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ぱるの無駄話

男性から見る女性の感覚の不思議エッ? (;゜⊿゜)ノ マジ?
そして
男性から見る男性の感覚の不思議(゜_。)?
なんてぇ~事をちょいちょい書いていこうと思います<(_ _)>

実は私、剣道有段者でございます。

だらだらと続けていたら三段迄いけました。

ほんと努力しない学生でした(-"-;A


そして高校三年迄やっていただけで、優秀な成績を残してもおりまません。

唯一自分の剣道で誇れるのは「引き分け」の確率です。(笑)
記録した試合数の約7割が引き分け。


格上にも格下にも、負けない勝てない(笑)
勝ちたいですよ(笑)
負けん気だけは強いですし。(^^;;
が、決め手が無い。

基本、生き方も決め手は余り有りません。
鼻っ柱だけが強い。

試合は一回一回が勝負。
ですが、人生はそうでも無いかなと思うのが年を重ねてから感じるところです。
引き分けは多い。
しかし、負けない。
時々勝ちを拾って積み重ねる。
そうすると、生き残ったしぶといやつが最後は残ってるんですね。
残れば戦わなくても良くなります。

人間関係もそれに近く、好かれ無くとも嫌われなければ良いんだなと感じます。
(°∀°)b

嫌われなければ気に入ってくれるも出てくるのかなぁと。

嫌われ始めればゴロゴロっと転げ落ちるように皆から嫌われたりしますし、好かれ始めればグングン気に入られたりも。


よってに私の持論ですが、人は「好かない嫌わない」が基本だと思います。

そうしていると、どうしてもどうしても好きな人が絞られますし、どうしても苦手な人も絞れる。

少数になれば私でも対応できますしね。


「引き分けの美学」は「中立の美学」

自分の心の中や、欲求と理性のバランスどりは難しいけどこれも「中立」にどう持っていくか。

自分自身の永遠のテーマであり美学です。


社会人が長くなると、嫉妬深いのは女性よりも男性だなと感じる事が多々あります。
どうもビジネスライクにドライな関係性を築けない男性が多い。
「俺が育ててやった」とか、「あれは俺のアイデア」だとか、お気に入りの女性に声をかけると面倒臭い仕事を回すだとか(笑)
実際にこれが有るから怖い社会ですね。

大抵このような人は、
1.仲間意識が強い
2.孤独が苦手
3.プライドが高め
4.酒好きが多い
5.会話の表現でネガティヴだったり、否定的な言葉が多い
6.噂話が好き(噂話をよくする)
などの特徴があります。

嫉妬深い人との付き合いがある人たちを見ていると他者との縁が切られて行く様が感じ取れるんですよね。
本人は束縛しているつもりは無いようなのですが、 はたから見てとれる実際の行動は明かなる束縛。

当事者には、根掘り葉掘り詮索し、ひどい場合は自分のお気に入りの人に関わった人の非難をしていたり。

それ以上に不思議なのは、お気に入りなのに責めるという心理ですね。

所有欲が満たされたら明らかにDVに走りそう。


嫉妬深い人は甘え(依存心)が強そうです。


自分だけを見てくれないと感情的に揺らぎやすくなるんでしょうか?


私なんか、他人からほっといてくれてもかまわないんですけど(^▽^;)

あ?大勢の知り合いの中で、誰とも会話できないのはつらいかな(;´▽`A``


ちなみに私には、このような嫉妬深い方々に対する教育手段を持っていません。

しばしば、自分の部下が同僚が巻き込まれそうになった時には割って入って、緩衝材になるくらいですかね。

私自身、仕事では仕事に絡む場合、人に好き嫌いはほぼ無いですね。

しかし、個人的にはやはり私も人のコ、正直苦手な人は居ます。

ですので会社でも嫉妬深い方々を野放しにしてしまっています。

ちっぽけなプライドで支えられている人の多くでは、地位(職歴や職位)も邪魔していますよね。

立場上しっかりしなければならない(客観的に見られている)

でも自分の欲求としては甘えさせてほしい。


私の意見としては、「そんなこと知ったこっちゃない」ですけどね。(笑)

兎に角自分の欲求の糧に人をするのだけは腹立たしいので。


まぁ、私も甘えん坊ですからちょっと気をつけないとです((((・_・|コソコソ!|_-))))




