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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

先日、以下のような記事を掲載しました。

掲載直後からコメント欄やメッセージ、果てはブログを飛び出してリアルの反応からも、多くのアドバイスや励ましのお言葉を頂戴し、嬉しいやら驚くやら(笑)。本当にありがたく、心があたたかくなりました。この場をもって皆様に御礼申し上げます。誠にありがとうございました!

 

こちらのブログに記載する前に、某「知恵袋」にお尋ねをしたのですが、それが非常に酷かっただけに(笑)、このブログでの皆様のあたたかい反応は心に沁みました。某「知恵袋」でも同じような内容を問い合わせたのですが、

 

「何を言っているのかわからない!」

 

「あなたの介護の仕方が悪い!」

 

などと意味不明な非難を受け、それに対してきちんと対応したら、回答自体を削除して「逃げて」しまう始末(笑)、他の質問を見ても謎の「上から目線」で対応する輩があまりにも多く、求めていた回答を得られないだけでなく、ただただ「嫌な思い」だけを強いられたのでした。

それでも、ブログ経由では多くの親切な方々が、いくつも有益なアドバイスをして頂ける、ネット社会の「明と暗」を身をもって実感したように感じました。

 

当の母は、昨日初めての「デイサービス」に行ってきたのですが、いざ出かける時になるとブツブツと文句を言っておりました(笑)。ただし、帰宅した際は「ニコニコ」で、

 

「威勢のいい「ひらき屋」の奥さんがいてね、とても楽しかった!」

 

とのこと、母にとって初めてのデイサービスが肯定的に受け止められたことに心から安堵したとともに、母自身は「デイサービス」の定義さえ覚えられず、ただ単に「友達の家にお邪魔した」だけの感覚のようで、

 

「手土産も持たずにお邪魔してしまった、次行くときは必ず手土産を持っていかないと!」

 

と随分的外れなことを言っていたのには驚くとともに、思わず笑ってしまいました(笑)。それでもデイサービス(母は「友達の家」だと思っていますが(笑))自体に拒否感を抱かず、むしろ肯定的に受け止めてもらったことは、私たち家族にとっても幸運でした。

 

初めて認知症の患者の「家族」となったことは、私たち自身にとっても大きな「変化」であったことは確かです。今回頂いたご厚意に感謝するとともに、行政や善意の皆様の「手をお借りする」ということを、恥を忍びつつも躊躇することなくお願いしていこうと、改めて実感した所存です。まだまだ未熟な「認知症の母を持つ倅」ではありますが(笑)、引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。

 

頑張りましょう!

 

大学生の頃に「経済哲学」なる授業を受講したことがありました。

なぜこのような授業を受講したかと言えば、そもそも「単位取得が容易であったこと」(笑)、当時「いかにして楽して卒業するか?」だけが至上命題だった私にとって、それは十分過ぎる「受講すべき理由」でありました(笑)。

 

「経済哲学」とは言ったものの、その実授業そのものはまさに「哲学」であり、そのあまりの「無味乾燥」さに、早々に出席率が悪化した私だったのですが(笑)、それでも学期末に必ず課されるレポートだけは渋々提出していたのでした。

とあるレポート課題において、数冊の書籍を指定された上で、その感想文を書いてくるように指示されたことがありました。それがこちら。

 

そして、こちらも。

 

 

計2本のレポートを何とか書き上げたのですが、正直なところ、難し過ぎて意味が分からないところが多々あり(笑)、仕方がないので「じゅくちょう流」に解釈し、その解釈に沿ってある意味「テキトーな」レポートを書き上げたのでした(笑)。

 

すると、その先生(なんと副学長でもある先生でした!)曰く、

 

「本日はじゅくちょう君が素晴らしいレポートを書いて下さいました。私の友人でもある森有正君もじゅくちょう君のレポートを読んだら、さぞ喜んだことと思います。こんな素晴らしいレポートの前では、私が授業をするなどおこがましいので、今日はじゅくちょう君にマイクを渡して、じゅくちょう君にレポートを朗読してもらおうと思います(←本当にこう言いました、今でもはっきり覚えています(笑))。

