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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

この歳になると、男性は「頭頂部」が寂しくなる方が多いと思います(笑)。加齢の影響であったり、男性ホルモンの分泌が旺盛であったり、あるいは遺伝的な影響があったりと種々原因はあるとは思いますが、とにかく髪が薄くなっていく人が目立ち、それはそれで自然な流れだと言えるのでしょう。

30代半ばの頃、中学校の同窓会があり、200名以上の同窓生が出席した盛大な宴だったのですが、その際にかつては「イケメン」で鳴らした同級生が、頭頂部を見事に輝かせている姿を目の当たりにし、

 

「神様って、意外と公平だな!」

 

などと罰当たりな本音を吐露したこともありました(笑)。

 

翻って私はというと、年甲斐もなく「フッサフサ」なのです(笑)。最近は「もみあげ」の部分が真っ白になってしまったのが悩みの種ですが(笑)、それでも「毛量」自体は明らかに「年齢不相応」なのです。しばらく散髪にもいっておらず、アタマが鬱陶しくてたまらない現在の私なのでした(笑)。

 

私の父は52歳の時胃がんで亡くなりましたが、抗がん剤を投与する際、医者から、

 

「抗がん剤の副作用で髪の毛がすべて抜け落ちてしまうと思います。」

 

と宣言されたものの、ついぞなくなる瞬間まで、父の髪の毛は一本たりとも抜け落ちることはありませんでした。体質にもよるとは思うのですが、我が家は代々強靭な「毛根」を持つ家系のようです(笑)。

私と父の共通した身体的特徴は、眉毛などの「顔回り」の毛はかなり濃いのですが、一方で「すね毛」などは極端に薄いのです(笑)。父が生前、風呂上がりの私の姿を見て、

 

「お前は何でそんなにすね毛が薄いんだ!いったい誰の子だ!」

 

と驚くようなことを言われたことがあったのですが(笑)、そんな父のすね毛もやっぱり「極薄」でした、間違いなく「あんたの子だよ!」と(笑)。

 

「塾長」という立場からすれば、「これまで頭(頭脳)を酷使してきた証拠」として、少々頭髪が薄くなってきているくらいが「威厳を保つ」ためにはよいのかもしれませんが(笑)、幸か不幸か現在の私は「フッサフサ」なのです。あらゆる成人病を網羅している割には薄毛の兆候は全く見られず、その点については私自身も実に不思議だと感じているところなのですが(笑)、きっと、

 

「もう年なんだから、多少ハゲたっていいじゃん!むしろ面白いかも!」

 

などとお気楽に捉えていること自体が、「頭髪のストレス」にとってはよいことなのかもしれないと、どうでもいいことを考えてしまった水曜日の朝なのでした(笑)。

 

今は植毛やウィッグの技術もかなりのものらしいですから(笑)。

 

頑張りましょう!

私がブログを書くのは、通常早朝や深夜など、比較的時間に余裕がある時が多いのですが、稀に授業の合間など、忙しい時間帯の「すき間時間」にササっと書く場合もあるのです。まさに昨日の記事などは、その「稀な例」なのでした。

自分で見返しても、内容はともかく(そもそも普段から内容がある記事など書けていないので(笑))、あまりにも誤字脱字が多く、句読点の打ち方も微妙なのです(笑)。きちんと推敲されていないというか、「やっつけ仕事」なのが見え見え状態であることを隠しきれていないのです(笑)。我ながら、実に「恥ずかしい」ことをやってのけてしまいました(笑)。

 

(誤)「子供隊」→(正)「子供たち」

 

(誤)「返ってきます」→(正)「帰ってきます」

 

普段子供たちに誤字脱字について厳しく指摘していながら、全くもって恥ずかしい文章でした。やっぱり何事もきちんと「見直し」をすること、そのための時間的ゆとりを確保できるよう、スピード感をもって対処しなければならないことを改めて痛感した次第です。

 

