今日はラグビーの日本選手権決勝。
体調不良のため、観戦に行くことはできなかったけど、
すばらしい試合だった。
その選手たちの中で、NZ出身の選手も数人いる。
日本ラグビーにはヘッドコーチのJ・カーワンをはじめ
多くの選手たちが日本のラグビー振興のために力を貸してくれている。
そんなさなか、9月の本番でのW杯が行われるこの大事なときに、
この大惨事はNZ国民や世界中の人間にとってどれだけの大変な
ショックを与えたことだろう。
日本選手権の試合後選手たちが募金活動に立つという話を聞いている。
以前、とあるレフェリーの息子さんが重度の病気で手術のための
義捐金を試合後入り口でジャパンの選手たちが普通に募金活動
している姿に感動しました。
ラグビーのアマチュアシップに心が動かされました。
募金はもちろんだけど、何かできることがあったら僕も手伝いたい。
疲れたとき、余裕がないときほど、
パソコンにチェックするtodoリストをその日の内に全部やろうとする。
力技で・・・
そん時は頭がグシャグシャで、結局仕上がる仕事は
質は悪い。ただただタスクのチェックを消したいだけで・・・
身の回りに存在すること、いろんな事、やらなきゃいけない事ってあるかもしれない。
でも、全部できないよね。
「すべてはできない」んだよね。
捨てることでやるべき事に集中できる。
きれいすっきり未完了のまま終了する。
必要ならまた引っ張り出せばいい。
一つ一つそれぞれを完了する日々に集中しよう!
パソコンにチェックするtodoリストをその日の内に全部やろうとする。
力技で・・・
そん時は頭がグシャグシャで、結局仕上がる仕事は
質は悪い。ただただタスクのチェックを消したいだけで・・・
身の回りに存在すること、いろんな事、やらなきゃいけない事ってあるかもしれない。
でも、全部できないよね。
「すべてはできない」んだよね。
捨てることでやるべき事に集中できる。
きれいすっきり未完了のまま終了する。
必要ならまた引っ張り出せばいい。
一つ一つそれぞれを完了する日々に集中しよう!
最近頭に飛び込んできたキーワード
I play to win!
20年ほど前だろうか、イワンレンドルが
ミズノのCMで話したフレーズなのだが・・・
結構頭によぎってくる・・・
何でこれが頭によぎっているんだろうか。
もちろんレンドルは好きな選手の一人。
でもなんで今になってだろう?
急にここ数日体調を崩してしまった。
風邪をひくのは年1度あるかないかなので、
自分としては結構珍しいと思っている・・・
自分の体調を確認するのに最近は自分の「眼」をしっかり見る。
眼の光の入り具合で自分自身のバロメーターを確認する。
たとえ風邪をひいていても、「眼」に生気が入っていれば
大丈夫。自分の芯が崩れていない。そう判断する。
ちょっとまえだと、何か魚が腐っていたような眼をしていたような。
でも、何故か最近自分の眼に自信を持っている。
でも、この眼の光とどっかで見たような感じ、
やさしさを持ちながら、何か強いものを備えているような。
(自分で言うのもなんですが)
何でこんな眼をしているんだろう?どっかで見たような???
ここ数日ずっと考えていた。
これだ、この眼
自分の光とこの映像の眼の光、感じが全くリンク。
何を意味するんだろう。
続きははっきりしたら皆さんにご報告しますね!
自分自身の心と体、そしてシンクロニシティーに
ビックリ。
追伸
I play to win とはいっているのですが、アレンジしてI play to win myself
と言いなさい。といってくる。。。
文法的にあっているあってないは別にして、
change myselfといっているような、
自分自身のスタンダードを変えろ、と心の声が問いかけている
何だろう、この言葉にうまくできないこの想いは・・
I play to win!
20年ほど前だろうか、イワンレンドルが
ミズノのCMで話したフレーズなのだが・・・
結構頭によぎってくる・・・
何でこれが頭によぎっているんだろうか。
もちろんレンドルは好きな選手の一人。
でもなんで今になってだろう?