こんな「無茶ぶり」は、後にも先にもこの一回だけだと思われます(笑)。これを前期と後期の計2回もやらされてしまい、当時は非常に厄介だと感じていたのですが(笑)、今となっては貴重な経験をさせて頂いたと感謝しています。

何よりも「哲学」という学問がそのイメージに反して案外「とっつきやすい」ものであったこと、大学での「嫌々ながらの(失礼!)」の授業がひとつのきっかけとなったことは、私にとって幸運だったのかもしれません。

 

「いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、まず立ちあがり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。
その過程を飛ばして、飛ぶことはできないのだ。」

実存主義の代表的な哲学者であるニーチェの言葉が、今の私の心に深く響くのは、単に私が「おっさん」になったからだけではないと思うのです(笑)。「結果よりも過程が大切」と常に塾生たちに説いている私は、もしかしたら「まだまだ思慮が足りない哲学者もどき」なのかもしれないと、不遜なことを考えてしまった金曜日の朝なのでした(笑)。

 

何がきっかけで「興味を持つか」なんて、誰にも予測はできません。

 

頑張りましょう!

認知症である母の「徘徊」が止まらず、とても困っております。

 

先週の通院日に徘徊や妄想を抑止する薬を新たに処方されましたが、効果が現れるまではまだ時間がかかるようで、母の「徘徊癖」は相変わらずなのです。とにかく何か「買い物に行かなきゃならない!」というある種の強迫観念に駆られているようなのですが、必要なものは当然家族が購入しますし、どうしても買い物に行きたいのであれば一緒に行っても構わないと告げているにもかかわらず、「一人で行くこと」に異常に強いこだわりを持っているようなのです。

さらに悪いことに、出かける際はまるで逃げるように、家族の誰にも行き先を告げることなく、時には玄関ではなく、裏口から出ていってしまうこともあり、本当に手を焼いているところなのです。

帰ってきたら帰ってきたで、どこに買い物に行ったのかもはっきりとは覚えておらず、買った物さえ放置してしまう始末で、四六時中監視する訳にはいかない我々家族からすれば、もはや「お手上げ状態」なのです(笑)。

 

母がこのような状態が少しでも改善しない以上、どこかで「不測の事態」に遭遇し、不幸にして命を落とすことがあっても、それが「寿命」だと割り切るしかない部分もありますが、それでも他人様にご迷惑をかけることだけは厳に避けなければなりません。そのためには、家族の目を盗んでまで徘徊しようとする母の「居場所」を特定する術を確保する必要があります。

 

母はスマホは持っていますが、専ら宗教関係の動画を見るための道具と化しており、電話の発信や着信はもはやできません。特に着信についてはボケていない頃から(いや、もしかすると当時からボケはじめていたのかもしれませんが)全くできず、というか覚える気もなく、勝手に電話をかけても着信には出ない、という身勝手を長年続けてきていました。故に外にスマホを持ち出すということはほとんどないのです。

昨今では靴にGPSを仕込んだり、バッグの中にGPS機器を入れておいたりする手法もあるようですが、バッグなどほとんど持ち歩かず、靴も一定のものを履くことがないので難しいのが実情です。

 

ただ一点、外出の際は「時計」だけは必ず身に着ける習慣があるようで、これを利用してGPS搭載のスマートウォッチを与えて、常に居場所を確認できるようにしたいと思っているのですが、予算の都合もあり、どれを選択すべきか思い悩んでいるところです。同じような問題をかつて抱えていらっしゃった方や現在進行形で対処されている方にご指導を賜りますと幸いです。

 

①母のようなケースにおいては「アップルウォッチ」が最適かと思いますが、GPSタイプとGPS+セルラータイプの2種類あると思います。GPSのみのタイプですと、その精度はいかがなものでしょうか?一度エアタグを試したことがあったのですが、GPSの受信状況によって更新頻度が大きく異なり、移動する対象には不向きだと感じました。SIMを用いるセルラータイプであれば携帯電話の電波を利用してある程度リアルタイムの位置情報を得られるのではないかと思うのですが、ご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?また、GPSのみの位置情報については、その使い勝手はいかがでしょうか?