今回は私の実に拙い文章の例でしたが、定期テストや入試においても、きちんとした見直しや検証をしないまま「テストを終了」してしまい、結果としてケアレスミスを重ねてしまう人がいると思います。ケアレスミスを集計すれば、20~30点ほどになってしまうケースもあり、それは入試においてはまさに「合否を分ける」レベルにまで到達してしまっていると言っても過言ではないでしょう。

難問を解くことをマスターするのは一筋縄ではいかないものですが、ケアレスミスの撲滅については、「その気さえあれば」誰にだってできるはずなのです。難問をようやく解いた「5点」も、ケアレスミスを未然に防いだ「5点」も、同じ「5点」に変わりがないことをしっかりと認識すべきなのです。

 

私の実に拙い文章を見て、

 

「このおっさん、やってるな~。これはとても恥ずかしいから、私は気を付けないと!」

 

と思ってくれる人が一人でもいたら、それだけでも恥ずかしい思いをした甲斐があったというものです(笑)。「防げるミスは、必ず未然に防ぐ!」という強い意識のもと、重要なテストに臨んでほしいと強く願っているところです。

 

もともと文才のない私ですから、ブログ記事の内容については実に薄っぺらいものになってしまうのは致し方ないことなのですが、せめてアホみたいな誤字・脱字だけは極力減らしていかなければ、と強く感じた火曜日の朝なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

今週末からとある私立中学では「修学旅行」に出かけるそうです。

その行き先は「ロンドン・パリ」だそうで、正直ちょっと羨ましい(笑)、コロナ禍以降、また海外に修学旅行に行けるようになって、本当に良かったと思います。

 

私の次男は「運の悪い子たち」であり、小学校・中学校とも「まともな修学旅行」に行けずじまいでした。特に酷かったのは中学の修学旅行で、何と「沼津散策」とのことでした。沼津駅界隈を半日散策するという、遠足にも劣るチープさだったのですが(笑)、いくらコロナ禍とはいえ、あまりにも先生たちの工夫が足りないのではないかと感じてしまいました。当時の報道では、大井川中学の若い先生たちが、遠方に泊りがけで修学旅行にいけない生徒たちのために、静岡空港にお願いして普段は立ち入ることができない空港内の施設を見学したり、富士山の山頂を飛行機で遊覧飛行してくれたりしたそうです。日帰りで、かつ極めて身近な場所ではありましたが、テレビに映る子供たちの表情はキラキラと輝いていたように私には見えたのです。コロナ禍という困難な状況において、子供たちの「楽しい思い出作り」には、先生たちの責任は極めて重大だと感じざるを得ませんでした。

 

学校最大の「楽しい行事」である修学旅行が、これからも何の問題もなく、自由に、どこへでも行ける環境であることを強く願います。そして、困難な時ほど、大人が知恵を絞って子供隊の大切な思い出作りの手助けができる社会であることを、祈らずにはいられません。

 

来週後半には「ロンドン・」パリ」への修学旅行から塾生が返ってきます。その「思い出話」が今から楽しみで仕方ない私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

就職活動もひと段落した長男が、なぜか「大掃除」にハマっているようです(笑)。

大学を卒業すれば、もはや「勉強まで卒業!」と言わんばかりに(笑)、これまで溜まりに溜まっていた教科書類やノート類を一気に処分しているようです。これまでがあまりにも雑然とした様子だったので、掃除をすること自体は大変素晴らしいことなのですが、ここでちょっとした問題が生じてしまいました。

 

夜になって、私が教室で事務作業をしていたところ、母が教室の鍵を開けて(予備的に教室の鍵を隠してあるのですが、その隠し場所だけは忘れていないようです(笑))、ズカズカと2階まで上がって来るや否や、

 

「長男と次男が喧嘩していて、ママもしょんぼりしているからすぐに来てほしい!」

 

と切羽詰まった様子で訴えてきました。万が一このようなことがあれば、まずは当の本人である妻や子供たちから連絡があるはずなので、ちょっとおかしいぞと思いつつ、自宅に確認に行きました。

結果、ただ単に長男が一所懸命に掃除をしていただけ(笑)、廊下で妻や次男と会話していたことが、母には「喧嘩」だと感じたようです。妻や子供たちの名誉のために一応言及しておきますが、彼らは普通に話していただけで、特に口調がきつかった訳でもなかったようです。完全に母の「妄想」でした。