前回に引き続き、私的かつ昔話ですみません。


私は、極端に年の離れた女性、特に年上の女性と縁があるようです。

21歳で29歳の女性と遠距離でお付き合いをしましたが、多分これが初めての私自身で捉える「恋」らしい恋だったと思います。


まだ自分自身若く、また前回書いた彼女を完全に振り切れている状態ではなかったのですが、ある研修で一目惚れしたのが彼女でした。

基本、学生時代から身の程知らずで、チャンスがあれば必ずお話をして自分を売り込もうとしていました。

まあ明らかにダメもとっていう気持ちだったんでしょうね。昔は。

それでも下手な鉄砲数打ちゃ当たるんですよ(笑)。

それを知って声をかけ、研修の帰りがけにちょっとお茶ができ、連絡先を聞いたのがきっかけで、その後押しまくりでお付き合いに至ることができました。


彼女から見た私は一生懸命な男だったそうです。

暑っ苦しいだけですが(^_^;)


この女性とは遠距離で、月に一度どちらかがどちらかの土地に遊びに行くといった感じでのお付き合いでしたが、4年間続きました。

終わった理由は、私は一緒になりたかったのですが、先方がその土地の名士のお嬢さんということもあり、かなり年の離れた私をご両親が快く思っておらず、結婚は難しいということで、自分自身の不甲斐無さや世間の不条理と葛藤しつつお付き合い自体を諦める形となったんですね。


さて、この女性から学んだのは、この4年間の「恋」と言う感覚。


当時、寝ても覚めても彼女の事を思ってしまい、常に写真も携帯していた事を覚えています。

まだメールがない時代でしたので、手紙を週に1~2通送りあったり、デートの前には眠れなかったこともありました。

デートの当日は、嬉しいという感情がピークに達し、食事の際に味がわからないことがほとんどでしたね(笑)。

よく、「恋は盲目」と言われますがまさにそれです。

ただ、彼女から常に一目置かれたいと言う気持ちから、仕事はかなり氣を入れて頑張った記憶があります。

おかげで早い出世もできました。

この成長は別として、「恋」をすると自分が自分でなくなる奇妙な感覚を知ったのです。

好きが度を越すと、自分自身の感覚が次第になくなり夢現の世界にいるような感覚になったんですね。

そして、今までになかった嫉妬や不安にも襲われ、今までに感じたことのないそこはかとないネガティヴな感情が渦巻いたりも。

なんだか彼女の全てが欲しいと言った感覚でしょうか。

この感情をしばしば怖いと感じる事もありました。

この感情をコントロールできぬままこの恋は終を告げたのですが、私にとって理解が出来きぬこの恋と言う魔物を知覚できたのは彼女が初めてだったのです。

これを知らなければ、きっとその後「真の愛」を理解できなかった出来事でした。


そう言う意味では、彼女との4年間感じ続けたことは私のその後の成長の多いなポイントだったと言えます。

私をここまで成長させてくれた人たちは、男女に関わらず大勢います。

多くの男性には励まされ、支えられていましたが、多くの女性には成長させていただいたと感じております。

その筆頭は肉親たる母親ですが、血族では得られない成長の糧を下さった方を書き遺しておきたいと思います。


人生で最も私の生き方に影響を与えた女性は、一番最初の彼女です。

もし、彼女が健在ならば今もなお私の人生に影響を与え続けたかもしれません。

いやいや、もう居ないから今なお影響を与えているのかもしれませんね。


どんな女性かと申しますと、多分私の初恋に近い感覚の女性。

中学2年の塾で出会い、その後大学迄よき友であり又愛すべき人でした。

非常に温和でのんびり、というよりものんびりしすぎている人でして、怒った顔は見たことがないですね。

怒る前に泣く(多分悔しくてでしょう)。

いつでもどんな時でも笑顔を絶やさず、嫌われている事も私が知りうる限りなかった方だと認識してます。

頭の回転と記憶力はずば抜けているくせに、生活能力や運動神経は皆無に近かったり。

人をあまり疑うこともないけど周りが必ず助けてくれる。

そういう意味では彼女自身も良い人達に助けていただいてたんでしょうね。

上手く表現ができないのですが、野に凛と咲く花のような感じでしょうか。

やさしい感じの中、どことなく芯が通っている感じ。

社会と言う器では枯れてしまうようなそんな女性でした。


では、この女性がどのように私の成長に影響を与えたかですね。

多分この女性が人として最も大切な愛に関しての重要なヒントを残してくれたんだと思っています。


常にそばにいて、居るのが当たり前。

そして彼女も私の存在を感じ続け、私も彼女の存在を感じ続けておりました。


20歳の冬ですが、彼女とまた明日と別れた直後、彼女は事故にあい他界されました。

今でも鮮明に覚えておりますが、寝ているような顔で霊安室に居ましたね。

それから2年間、留学などで日本に居なかった時も多かった彼女でしのでまた旅に出ているような感じのまま私も過ごしておりました。

そしてとある日、ふと彼女が居ないって事を認識したんです。

もう二度と会えない、もう二度とあの笑顔は見れない、話せない。

そう思ったら涙が止まらなくなりました。


それから1年間というもの、自分自身生きているのか、何のために存在しているのか分からなくなっているままの生活を続け、時に刺激を求め無茶もしましたがやはり何か埋まらないんですね。