 

②位置情報をリアルタイムに近い形で取得するには、子供用の見守りスマートウォッチも有効な選択肢だと思いますが、お子さんに持たせている保護者様がおられれば、その所感をお聞かせいただけますと幸いです。SIMを使用する場合の維持費を考えれば、アップルウォッチよりもこちらの方が経済的だと思いますが、その使い勝手についてご教示頂けますと幸いです。

 

以上、今回はブログ記事というよりも「質問」や「お願い」の類いになってしまい誠に恐縮ですが、ご存知の方がいらっしゃれば、ぜひご教示頂ければと存じます。

 

ちなみに某「知恵袋」にて同様の質問をさせて頂いたところ、なぜか的外れな批判をされてしまい(お前に言ってることがわからない、介護の仕方が悪い等々、いったい私の何を知ってるの?(笑))、丁寧な言葉で反論させて頂いたのですが、これまたなぜか質問ごと削除して「逃亡」してしまいました(笑)、ありゃ、もうダメですね(笑)。

 

私自身もいろいろと調べた上で(もちろん「チャッピー」にも聞きました(笑)※前記事をご参照ください(笑))、いまひとつ詳細が掴めず、やむなくこちらへお問い合わせさせて頂いた次第です。ご協力のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

頑張りましょう!

 

大いなる自戒の念を込めつつあえて申し上げますが、「親」が「我が子」の実情について、「親だから、子供のことはすべてわかっている!」などと宣うのは、あまりにも不遜だと思います。私自身、我が子が生まれてこのかた、当然のことながら衣食住の世話はしてきたものの、我が子の実態についてはまだまだ分からないことが多いと自覚しています。四六時中子供について回ることなどできるはずがなく、当然と言えば当然のことなのですが(いや、たとえ四六時中ついて回ったとしても、子供の頭の中身まで推し量ることなどできるはずがないのです)、こんな簡単な理屈をどうしても理解できない親が散見されます。

 

「親の贔屓目」などと言いますが、どうにも「親」の子供への評価と、当の子供の実態があまりにも乖離し過ぎているケースが多々見られるのです。

 

親の前や自宅では「とてもいい子」だそうですが(笑)、学校や塾などでは「やりたい放題」、自分に都合のよい虚言ばかり吐いて、幼いながら立派に「二重人格」を形成している末恐ろしい子もいます。

一方で、なかなか良い結果は出ないけれど、とにかく懸命に頑張っているにもかかわらず、「現在の結果」だけしか見ていない親に激しく罵倒され、いつも悲しそうにしている大変気の毒な子もいるのです。

 

私たちはマンツーマン個別指導ですので、前者・後者のいずれの場合も早期に気づくことができます。自分に都合のよい嘘ばかり吐いて、親の機嫌だけを常に伺っているような子には、親として然るべき指導をして頂きたいですし、今は結果が伴わなくとも、一所懸命に頑張っている子には、親として少しでも労いの言葉をかけてあげて欲しいと、教える側としては強く願っているところなのです。

 

物事を正しい方向に進めるためにが、現状における「正しい認識」が不可欠です。「親だから、我が子だからといって、全てを知っているとは限らない。」という当たり前の前提のもと、我が子の「実情」を探ることが、成績向上のための第一歩だと、私は信じて疑いません。

我が子の欺瞞に騙される親は「愚か」であり、我が子の頑張りに気づかない親は「悲劇」です。たとえ親であっても、我が子の「ある一面」しかわからないのであり、であるならば客観的視点の第三者に我が子の「真の評価」を依頼するのは実に合理的だと言えるでしょう。それが20人、30人の子供を一人の先生が指導する場合であれば、正しい評価を下すことは難しいかもしれませんが、「1対1」であればそれが可能です。私がマンツーマン指導にこだわる理由がまさにここにあるのです。

 

学習における「方法論」も確かに重要ですが、その「大前提」として、我が子の実情に対して親が正しい認識を持つということが、「小手先のテクニック」なんかよりもずっと重要だということをぜひ理解していただきたいと強く願っているところです。

 

頑張りましょう!