 

翌日(本日ですが)、やはり13時頃に母が突然やってきて(ノックや呼びかけをすることもなく、突然入ってきます。一応は妹が母の出入りを監視してはいるのですが、時には裏口から出ていったりと、妹の監視の目をすり抜けてまでやって来てしまいます。)、

 

「長男と次男が喧嘩していて怖い。お願いだから家にいて!」

 

と半べそをかきながら訴えてきました。昨日の今日でそんなことは絶対にないと思ってはいたのですが、確認すると、長男はまだ寝ており、次男は午後からの「お出かけ」のため準備中、誰も話さえしていない状態でした。

母の「妄想癖」はここのところ急速に進行しているようで、ちょっとここには書けないのですが、ご近所の方々についても誹謗中傷ともとれるような「妄想」を平気で口にするようになってきてしまいました。妻や子供たちには声が響く廊下では極力話をしないように伝えましたが、家族だけならまだしも、ただでさえ大変なお世話になっているご近所さんにまでご迷惑をお掛けするのは、非常に心苦しく感じてしまいます。

 

長男の「大掃除」から母の「妄想癖」がさらに進行してしまった感じですが、家族としてできる限りの対応をしなければならないと、改めて強く感じた日曜日の午後なのでした。

 

頑張りましょう!

一昨日は月1回の通院日でした。

 

先月から平日は2日のみの外来受付となり、混雑を避けるため朝一番の予約を取って出かけたのですが、それでもやはり駐車場はいっぱいで、早く元通りの外来日程に戻してほしいと強く感じました。

 

毎月恒例の「血液検査」では、HbA1cの値は前回よりもまた下がり、完全に「正常値」の範囲内、おかげさまでかれこれ1年近くは良好な数値を維持しています。むしろ採血時点での血糖値がやや低めで、低血糖には十分に気を付けなければなりません。インスリンの分泌機能が「かなりイカれてしまった」私でさえ、食生活に配慮さえすれば、種々の合併症の併発を心配しなくてもよい程度の状況に抑えることができることを、我が身をもって証明した形となります(笑)。この結果を受けて今回もまた処方薬が減量され、当初よりもかなり薬の量自体も減りました。糖尿病への対応としては、全体的には非常に良い方向に向かっていると思います。

 

良好な検査結果の一方で、体重は2キロほど増加してしまいました。食生活に大きな変化がない中での体重増加の原因は、ひとえに「運動不足」にあります。実はようやく酷暑が過ぎ、日々の寒暖の差が激しくなってきたあたりから、「持病」が疼きだしていたのです。

 

このブログにも何度か書きましたが、私は15年ほど前に「腰椎椎間板ヘルニア」に罹患し、手術寸前まで進行してしまったことがありました。手術前の「最後の賭け」でブロック注射を試したところ、これが劇的に効いて手術は回避となりましたが、以来腰には爆弾を抱えているような状態です。比較的温暖な時期は問題がないのですが、湿度が高かったり、季節の変わり目などは今でも多少の痛みが出るのです。

私のような糖尿病を持つ患者は、「腰の痛み」がいわゆる「腰痛」ではなく、「腎臓痛」であることも多いようで、診察前に先生から必ず背中に何発か「パンチ」を浴びせられ(笑)、腎臓からの痛みでないことを確認されるのですが、今回は従前より痛めている左側、加えて臀部への坐骨神経痛と思しき症状も出ているので、間違いなくヘルニアによる痛みだと思われます。

 

今の段階の痛みは、かつて味わった激痛と比べれば2~3割ほどだと思われるので(それでもすごく痛いのですが(笑))、ここで安静にして対処すれば大過なくやり過せることもわかっています。けれどもそれは「運動不足」という結果を招くこととなり、文字通り「あちらを立てればこちらが立たず」状態に陥ってしまっているのです(笑)。

 

体中のあちこちから不具合が続出して、年を取るということは本当に厄介なことだな、と感じつつも、既に父が亡くなった年齢を超え、あとは「オマケ」みたいな人生だからと、ある意味で高をくくっている私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

ベンジャミン・フランクリンという人物をご存知でしょうか?

