「病」においては「自覚症状がない」状態が最も恐ろしいそうです。自覚症状があれば、大抵の人は病院に行くでしょうし、生活面においても気を遣うようになると思います。
ところが、自覚症状が無ければ「病気に罹っている」ことにさえ気づかず、知らない間に「取り返しのつかない」状況に陥ってしまうことでしょう。「成人病」の類いを漏れなく抱えている私としては、とても他人事には思えないのです(笑)。
勉強、とりわけ受験対策においても同じようなことが言えると思うのです。例えばいわゆる「素行不良」の子が、あえて「悪さ」をするのは、当然のことながら意図的にやっているはずで、言わば「自覚をもって悪さをしている」と言えるでしょう。この場合、決して簡単ではありませんが、矯正できる可能性は低くないと、私は考えているのです。本当の「ワル」に成り下がらない限りは、「悪いことをしている」という自覚さえあれば、いつの日か「気がつく」時が来るように感じるのです。
一方で「自覚症状がない子」については、いつまで経っても状況は好転しません。何しろ、自分自身は全く「悪くない」どころか、「絶対に正しい!」と思い込んでいるのですから、そもそも反省しようとする気さえ起きないのです(笑)。受験期に至っても、悪い意味での「マイペース」を貫き、先生や友人との間に無用なトラブルを持ち込む(とはいえ、自分自身は正しいと思い込んでいるのですが)、つまりは「全く空気が読めない」子が年々増えてきているように感じるのです。
私はこのブログでも再三指摘していますが、受験とはあくまで「他者との比較」です。その正否はともかく、他人の動向を意識せずに受験に臨むことなどできようはずがないのです。常に自らの価値観だけが認められるほど、世の中は甘くないという現実を、極力早期に知るべきでしょう。世の中は「パパやママ」のように、「大甘な人間」だけではないのですよ(笑)。自分自身の能力を客観的に把握し、自らが他人からどのように見られているのかを常に意識することが、受験において最も大切な要素のひとつであることを理解すべきなのです。
健全な「問題意識」を持つことは、自らの成長に大きく寄与するものです。
「アレ?私の考え方って、ちょっと間違ってるかも?」
そんな「自覚症状」が現れた時こそ、成長するためのチャンスなのかもしれません。自分自身にとっての「当たり前」を再考してみることが、自らへの評価を変えるきっかけになるはずです。
ちょっとだけ、まわりを見渡してみてください。自分自身の「おかしな部分」が見えてくるかもしれませんよ(笑)。
頑張りましょう!