 

 

「陽キャ」の中高生は、時に私のようなおっさんには想像もつかない「独創性」を発揮することがあり、度々驚かされてしまいます(笑)。そんな若さゆえの「新感覚」に触れる機会が多いのは、この商売の数少ない「特典」だと言えるのかもしれません。

 

先週の授業中、とある「陽キャ」の女子中学生が、休み時間中にこんな話をしていました。

 

「国語の作文でどうしても書けないところがあって~、困ったから「チャッピー」に聞いたらあっという間に書けたよ!」

 

「チャッピー」?(笑)。どこかの国からの留学生か?(笑)、いや日本語が覚束ないであろう留学生「チャッピー」に、事もあろうに「国語の作文」について尋ねることはあまりにも無謀だろう・・・などと勝手に妄想を巡らしていたのですが・・・

 

何のことはない、「チャッピー」って、「ChatGPT」のことだそうです(笑)。この呼称は若者の間で流行っているのでしょうか?まるで実在する友達の様に、それらしい「略称」を考えついてしまう若者のセンスに驚愕してしまいましたが(笑)、中学生の課題にまで「チャッピー」の影響力が及んでいることにも大変驚いてしまいました。

私も先日自塾ホームページのリニューアルのために「チャッピー」ではなく(もはや私も「チャッピー」と呼んでしまっていますが(笑))Google由来の「Gemini」を利用したのですが、私が考えるよりもずっと上手な「塾紹介文」を執筆してくれてびっくりしました。よくこんなことまで調べたな、というような内容で、私と学習塾の関わりや歴史については、私の女房より「Gemini」の方がよっぽど詳しいようでした(笑)。

 

ひと昔前には大学などで「コピペ」を防止するために、コピペされた文かどうか判別するためのアプリケーションが導入されていることを聞いたことがあるのですが、「チャッピー」をはじめとする様々なAIツールの出現により、大学のみならず、中学や高校においてもレポートや宿題の「真偽」を確認する作業が困難を極めることになりそうな気がします。

 

AIについては、現在のところ100%正確な情報を吐き出すには至っていないと聞きますが、時間をかけて洗練されれば、より正確性を増していくことは確実でしょう。

現状においては、専ら国語の宿題について頼りにしている「チャッピー」が、あらゆる面で「友だち」に近い存在となる日が、そう遠くないような気がしてならないのです。

 

それにしても「チャッピー」か(笑)、間違ったり、迷ったりすることもまた「人間らしい」し「魅力的」だということも、決して忘れてほしくないと強く感じた火曜日の朝なのでした(笑)。

 

※このブログについては、決して「チャッピー」に頼らずに、コツコツと駄文を掲載し続けていくつもりです(笑)。

 

頑張りましょう!

現在、国政においては過半数を擁する政党がなく、複数の党による「連立政権」が模索されているようです。

「政党」とはいうものの、何から何まで考え方が一致している人間などいるはずもなく、特に「譲れない部分」を共有している人間同士が「便宜的に」集団を構成しているのが「政党」だと思いますし、それがある意味では「健全な姿」だと言えるのかもしれません。生き方や思考、イデオロギーまで寸分違わず「全く同じ」などというのは、何だか気持ちが悪いし(笑)、それぞれの「個性」など全く無視した恐ろしい社会になってしまうのではないでしょうか?