政治家であり著述家であり、科学者でもある著名な人物で、アメリカ合衆国建国にも深く関わった、実に多才な人物です。当然歴史の教科書にも出てくる人物なので、

 

「知ってるに決まってるだろ!」

 

という人もきっと多いでしょう(笑)。

 

そんな彼はいくつも「名言」を遺していったのですが、その中でも私が最も印象に残っている一文があります。

 

「無知であることはそれほど恥ではない。学ぼうとしないことこそが、真の恥である」

 

なるほどと思わされる名言ではありますが、僭越ながら私の考え方とは微妙に異なるのです。確かに「無知」であることを必ずしも恥じる必要はありませんが、時に「無知」は「罪」にさえなり得ると、私は考えているのです。

このブログにおいて、私の倅たちの「奨学金」について何度か記事を書きました。経済的に困窮している中においても、数多ある奨学金の制度を「知っているだけ」で少なくない経済的援助を受けることができ、「進学」への可能性が広がるのです。このような制度の存在を知らない、あるいは知ろうとしないことは、みすみす若者の進学の機会を奪うことになりかねず、それはまさに「罪」としか言いようがないのでは、と私は考えています。

高度な情報化社会が進行する中、おびただしい数の情報が日々アップデートされていくのが現実ではありますが、それでも私たちは決して「知ること」を諦めてはいけないと、強く感じているところです。

 

前述のフランクリンの言葉、後段の「学ぼうとしないことこそが、真の恥である」という部分については、まさにその通りだと思います。入試に「結果」はつきものですが、大切なのは「結果」ではなく、目標に向かって頑張った「過程」であることは、このブログでも何度も訴えてきたつもりです。「目標のために学ぼうとする姿勢」こそが大切なのであり、その事実を決して忘れてはなりません。大風呂敷を広げながら、ちっとも努力をせず、親には自分にとって都合のよい「嘘」ばかりをついて、ただただその場を「やり過す」ことだけに執着している人間には、未来永劫「神様が微笑む」ことなどないでしょう。結果はともかく、「真摯に学ぼうとしない態度」こそ恥ずべきである、ということをしっかりと認識すべきではないでしょうか?

 

古の偉人たちは、現代社会にも通じる「予言」が如き「名言」を数多く遺していってくれています。「温故知新」という言葉もあるように、時には過去の偉人たちの「魂の叫び」に耳を傾けてみることも必要なのかもしれませんね。

 

頑張りましょう!

昨日、塾業界にとっては非常に景気の悪い話が報道されているのを目にしました。

 

そりゃそうです、子供の数は年を追うごとにどんどん減っているのですから、こうなることは明白なのです。私共のような中小零細は当然ですが、大手塾だって決して例外ではない、文字通りの「斜陽産業」が「塾業界」なのでしょう。

 

人生を終える準備を「終活」などと言いますが、そろそろ当塾としても「終活」の準備をしておくべきなのかもしれません。残念ながら志半ばにして倒産された数多の塾の現状は、私にとっても「明日は我が身」としか感じられないのです。

そんな中でも、受験シーズン目前になって、突如「夜逃げ」をした予備校があり、多くの受験生たちが困ってしまったケースがありました。塾の「終活」とは、塾経営者自身の今後の身の振り方を考えなければいけないのはもちろんですが、何よりも極力在塾生に迷惑を掛けないという準備もしておかなければならないと、強く感じます。恐らくは借金で首が回らなくなり、借金取りから逃げる形で教室を放置したものと思いますが、塾の管理者としては受験終了もしくは年度末までは何としても授業を維持することが「最低限の義務」なのではないかと考えます。それが難しいのであれば、あらかじめ塾生の「次の行き先」を探すために奔走したり、十分な猶予期間をもって教室を閉めることくらいは「しなければいけないこと」だと思っています。

 

私の場合はまだ教室があるわけですから(笑)、可能な限り教室が維持できるよう日々努めていくことは当然のことですが、今後ますます少子高齢化が進むことが確実な情勢において、前述した「塾の終活」について、真剣に考えておかなければならないと、強く感じたニュースでした。

このまま年寄りだらけになって、この国は本当に大丈夫なのでしょうか?当塾の存亡のみならず、国の行く末について少なからず不安に駆られる私なのでした。

 

頑張りましょう!

