前回ブログの続きです。
前日の夜に担任からの電話をうけ、
明日(9月26日水曜日)から登校しますと伝えました。
9月26日(水)
【朝】
熱は無い
食欲あり
咳あり
【学校】
《担任話》
時折咳が長く出ましたが、直ぐにマスクをかけれるよう耳に紐を掛けた状態(あごマスク)で給食は教室で食べました
体育は組体操の練習をしました。
【夜】
熱は無い
食欲あり
睡眠時、咳込み、眠りが浅い
9/27〜9/28(木、金)
上記に同じ
咳は一向に良くならない
9月28日(土曜日)
雨の為運動会順延
咳は一向に良くならない。
9/29〜10/1(日、月)
日曜日も変わらず自宅で過ごし、咳だけ気になる
月曜日は、本来土曜日の運動会の代休にあたる日な為、給食は無く、午前中だけの登校
咳は変わらず出ている
10月2日(火曜日)
順延になっていた運動会開催
咳で思うような走りが出来ずに
『(小学校)最後の年なのにビリから2番目だった〜』と気落ちしていたが、
「自分に負けなかった〇〇(息子)が一番!」と
エールを送った。
※息子は保育園時代から徒競走だけは常に1番だったので気落ちはしていましたが、最後まで手を抜く事無く走りきりました。
練習が少なかった組体操では二人組で失敗😣
ごめん!ごめん!と相手の子に手を合わせてる姿が心に残りました。
運動会が終わり、6年は後片付け&PTA役員の私も居残り後片付けを済ませ自宅に着いたのが17時近く。
二人共クタクタで、夕飯は出来合いの物を買い済ませました。
夜には、咳は激しく出続けました。
咳でえづく事が多く、夜はあまり眠れて無い(隣の私も)ようでした。
内科で貰ってた薬が終わりました。
10月3日(水曜日)
熱は無し
学校帰りに迎えに行き、内科に行く事にしていた。
実はこの内科医は、私が子宮頸癌で2番目に行った(街のレディースクリニックから紹介状を書いて貰って行った)総合病院の非常勤医師でもある。
元々は総合病院の常勤の医師だったが、開業医のパパ医師が引退を決め、息子が医院を引き継いだ。
ただ、木曜日だけは総合病院の非常勤医師として(医院は木曜日休み)働いて居る
右側だけの頭痛や、なんか解らない気怠さ、最近は飲んで無かったエードリ(私のhnにもなってる栄養ドリンクの略)を気休めで飲んでも、体が重くて重くて、
右側だけの首筋の違和感等、気になって仕方が無かったので、
息子と一緒に自分も相談しようと考えていた。
(もちろん、私も診察券を出して)
息子と一緒に呼ばれ、まずは息子のこの一週間を纏めて話した。
咳が良くならない事。
食欲はある事。
熱は無い事。
その時、診察室に受付から連絡が入った。
内科医は、受話器の向こうの受付に
『受け入れOK』
『処置室にエコーの準備』
等、救急で運ばれて来る患者の支持を出した。
内科医は、私が受付で話した
『肩こりが酷くて、湿布が欲しい』
のカルテのメモ(基本電子カルテ。昔ながらの紙カルテはパパ医師からの時代の物をまだ移してない為参考に見ている)を見て、
『お母さん肩こりだけでいいのかな?』
「あ、あの〜、実は聞きたい事もあって」
と話して居る時に、先程の救急の患者さんと、
患者さんを見るエコーの準備が整った連絡が。
私が聞きたかった事とは。
私は自分の事なのに!とお叱りを受けるかも知れないが、
病院のルール的な事があまりわかってない。
私が子宮頸癌と診断される時は、
不正出血から、街のレディースクリニックに行った。
このレディースクリニックの医院長先生は
一度目の細胞診で「子宮頸癌陰性」と出ても
費用は当クリニックで支払うから、もう一度細胞診してくれ!