 

そんな「本質的には異なる人間同士」が集まるのですから、物事が一筋縄ではいかないことは当然のことであり、こういう場面において上手く調整を図り、少しずつでも物事を前へ進めていける人こそが「リーダーシップ」に溢れる人だと言えるのではないかと思います。

 

なぜ私が塾とはまるで関係ない政局の話をしたかと言えば、世の中は「〇」と「×」、「勝ち」と「負け」、「白」と「黒」だけでは語りつくせないという事実を申し上げたかったのです。もしかしたら、「白」や「黒」よりもずっと価値がある「灰色」だってあるはずだと、私は信じて疑いません。

 

受験においては、「合格」と「不合格」という、言わば「白」か「黒」、「勝ち」か「負け」という結果がはっきりと示されてしまう、言わば極めて残酷な世界でもあります。けれども私は「合格」が人生の「勝ち組」でもなければ、「不合格」が必ずしも「敗北」だとはどうしても思えないのです。

受験において、合格・不合格とは別に「努力賞」なるものがあれば、ぜひ与えてあげたい子たちがこれまでも何人もいました。こういう「頑張る子」たちが、たとえ一時一敗地に塗れたとしても、長い人生を考えれば、そんな苦い経験さえも「貴重な体験」として消化できているのです。ほんのひと時の「評価」によって「人格」を決めつけるのではなく、その子の「生き方」や「努力」を評価すべきなのは当然のことなのです。

 

「頑張った子にはそれなりの報いを」というのが私の願いではありますが、残念ながら世の中はそう甘くはありません。けれども、失敗や挫折にめげず、何度も立ち上がろうとする姿そのものに、私は「真の価値」を感じてしまうのです。「合格」「不合格」の「結果」は確かに重要ですが、個々がそれぞれに頑張ってきた「経緯」こそが大切なのだと、昨今の混迷する政局の様子を見て、ふと考えてしまった私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

ここ最近、以前にも増して奇行が目立っていた認知症の母ですが、昨日は月一度の診察日でした。幸いにして病院が至近であり(本当に、自宅から数歩といったレベルの近さで、お散歩にもならない距離です(笑))、それだけは家族としても大いに助かっています。病院送迎の苦労が少ないというのは、介護する家族にとっても非常にありがたいことなのです。

 

血液検査をしたところ、内臓的な問題はほぼなしとのこと、ただし健康になったからこそ「徘徊」などの問題も出てきて、家族としては頭の痛いところです。

母の診察終了後、先生に時間を頂いて現状について相談させて頂きました。種々問題はありますが、特に「徘徊」と「妄想」については非常に困っている旨を率直に相談させて頂きました。

当然のことながら、先生にとってこのようなケースは「よくあること」なので、順を追ってわかりやすく説明と対策の指示をしてくださいました。

 

まず、母のように「徘徊」や「妄想」が出現するのは、認知症が進む「ある段階」においては避けられないこと、ただし投薬でかなりセーブすることは可能であること、その投薬について、比較的服用が簡単で、かつ早い段階で効果が出現する反面、一定の副作用は避けられない「精神薬系」の薬と、副作用はほとんどないものの、1日3回は必ず服用しなければならない(きちんと3回服用して初めて効果が現れる)「漢方系」の2種類から選択できるとのことでした。そしてこれらの薬はあくまで「第一段階」であり、症状が悪化すれば第二、第三の投薬方法があるとのお話でした。

 

私としては、母に無用な副作用で苦しんでほしくはないこと、また3回の服用についても、朝・晩は妹が、昼は私が責任をもって対処すれば十分に管理可能だと判断して、「漢方系」のお薬を処方してもらうこととしました。また、これまで認知症対策の「貼り薬」も出されていたのですが、これを母が私たちの見えない場所でこっそり剥がしていたことが発覚し(笑)、急遽同成分の「飲み薬」に変更をして頂きました。

 

貼り薬を剥がしてしまうなんて、本当にまるで「子供」のようですが、幸いにして私は職業柄「子供の扱い」には慣れています(笑)。「手のかかるヤンチャな塾生が入塾した!」と考えて、面倒を見ていこうと思っております(笑)。

 

来週からは「デイサービス」の利用も始まります。「自分はボケていない!」といまだに固く信じて疑わない母は、とても不服そうではありますが(笑)、正直なところ、週に1日でも2日でも、丸1日安全に預かってくれることは、家族にとって心も体もようやく「ひと息つける」ありがたい機会でもあります。願わくば、デイサービスが母にとっても「憩いの場」となることを願わずにはいられない私なのでした。

 

頑張りましょう!