「親の役割は何か?」と問われた時に、その重要な任務のひとつが、

 

「恥を忍ぶ」

 

ことだと、個人的には考えています。

そもそも自分自身が大して勉強してこなかったのに、我が子には常に勉強を強いる(笑)、スポーツだって、苦しい練習に耐えかねて、早々にドロップアウトした割には我が子のスポーツには異常に熱心であったり(笑)、とにかく「親」という存在は矛盾だらけなのです。もちろん中には、

 

「私は全世界に誇れる、立派な人生を歩んできた!」

 

と自負する奇特な方もいらっしゃるかもしれませんが、多くの場合は「自らの過去を美化する」ことが大好きな、勘違いおじさん・おばさんであることは間違いがないでしょう(笑)。

 

我が子に対して、ほんの僅かな「成功体験」を説くのも大切ですが、手痛い失敗から得た教訓を伝えることも大事だと、私は考えているのです。その上で、親たる自分自身が「とてもできなかったこと」について、「恥を忍んで」我が子に強いることも、また親には必要なことだと私は思っています。

 

子供は親が考える以上に親のことをしっかり見ているものです。親が「我が子には隠したい過去」について、いかに親がひた隠しにしようとも、実は「よく知っている」ケースだって、私の経験上1度や2度ではありませんでした(笑)。

 

「お父さん、お母さんだってできなかったじゃん!」

 

そんな子供からの叱責にも耐えつつ、それでも親は「恥を忍んで」我が子に対処しなければならないと私は考えるのです。

親なんて、そんなに「偉い」もんじゃないのです(笑)。

 

親として、自らが子供の頃に「成し遂げられなかった」ことに対して、我が子が懸命に取り組んでいることを、一人の人間として素直に称賛しつつ、道から逸れそうになったり、投げやりになりそうな時には心の底から叱咤激励する(たとえ、親自身が道を逸れたり、投げやりになった過去があったとしても(笑))こと、それこそが親にしかできない「教育」ではないかと、私は考えているのです。

 

四六時中、我が子に「べったり」な親が「最適解」だとはとても思えませんし、「自分ができなかったから」と半ば放置することも「悪手」というほかありません。「親だから」と過度に構えることなく、「恥を忍んで」我が子に接することも、子育てにとっては大切なことではないでしょうか?

 

親自身が「自らが成し得なかったこと」に対して、愚直に頑張る我が子に対して、親としてぜひ「誇り」を感じてほしいと、強く願っている水曜日の朝なのでした。

 

頑張りましょう!

一昨日の母に関する一件から、本日午前、急遽ケアマネージャーさんに来訪頂きました。

まずはケアマネージャーさんと母との1対1での面談が行われました。私と妻、そして有休をとって仕事を休んだ妹と3人で陰からこっそり面談の様子を覗いていたのですが、支離滅裂な発言を繰り返す母にも根気強く付き合ってくれるケアマネージャーさんの様子は、塾において子供たちに対応する際においても大いに参考となるものでした。

 

その後、母を除いた家族との面談に移りました。

明らかに母の状況が悪い方に進んでしまっていること、とりあえず危険を伴う徘徊について急遽対策を講じる必要があること、ついては介護度の見直しが必要ではないか、という点において話をさせて頂きました。

ケアマネージャーさんからは、まずは家族の負担を減らすため、また母自身の「楽しみ」のためにもデイサービスを利用することを強く勧められました。これまでは母自身がデイサービスに対して強い拒否感を持っていて(自分は「まとも」だと信じて疑わず、施設に行くこと自体を拒否していました)、家族としても二の足を踏んでいたのですが、事ここに至ればそうも言ってはいられません。来週にでも体験的に訪問させて頂く段取りを整えました。