急にここ数日体調を崩してしまった。
風邪をひくのは年1度あるかないかなので、
自分としては結構珍しいと思っている・・・
自分の体調を確認するのに最近は自分の「眼」をしっかり見る。
眼の光の入り具合で自分自身のバロメーターを確認する。
たとえ風邪をひいていても、「眼」に生気が入っていれば
大丈夫。自分の芯が崩れていない。そう判断する。
ちょっとまえだと、何か魚が腐っていたような眼をしていたような。
でも、何故か最近自分の眼に自信を持っている。
でも、この眼の光とどっかで見たような感じ、
やさしさを持ちながら、何か強いものを備えているような。
(自分で言うのもなんですが)
何でこんな眼をしているんだろう?どっかで見たような???
ここ数日ずっと考えていた。
これだ、この眼
自分の光とこの映像の眼の光、感じが全くリンク。
何を意味するんだろう。
続きははっきりしたら皆さんにご報告しますね!
自分自身の心と体、そしてシンクロニシティーに
ビックリ。
追伸
I play to win とはいっているのですが、アレンジしてI play to win myself
と言いなさい。といってくる。。。
文法的にあっているあってないは別にして、
change myselfといっているような、
自分自身のスタンダードを変えろ、と心の声が問いかけている
何だろう、この言葉にうまくできないこの想いは・・
僕の住んでいる所には家の前に大きい川が流れている。
都会なのだけれど、あまり洒落っ気もなく、物寂しさも感じるけれど、
それがとても落ち着く空間でもある。
ここ最近、なぜか川に歩を進めることが多い。
今日も帰り際何故か足が川へと向かった。
日中よりも夜に行く。
日中はおしゃれに?見えるボードウォークも真っ暗で、
人によっては君が悪く感じるシチュエーション。
川の周りは橋桁の周辺しか明かりがなく、川沿いは果てしなく暗い。
俺にとってはそれがいい。自然に近いということが体が欲しているのであろうか。
そこで感じる練習をする。
5分・あるときは10分と。。。
とにかく感じる。
ただそれだけの時間。
昔の武士が夜にろうそくの日を見て集中するがごとく、
風のにおい、音、木々の揺らぎ、川の流れ反射する光
対岸のビル群のコンクリートの質感などなど・・・
何故か体が感じる練習を欲しているようだ。
研ぎ澄ますことで、自分の内なる対話をより明確にすることができているのであろう。
そんなこと、自分ではここ最近は意識していなかったことだけど、
体が勝手に「しろっ」っていうから最近の習慣になってきたようだ。
昔、封印していたツールをまさか今になって使うとは思わなかったよ。
何かに引き寄せられている感覚。
ただただ受け入れるだけ。
その内容を明確にするために、体が僕にシグナルを送っている。
自分の心の声に感謝!
都会なのだけれど、あまり洒落っ気もなく、物寂しさも感じるけれど、
それがとても落ち着く空間でもある。
ここ最近、なぜか川に歩を進めることが多い。
今日も帰り際何故か足が川へと向かった。
日中よりも夜に行く。
日中はおしゃれに?見えるボードウォークも真っ暗で、
人によっては君が悪く感じるシチュエーション。
川の周りは橋桁の周辺しか明かりがなく、川沿いは果てしなく暗い。
俺にとってはそれがいい。自然に近いということが体が欲しているのであろうか。
そこで感じる練習をする。
5分・あるときは10分と。。。
とにかく感じる。
ただそれだけの時間。
昔の武士が夜にろうそくの日を見て集中するがごとく、
風のにおい、音、木々の揺らぎ、川の流れ反射する光
対岸のビル群のコンクリートの質感などなど・・・
何故か体が感じる練習を欲しているようだ。
研ぎ澄ますことで、自分の内なる対話をより明確にすることができているのであろう。
そんなこと、自分ではここ最近は意識していなかったことだけど、
体が勝手に「しろっ」っていうから最近の習慣になってきたようだ。
昔、封印していたツールをまさか今になって使うとは思わなかったよ。
何かに引き寄せられている感覚。
ただただ受け入れるだけ。
その内容を明確にするために、体が僕にシグナルを送っている。
自分の心の声に感謝!
最近は自分自身の声が聞こえてくる日々です。
プライベートはその声にしたがって行動しているようにしています。
なので無理はしません。12年周期の中で一番パワーがダウンしている時期だから。
ここ最近の自分自身についての省みて今年はこうして生きてくぞ!