当然のことながら、塾には「年頃」の女の子も通ってきます。

 

精神年齢はともかく(笑)、体つきだけは既に立派な「女性」である子も少なくないので、塾の管理者としては大いに気を遣うケースも多々あるのです。

特に徒歩や自転車で通塾する女の子については、過剰なほど心配しています(笑)。塾への行き帰りでトラブルがあれば、塾として「な~んも知りません!」などとは決して言えないのです。

 

もうかなり昔の話になりますが、とある高校生の女の子が在塾していたことがありました。彼女は塾から至近の場所に住んでいて、徒歩で通塾していたのですが、少々露出が多い服装で通塾してきていることが気になっていました。

 

夏のある日、連日の猛暑の影響もあったとは思うのですが、あまりにも肌の露出度が多い服装(というか、私にはもはや半裸のように見えてしまいました(笑))で通塾したので、少々厳しい指摘をしたのです。

 

「おい!そんな半裸みたいな服装で通塾しちゃダメだろ!明日からジャージで来い!」

 

今から考えても後半のくだりの「ジャージで来い!」だけは余計だったような気がしますが(笑)、とにかくもはや日本人とは思えないほどの露出度で、暗闇の中通塾させるのは、あまりにも危険だと感じたのです。

 

そして翌日、彼女がどんな格好で来塾したかといえば・・・

「ダル着」というか、本当に家でダラダラと過ごす時のような、「だっさいジャージ」でやって来たのでした(笑)。私自身が「ジャージで来い!」と言った手前、その通りに「ジャージで来た」のですから、いくら「ダル着」に見えても注意できません(笑)。彼女自身もわざと「ダル着」を着てきた訳ではなく、私に「ジャージで来い!」と叱られたものですから、その通りにしてきただけのことなのでしょう。急な話でもあり、きっとおしゃれなジャージなど持ち合わせておらず、やむを得ず「ダル着」を着てきた、といったところでしょうか。どうのような形であれ、私の指導をきちんと受け入れてくれて、何とか対応しようとしてくれた態度だけは大いに評価すべきだと感じました。以来、彼女は「卒塾」まで、ずっと「ジャージ」で過ごすことになりました(笑)。

 

年頃の娘さんを持つ親御さんの中には、「防犯」に関してやや意識が薄いと感じざるを得ない方もままいらっしゃいますが、中学生ともなれば、体つきだけは立派な「女性」に成長している子も多いのです。何よりも、塾への行き来で万一のことがあれば、私自身も大いに困ってしまいます。大切なお子さんなのですから、特に女の子の場合は「気を遣っていただきたい」と、塾管理者として切実に訴える私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

私たち「教える側」としては、常に子供を「冷静な目」で観察するように努めているつもりではいますが、それでも教える側自身の能力不足というか、あるいは子供たち自身の「真の能力」の発露というか、今現在は顕在化していないものが「見えてくる」ことで、大いに驚かされる(良い意味で)ことがままあるのです。

 

受験対策の学習において、とにかく「合格点」を確保するためにあれこれと手を打つことは当然のことなのですが、そんな中で、

 

「ああ、この子は合格しても入学後でこの科目はきっと困るだろうな~」

 

と感じる、というか「決めつけてしまう」ことが少なくないのです。「決めつけ」と言いましたが、これは「偏見」による全く誤った判断という訳で決してなく、現状の理解度や学習への取り組み方を見て、総合的に判断した「結果」ではある「はず」なのです。

 

けれども、子供の「可能性」というのは、時に大人の「愚かな判断」を遥かに超越することがあり、「苦手な科目」だったはずのものが、いつの間にか「得意な科目」に変貌するケースが何度もあったのです。