また「介護度の見直し」については、介護度が上がることにより介護保険で使用できる福祉器具が増えるというメリットがある反面、デイサービスの利用料等が上がってしまうデメリットもあり、個々の状況によって対応を考えた方がよいとのご指摘を受けました。特に徘徊対策の福祉用具については、私の一夜漬けの介護保険の知識では「要介護度2」からの摘要だと思っていたのですが(実際にそう書いてありました)、「例外」というか「附則」のようなものがあって、要介護度1であっても、医師の診断書やケアマネージャーの意見書を添えれば利用できるものの少なくないそうです。ケアマネージャーさんに資料を見せて頂いたのですが、「例外」や「附則」があまりにも多く、素人判断ではなく、「現役のプロ」に任せる方がベターであると強く感じた次第です。

 

今回、急なお願いをしてケアマネージャーさんにご来訪頂いたのですが、日々様々な問題を引き起こす母の現状に、家族みんながほとほと参っていた中で、非常にありがたく感じました。感謝!

 

引き続き午後は、先日母が家族に黙って加入しようとして、アポイントまでとっていたらしい保険会社に連絡、母自身の記憶が曖昧なので、事の次第を問い合わせました。当該保険会社の親切な対応もあって、こちらも無事キャンセルすることができました。あとはもう1件の保険会社と証券会社、それに通販の会社ですが、これらについては後日対応することとしました。

 

そんなこんなで、授業前にヘロヘロな私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

 

 

もう10年ほど前になりますが、当塾の「講師募集」に変わった方が応募されてきました。年齢は50歳を過ぎた女性、独身で一人暮らしだそうでした。とにかくその「風貌」が変わっていたのです。

 

「魔女」を思い浮かべて頂くと、そっくりそのままの格好をされていたのが彼女でした。全身真っ黒で、先の尖った帽子をかぶり、マントを羽織っておられました。ここまでくると、これはまごうことなき「魔女」なのです(笑)。

その「魔女(もはや、こう呼んでしまいますが(笑))」は、学習塾の講師募集のために来ていることを知ってか知らずか、私に対してこんな演説をぶち上げたのでした。

 

「子供は勉強などやらずに、もっと遊ぶべきなんです!塾なんて必要ないんです!中学受験なんてもってのほか、絶対にやってはならないと思っています!」

 

この時点で私は「口あんぐり」状態(笑)、さすがに「魔女」もマズいと気が付いたのか、何だか必死に弁解を述べていたような気がするのですが、とにかくその風貌と演説が衝撃的で、「言い訳」は全く覚えてはいません。当然、不合格、この人いったい何しに来たんだろう?(笑)。

 

当時は今よりも多くの「中学受験生」を抱えており、中学受験はあらゆる面で当塾の「生命線」でした。私たちに与えられた任務は、とにかく中学受験を成功させることであって、それ以上でもそれ以下でもありません。そういう意味では「教育者」というよりも「教え屋」と言った方が相応しく、「教え屋」としての矜持は常に持っているつもりでいます。換言すれば、そんな「教え屋」に子供に対して道徳的な教育まで求められても困ってしまうのです。もちろん様々な事情を抱える子供が集う訳ですから、塾に求めることも個々に違いがあるのは当然のことです。しかしながら、特に中学受験においては「子供の人格形成」まで担うゆとりは皆無であり、とにかく合格のためのカリキュラムをこなしていくのが精いっぱいであり、合格のためには「そうでなければならない」と思っているのです。

 

「魔女」の暴言は、子供の健やかなる成長のためには実に「真っ当な主張」であり、今も彼女の言葉が「遺言」のように私の胸に突き刺さってはいるのですが(笑)、一方で、子供ながらに現状を打破すべく、それこそ大好きな遊びを我慢してまで勉強に取り組むことと、スポーツや趣味、遊びに一所懸命になることと一体何が違うのか、改めて「魔女」に問うてみたいと感じた、月曜日の午後なのでした(笑)。

 

塾なのに、「子供は勉強などどうでもいい!」なんて言う人は、もう来ないでね(笑)。

 

頑張りましょう!