と言ってくれた先生。
2度目の細胞診でクラスⅢ(このままでは癌化するかも知れない細胞がある)
の診断が出て、
総合病院に紹介状を書いてくれた。
その総合病院に努めてる内科医。
もちろん、私が総合病院でかかってる所は《産婦人科》なので《内科医》の彼に何がわかる事でも無いのだが、
紹介状を書いてくれる。
それも、その場で予約の電話等もしてくれる医師で、
私は、自分が今何をすれば良いのか解らないのである。
この体の不調は、最初に誰に言えば良いのか解らないの。
総合病院からがんセンターに回され、がんセンターで手術を受けた。
定期検査はがんセンター。
しかし、次の定期検査は12月(CT&診察)
レディースクリニックには4年前の1月の診断(総合病院ヘ紹介状)依頼行ってない。
総合病院ヘは、4年前の診断(コルポニより癌判定。がんセンターヘ紹介状)依頼行ってない。
何処に行けば良いか聞きたかった。
がんセンターに電話すれば1番良いの?
前に、胸(右乳首上部)にしこりがある事がわかり、
がんセンターでの主治医に相談した事がある
主治医は、癌だと断定したならば(がんセンター内の他の科に)紹介状を出せるけれど、、、、
と、胸のしこりを診る事も無かった。
ちょうど、市の検診で乳がん検診があったのですぐさま受け、
年齢によりマンモグラフィでは無くて、エコー検査だが、
技師に気になる所はありますか?
と聞かれ、しこりの事を話した。
技師は画像を見ながら、
これは、、、多分、皮膚科で見て貰える物ですね。
と私に伝えた。
次の日に皮膚科に行き、粉瘤と言う物だと診断された。
粉瘤は悪させずにいたら、付き合っていける物だと言う。
腫れ上がって痛いが、痛みと腫れが引けば何でもない。
しこりも無くなる。
酷くなると手術で取るのだと言う。
がんセンターは、癌だとなったら対応。
がんセンターに辿り着く迄に、何処に行けば良いか解らないジプシーになって居る今。
気がつけば子供の事より自分の事が聞きたくて、
内科医に自分の説明をしたくて
子供の説明は単調だったと思います。
咳が治らない事で、薬は同じでしたが、
気管支を広げる役割の貼るテープ(背中や腕に貼り付ける)が出ました。
結局私は、
内科医の『モシ緊急じゃ無いなら、また今度でいい?』
に
「はい」と答え、湿布が処方されました。
息子はまた一週間同じ薬を飲んで居ましたが、
咳は一向に収まらず、
一週間後に違う病院で血液検査、レントゲンを取りました。
結果は今週の金曜日に出ます。
私は、内科で自分を優先した。
結果、自分の相談も出来ずに終わって居る
息子は咳が酷くなり、夜中呼吸が出来なくなった。
うまく伝わるかな。
ふいに何かの拍子に飲んでた水が気管支に入ってしまい、
咳が出るが、息が吸えない状態に。
何も飲んで無い、普通に就寝している息子が突如、咳をしだすとそうなる。
息が吸えないから、恐怖で全身が固まる。
少しずつ息を吸う事を、背中をさすりながら、
息子が動揺しないようにさとす。
こんな事を今繰り返して居る。
最初は寝ている時だけだったが、日中の咳が出た時もなるようになった。
息子は、そうなったら
私が他に何かしていて、咳に気が付き駆けつける前に、
『苦しくなったら、最初は息止めて、少しずつ息を吸うようにしたよ』
と、乗り切って居る。
そんな息子を抱きしめて、背中をさすりながら
『この子の咳が早く治りますように』
『この子の呼吸が早く元通りになりますように』
と、心の中で繰り返した。
その時に。。。。。
次に思ったのが
『神様、この子の病気を私に!』
世の母親なら普通に思うかも知れないこの言葉に、
私のクズぶりがわかりました。
私は思って、願って、瞬時に
《でも、私は死にたくない》
と。思ってしまったのです。
私は、自分が怖くなりました。
息子が呼吸出来なくなって居る時に、
息子の事を心配し、祈りましたが、
結局は自分を可愛がるだけのナルシーだった事に、
とてつもなく罪悪感を感じて居ます。
一瞬でもそう思ってしまった自分の感情をどう処理して行けば良いか解らないでいます
息子に申し訳無くて、どうしようもありません