その科目がある時期「大いに苦手であった」ことは揺るぎのない事実だけれど、苦手だからこそ腰を据えて取り組み、学習を進めていく中で理解も進み、「わかる」ことが増えていけば自ら学習する機会も増える、そしていつしか「苦手科目」から「得意科目」への変貌を遂げることになるのです。

 

苦手だから、嫌いだからといって、その科目を「避けまくっている」ようでは、いつまでたっても苦手を克服することはできませんし、何よりも自らの「可能性」に蓋をしてしまっているようにしか私には感じられないのです。ちょっとした「壁」を突き破ることにより、自分自身が本来持つ「特性」や「長所」に気づく(気づかされる)ことだってあるのです。苦手なものにチャレンジすることは決して「愉快なこと」ではないのかもしれませんが、たった一度だけでも苦手なものを「突き詰めてみる」作業をするだけで、自らの可能性を大きく開花させるきっかけになるかもしれない、という事実をしっかりと認識すべきだと、私は考えているのです。

 

かつて「数学」が大の苦手だった子が、今や「学年1位」を目指して、日々嬉々として難問に取り組んでいる姿を見るにつけ、

 

「人って、変われば変わるもんだな~」

 

とまるで他人事のように感じてしまう私なのでした(笑)。

これからも「教える側」として、子供自身の「真の可能性」を発掘すべく、子供たちから少々ウザがられようが、声を掛け続けて行くことを改めて決意した金曜日の朝なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

いろいろなお子さんの指導をしてきましたが、これはちょっと勿体ないな、というか、現在の成績に比べ「頭のデキ」が決して悪くない子が意外に多いことに気づきます。

 

単純な計算をさせれば平均以上のスピードでこなし、授業自体の理解度も悪くない、それでもテストの成績が振るわないのは一体なぜでしょうか?

 

それはひとえに「学習不足」に尽きると、私は思っています。

 

せっかく「平均以上の能力」を備えていても、日常的な「鍛錬」を怠れば、「身につかない」のは必定です。当たり前と言えば当たり前なのですが、そんな当たり前を理解できていない親子が意外と多いのです。親自身が真面目に勉強に取り組んでこなかったことが原因の場合もあるでしょうし、そもそも中高生にとってどれくらいの勉強量が適正なのか、そんなことさえも理解できていない親子が現実に存在することに時折驚かされてしまいます。

 

問題の解き方は理解できたけれど、まだ完璧には覚えきれていない、何度か繰り返し解いて、ようやくマスターできた!こんな小さな「成功体験」の繰り返しが成績向上のためには絶対に必要なのですが、頭は決して悪くはないのに、とにかく「面倒なこと」から逃げ回り、「わかる喜び」を感じたことがない子は、ある意味で実に不幸だと感じます。

 

勉強のやり方云々を訴える前に、まずは「生活習慣を変えること」が重要でしょう。そのためには子供のみならず、親自身の変革も必要なのです。「スマホばかり弄って、全く勉強しない!」という我が子に、野放図にスマホを与えているのは、他ならぬ親自身であることをしっかり自覚しなければなりません。勉強以外の習い事やスポーツに通わせることを許すのであれば、勉強と両立させることを厳しく求めるのも「親の務め」ではないでしょうか?子供のみならず、家族を含んだ生活習慣の改善が、学力向上のためには極めて重要であることを自覚するべきでしょう。

 

換言すれば、実に怠惰な生活習慣さえ改善できれば、自ずと学力が向上していくと言えるのかもしれません。いずれにしろ、「劣悪な」生活環境の中で、「成績だけは上げろ!」と子供に強いるのは、そりゃ無理ってモンなのです(笑)。成績向上への「第一段階」として、まずは子供を取り巻く生活習慣を見直してみる必要があると、私は考えているのです。

 

勉強が「できる子」の生活習慣をよ~く観察してみてください。きっと「我が子」とは根本的に異なる部分が見つかるはずだと思いますよ。

 

頑張りましょう!