しかし、とある仕事帰りの電車でうたた寝をしてしまったのですが、地元の2駅前で「バイバイ、また明日ね」と言う、居っこない彼女の声で飛び起きたんです。

閉まりそうな電車のドアの先に彼女の姿があり、こちらを振り向いてバイバイと手を振りながら笑顔で微笑んでいる。

私は飛び起きて、周りの迷惑も顧みず閉まりかけのドアから飛び下りたのですが、見渡しても彼女の姿はありませんでした。

あれは幻なのでしょうか?

どうしても会いたくて少しだけ会いにきてくれたのでしょうか?

分かりません。

ですが、鮮明にあの笑顔と声だけは脳裏に刻まれていたのです。

その時「はっ!」と気付いたのは、彼女は未だ生きているんだって言う事。

なぜなら、未だ彼女を愛している私が生きているから。

私が生きる限り彼女は私の記憶の中で生きている。

だから一緒に生きればいいのだと。

そして彼女が見れたはずの世界を一緒に見れば良いのだと考えたんですね。

そんな物理的に居ないし、勝手な妄想と言われても仕方ないし、他に彼女ができたら亡くなった彼女に対してどうなのよ?と感じられるかもしれません。

でもね、愛する人に性差はないと思ってるんです。

確かに肉体関係上は性差はあります。

しかし、精神的には性差がないと私は思ってるんです。

そういう「愛」と言う定義を私にくれたのが彼女です。

人一倍愛情が深かった彼女が私に教えてくれた事の話でした。


実はまた彼女に会えた時があるのですがこれは別の機会に。


私的な与太話に最後までお付き合い頂き感謝いたします。

「あいつはバカだ」と言うフレーズを良く耳にします。
会話の前後は分からないのですが、昔から、バカ言うヤツがバカって感じにも捉えられてしまう時も多々ありますね。
そもそもバカってなんでしょね?
記憶力が劣るから?
論理性に欠けるから?
知識が薄いから?
協調性が希薄だから?
では、何を基準になんでしょうね。
概ね、自分又は自分の置かれている環境の標準からでしょう。
極端ですが、全ては自分軸で相手の価値をマイナス評価しているからバカだと言っている気がします。
ちょっと極端すぎる考え方だと思いますので、違う捉え方をすれば自分の置かれている環境の方々は概ねバカと呼ばれる人をマイナス評価するのではないか?との仮説に基づく発言なのかなと。

昔話などから推測するバカは明らかに知的障害に見受けられるんですよね。

そう考えると、世に言うバカはさほどバカでは無いのかなと。
しかし、愚者は多い。
愚者は周囲への迷惑や心配をかえりみず、好き勝手やる人でしょうね。
まあ、社会性が希薄、モラルに欠ける人かな。
周囲に迷惑や心配をかけなければ、その人の危険な行為は悟られません。
それを判断せず、何時でも何処でも感情や欲望の赴くままに生きる人を愚者と呼ぶのかなと思うんです。
環境や社会の価値観はそれぞれの環境や社会によって微妙に又は大きく異なります。
地域性や国民性みたいにね。

知性を持つ人間だから、様々な社会環境に対応する事が出来るはずなのにそれが出来ない。
視点を変えると、知性が未発達な人達が多い社会環境では、異なる価値観を持つ他者を受け入れる事を強く拒む傾向が有ります。

新しい価値観を受け入れ、自分の中に取り込む努力と、更には自分の価値観を少しずつ理解して貰う努力をする人が常に成長し、変化出来る存在。
これが賢者なんだと思います。

自分のエゴを全開にして感情的になる知識人が多い世の中ですが、振り回されず、与えられた環境に精一杯対応しようと努力する事が今の社会を生き抜ける術を持つ人何じゃないかな。

あ、愚者を認めなきゃいけないと言うわけでは無いんです。
相手が愚かな行為をしていると思うなら二つ。
頑張って諭すか、切り捨て関係性をたつか。
どちらもやすやすと出来ないですが、振り回されて自分も愚者の一人と周りから見られるよりマシかなと感じます。
それでも良いと言う方は強いね!