なんて思っています。
・あるがままに人生を受け入れる。
・貢献の立場をとる。
・周りに無理に合わせない。
・内なる心の声に素直に動く
などなど。
特に「心の声」は自分自身にとって今まであまり気にしてこなかったこと。
でも、昨年末、自分が本当に心が苦しくって、どうにもならないときに
とあるシンクロニシティーに偉大な発見がありました。
昨年の年末。大好きな画家の一人カンディンスキーの「青騎士展」。
心が弱っていた僕は、昔すんでいたミュンヘンのノスタルジーと
カンディンスキーの魅力を感じに展示会に行きました。
そこでひとつのキーワードが・・・
折りしもちょうど100年前のミュンヘン。
ひとつの絵画に対する考え方に疑問を呈したカンディンスキーらが、
新たな世界を発表する。
「青騎士展のテーマは内なる心の発露をテーマに・・・」
なんとなく、そのときはこれだ!って思ったが、
弱っていたので、キーワードは大切に心にしまっていた。
でも、それから1月くらいたってから、自分の心の声が増幅していくのが感じられる。
声に素直に行動すること。心が喜ぶこと。感じること。
できる限り行動してみた。そしたら、すこしずつ、自分自身の心が
力が満ち、みなぎってきて来たような気がする。
やっぱりこれは俺にとってリンクすることではないのか?と。
そう、「心の内なる発露」今僕の必要なものはその声にあるがままに生きること。
気張らず、頑張る必要はない。
飛び込んできたことを受け止め意味を感じながら行動することの大切さ。
新年が明けても、うんともすんともうだつのあがらない日々だったが、
ちょうど、2月の春節から自身としては新たなムーブメントが始まっているのを
肌でエネルギーを感じている。ちょうど新たな「期」に突入したんだというのを。
これだけはラッキーだっとしか、いいようがない!
自分自身もその「期」を味わいながら全てを受け入れ今シーズンを過ごしたいものだ。
そう、今年の私はDer Blaue Reiter(青騎士)のように颯爽と2011年を駆け抜ける!
自分自身の「景気の底をうった」感があるからね!
プライベートはその声にしたがって行動しているようにしています。
なので無理はしません。12年周期の中で一番パワーがダウンしている時期だから。
ここ最近の自分自身についての省みて今年はこうして生きてくぞ!
なんて思っています。
・あるがままに人生を受け入れる。
・貢献の立場をとる。
・周りに無理に合わせない。
・内なる心の声に素直に動く
などなど。
特に「心の声」は自分自身にとって今まであまり気にしてこなかったこと。
でも、昨年末、自分が本当に心が苦しくって、どうにもならないときに
とあるシンクロニシティーに偉大な発見がありました。
昨年の年末。大好きな画家の一人カンディンスキーの「青騎士展」。
心が弱っていた僕は、昔すんでいたミュンヘンのノスタルジーと
カンディンスキーの魅力を感じに展示会に行きました。
そこでひとつのキーワードが・・・
折りしもちょうど100年前のミュンヘン。
ひとつの絵画に対する考え方に疑問を呈したカンディンスキーらが、
新たな世界を発表する。
「青騎士展のテーマは内なる心の発露をテーマに・・・」
なんとなく、そのときはこれだ!って思ったが、
弱っていたので、キーワードは大切に心にしまっていた。
でも、それから1月くらいたってから、自分の心の声が増幅していくのが感じられる。
声に素直に行動すること。心が喜ぶこと。感じること。
できる限り行動してみた。そしたら、すこしずつ、自分自身の心が
力が満ち、みなぎってきて来たような気がする。
やっぱりこれは俺にとってリンクすることではないのか?と。
そう、「心の内なる発露」今僕の必要なものはその声にあるがままに生きること。
気張らず、頑張る必要はない。
飛び込んできたことを受け止め意味を感じながら行動することの大切さ。
新年が明けても、うんともすんともうだつのあがらない日々だったが、
ちょうど、2月の春節から自身としては新たなムーブメントが始まっているのを
肌でエネルギーを感じている。ちょうど新たな「期」に突入したんだというのを。
これだけはラッキーだっとしか、いいようがない!
自分自身もその「期」を味わいながら全てを受け入れ今シーズンを過ごしたいものだ。
そう、今年の私はDer Blaue Reiter(青騎士)のように颯爽と2011年を駆け抜ける!
自分自身の「景気の底をうった」感があるからね!