「目黒探検」1:目黒駅で下車し行人坂を下る! | 今日は何をレポートしようかな?

今日は何をレポートしようかな?

身の周りの物の掘り下げ、都会を訪ねて、歴史を訪ねて、小説・
映画・TVドラマの舞台を訪ねて、レトロを探して
何でもレポートします。

 3月中旬、七郎委員長は目黒雅叙園に行って

みることにしました。

実は探検地リストにはずっと揚げていながら、

まだ一度も訪れたことが無かったのです。

 

 

 

 東京メトロ南北線・目黒駅で下車し地上へ。

目的の目黒雅叙園に通じる行人坂の案内板が

ありました。

 

 

 

 行人坂を下り始めると「富士見茶屋と夕日の岡」

と書かれた案内板があります。

目黒区みどりの散歩道・不動コース

富士見茶屋と夕日の岡

目黒は起伏に富み、富士見の名所がいくつか

ありましたが、行人坂もその一つです。

江戸時代、坂の上には富士見茶屋という茶屋

があって、ここから眺める富士の姿は大変に

素晴らしいものでした。

江戸名所図会には、秀麗な富士の峰を背景に、

茶店で一息入れる当時の人々の姿が活き活

きと描かれています。

また、この坂の一帯は江戸時代の中頃まで

「夕日の岡」と呼ばれていました。

見事な夕日の眺めに、思わず足を止めて見入

った旅人も少なくなかったに違いありません。

〔参考:「目黒デジタル百科事典 資料データ

ベース」より抜粋〕

確かに急坂です。

かつては此処から富士山が見えたんでしょうね。

1本北側は有名な権之助坂です。

 さらに行人坂を下ります。

行人坂

つまずきでもしたら、一気にころげ落ちそうな

急な勾配(コウバイ)。

行人坂は険しい坂道です。

今は近くの権之助坂(ゴンノスケ ザカ)ほどの

賑わいはありませんが、昔は目黒不動への

参詣客で栄えた道でした。

江戸時代の初め、寛永の頃に出羽(デワ)

(山形県)三山の一つ湯殿山の修験僧(シュゲ

ンソウ)たちが坂の途中に大日如来堂(ダイ

ニチニョライドウ)を建て、ここに篭(コモ)って

日夜修行にはげんでいました。

彼らは行人と呼ばれ、坂の名前はそこから

ついたといわれています。

〔参考:「目黒デジタル百科事典 資料データ

ベース」より抜粋〕

 

 

 

 

 

 

途中 菩薩石像がありました。

目黒区教育委員会の説明板もあります。

目黒川架橋供養勢至菩薩石像

大円寺門前より行人坂を少し登ったところに

ある勢至(せいし)堂に置かれています。

台座97センチメートル、蓮華20センチメー

トル、勢至(せいし)菩薩52センチメートルか

ら成り、勢至(せいし)菩薩は両手を合掌し、

片膝を立てて座っています。

台座の前面と両側面には、江戸時代中期の

目黒川架橋に関する銘文が刻まれています。

銘文からは、宝永(ほうえい)元年(1704年)

に僧の西運(さいうん)が目黒不動と浅草観音

に毎日参詣し、その途中で人々の報謝を受け、

これをもとに目黒川の両岸に石壁を造り、

石製の太鼓橋(たいこばし)を架けたことが

わかります。

〔参考:「目黒区 HP」より〕

此処でお詣り。

 

 

 

 

 

 さらに行人坂を下ると立派な山門を構えた

大圓寺がありました。

山門をくぐります。