「西大井探検」1:都内の大仏を観るために如来寺へ! | 今日は何をレポートしようかな?

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 先日「西大井に大仏がある」と知って早速行って

きました。

「大仏」といえば奈良鎌倉都内では板橋区

乗蓮寺が有名ですが・・・他にも?

そもそも「大仏」の定義って何でしょう?

大仏とは

 大仏とは、巨大な仏像を表す言葉です。

仏像の基本寸法は丈六(じょうろく)といわれ、一丈

六尺(約4.85m)の整数倍、または整数分の一で

造られることが多く、立像で高さが一丈六尺(約

4.85m)よりも大きなものを大仏と呼ぶことが多い

です。

この大きさの基準は、釈迦の身長が一丈六尺

(約4.85m)だったという説や、仏や菩薩が化身

してこの世に現れる身長という考え方から来て

います。

(実在の人物である釈迦の身長が5m近くあった

というのは無理がありますね)

仏教発祥のインドでは、紀元1世紀ごろから

仏像が造られましたが、10mを超えるような巨大

な大仏が建立された例はほとんどなく、中央アジ

アや、中国で巨大仏が造られはじめました。

天然の岩壁を彫刻した磨崖仏(まがいぶつ)も多

く造られています。

日本では奈良時代、聖武天皇が東大寺に奈良

の大仏を建立しました。

〔参考:サイト「en park」より〕

早速西大井に行きました。

 

 

 

 

 

 JRの高架をくぐって進みます。

4年前に訪れた伊藤博文公墓所の前を通ります。

そのレポートをリブログしておきます。

篠谷跨線橋の横を進みます。

いつの間にか高架だったJR線を此処では下を

走っているんですね!?

 

 

 

 

 

 

 目的のお寺が見えてきました。

山門と横に「大佛 如来寺」と刻まれた石柱。

そして「しながわ百景 養玉院(如来寺)・大仏の

千灯供養」と書かれた案内板があります。

養玉院 如来寺

 帰命山 養玉院如来寺は、明治期に現在地に

移転していた如来寺に、上野にあった養玉院が

大正期に移転合併した天台宗の寺院です。

朱塗りの「瑞應殿」には大井の大仏(おおぼとけ)

といわれる木造五智如来坐像が鎮座しています。

如来寺は寛永年間に木喰但唱が芝高輪に創建

したお寺で、但唱によって造立された3メートル

超の五智如来は高輪の大仏と呼ばれ、江戸有数

の名作として評判となりました。

薬師如来を除いて火災で焼失し、他の四体は延享

3年(1746)頃の再興です。

現在は大井の大仏として親しまれています。

春の桜、秋の紅葉とともに四季折々の美しい自然

が楽しめる境内が評判で、年中行事には多くの

参詣者が訪れます。

所蔵する東京都有形文化財『紙本着色仏涅槃図』

は、毎年2月15日の涅槃会法要時だけの限定

公開です。

8月13日の「千燈供養」では境内千個の堤灯に

次々と火がともされ、幽玄な情趣が味わえます。

東海七福神の布袋尊をお祀りしており、お正月は

初詣、七福神めぐりの人々で賑わいます。

〔参考:サイト「しながわ観光協会」より〕

山門が閉まっているのは16時を過ぎているから

でしょうか?・・・いやな予感。

境内に進みます。

 

 

 

 

 途中にはいくつもの石碑や観音像、石燈籠が

あります。

中でも龍神観音は見事です。

龍神観音

 救いを求める相手によって様々な姿に変えて、

大慈悲と智慧で人々の苦しみを取り除き、さらに

幸運をもたらすといいう観音様です。

 古来より、観音菩薩が「富貴吉祥」のシンボルで

ある龍神に乗り、人々を救いに来るお姿の事を

龍神観音を呼び、愛情・財産・出世の運を呼び込

み開運に導いてくれるといわれています。

 威厳あふれる様で、忍び寄る悪災をことごとく追

い祓うとして神仏の化身として崇められ、厄除け、

開運の力をもっています。

 観音様が龍神に乗り、水瓶から無尽蔵に水を湧

き出させて、流れる水が人々の煩悩を洗い流し、

人々に希望と御利益をもたらします。

 波が生み出したそのお姿は後光に包まれ慈愛に

満ちた美しい御尊顔、優雅にたなびく天衣、これこ

そ全ての人々を万能の知恵と慈悲で救う龍神観音

なのです。

 悪運を建(辰)ち開運を招く龍神と、あらゆる願いを

叶えてくださるとされる観音様の霊力が一体となり、

絶大な守護開運力を持っています。

〔参考:「天台宗 帰命山 如来寺 HP」より〕

 

 

 

 

 鐘楼が見えます。

歌碑でしょうか?まったく読めません。

さらに奥に進みます。