私をここまで成長させてくれた人たちは、男女に関わらず大勢います。
多くの男性には励まされ、支えられていましたが、多くの女性には成長させていただいたと感じております。
その筆頭は肉親たる母親ですが、血族では得られない成長の糧を下さった方を書き遺しておきたいと思います。
人生で最も私の生き方に影響を与えた女性は、一番最初の彼女です。
もし、彼女が健在ならば今もなお私の人生に影響を与え続けたかもしれません。
いやいや、もう居ないから今なお影響を与えているのかもしれませんね。
どんな女性かと申しますと、多分私の初恋に近い感覚の女性。
中学2年の塾で出会い、その後大学迄よき友であり又愛すべき人でした。
非常に温和でのんびり、というよりものんびりしすぎている人でして、怒った顔は見たことがないですね。
怒る前に泣く(多分悔しくてでしょう)。
いつでもどんな時でも笑顔を絶やさず、嫌われている事も私が知りうる限りなかった方だと認識してます。
頭の回転と記憶力はずば抜けているくせに、生活能力や運動神経は皆無に近かったり。
人をあまり疑うこともないけど周りが必ず助けてくれる。
そういう意味では彼女自身も良い人達に助けていただいてたんでしょうね。
上手く表現ができないのですが、野に凛と咲く花のような感じでしょうか。
やさしい感じの中、どことなく芯が通っている感じ。
社会と言う器では枯れてしまうようなそんな女性でした。
では、この女性がどのように私の成長に影響を与えたかですね。
多分この女性が人として最も大切な愛に関しての重要なヒントを残してくれたんだと思っています。
常にそばにいて、居るのが当たり前。
そして彼女も私の存在を感じ続け、私も彼女の存在を感じ続けておりました。
20歳の冬ですが、彼女とまた明日と別れた直後、彼女は事故にあい他界されました。
今でも鮮明に覚えておりますが、寝ているような顔で霊安室に居ましたね。
それから2年間、留学などで日本に居なかった時も多かった彼女でしのでまた旅に出ているような感じのまま私も過ごしておりました。
そしてとある日、ふと彼女が居ないって事を認識したんです。
もう二度と会えない、もう二度とあの笑顔は見れない、話せない。
そう思ったら涙が止まらなくなりました。
それから1年間というもの、自分自身生きているのか、何のために存在しているのか分からなくなっているままの生活を続け、時に刺激を求め無茶もしましたがやはり何か埋まらないんですね。
しかし、とある仕事帰りの電車でうたた寝をしてしまったのですが、地元の2駅前で「バイバイ、また明日ね」と言う、居っこない彼女の声で飛び起きたんです。
閉まりそうな電車のドアの先に彼女の姿があり、こちらを振り向いてバイバイと手を振りながら笑顔で微笑んでいる。
私は飛び起きて、周りの迷惑も顧みず閉まりかけのドアから飛び下りたのですが、見渡しても彼女の姿はありませんでした。
あれは幻なのでしょうか?
どうしても会いたくて少しだけ会いにきてくれたのでしょうか?
分かりません。
ですが、鮮明にあの笑顔と声だけは脳裏に刻まれていたのです。
その時「はっ!」と気付いたのは、彼女は未だ生きているんだって言う事。
なぜなら、未だ彼女を愛している私が生きているから。
私が生きる限り彼女は私の記憶の中で生きている。
だから一緒に生きればいいのだと。
そして彼女が見れたはずの世界を一緒に見れば良いのだと考えたんですね。
そんな物理的に居ないし、勝手な妄想と言われても仕方ないし、他に彼女ができたら亡くなった彼女に対してどうなのよ?と感じられるかもしれません。
でもね、愛する人に性差はないと思ってるんです。
確かに肉体関係上は性差はあります。
しかし、精神的には性差がないと私は思ってるんです。
そういう「愛」と言う定義を私にくれたのが彼女です。
人一倍愛情が深かった彼女が私に教えてくれた事の話でした。
実はまた彼女に会えた時があるのですがこれは別の機会に。
私的な与太話に最後までお付き合い頂き感謝いたします。