困難が生じても「勉強」を受け入れるのは当然のことなのです。もちろん個々の「能力差」はありますが、それでも「学んできたこと」すべてが無駄や徒労に終わることなどあるはずがないのです。しかしながら、生まれてこのかた一度も主体的に勉強に取り組まなかった子は、「今が良ければそれでよい」という極めて幼稚かつ刹那的な考えのもと、「サボり」を繰り返してしまいます。本来であれば、親たる人間が身をもって範を示すべきなのですが、そういう点から考えれば「親の責任」は子供以上に重いと断じざるを得ないのです。

 

一方で、そんな怠惰に怠惰を重ねる子たちが能力的に問題があるのかと言えば、決してそのようなことはないのです。「地アタマ」という点においては、むしろ「平均以上」である場合も散見され、実に「もったいないな~」と感じることが多々あります。

勉強を「サボる」手段も実にレパートリーに富んでいて(笑)、

 

「今日は病院に行かなければならないから休みます」(塾のある日に何度も通院日を設定する方が不自然で、そんなに通院の必要があるなら、いっそしばらく入院すれば?(笑))。

 

「友達が亡くなったので、お葬式に出席するためお休みします」(友達の次は親戚、そして家族(笑)。そんなに不幸が重なるなら、一度「お祓い」に行くことを強くお勧めします(笑))。

 

「家族で食事に出かけなければならないので、今日はお休みします」(なんか優先順位、間違ってない?(笑))。

 

よくもまあ、これだけ「ゴタク」が並べられるとある意味感心してしまいますが、こんな「ゴタク」が並べられるだけでも、あながち「アホ」ではないと、私は思うのです。「勉強」を回避するためにはそれこそ「何でもする」姿勢、その極めて前向きかつ積極的な姿勢を、ほんの少しでもいいから勉強に振り向けてくれたら、きっと新たな人生の「可能性」を見出せると思うのですが・・・

 

まあ、程度の差こそあれ、子供というのは「こんなもの」です。問題なのは、このような我が子の現状を漫然と黙認している「大人」の責任なのです。塾は勉強を教えることはできますが、「躾」まで責任を持つことはできかねます(それでも、できるだけのことはするつもりではいますが)。

 

ぜひ「今日や明日」だけのことでなく、中長期的な未来のことをよ~く考えて、自らの行動を振り返って頂きたいと強く願っているところです。

「取り返し」がつかなくなる前に、ぜひ。

 

頑張りましょう!