「小菅探検」3:五反野親水緑道と一茶も詠んだ裏門堰親水水路! | 今日は何をレポートしようかな?

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 「下山事件」の手がかりを追って、かつて敗戦

利得を得た魑魅魍魎の面影を探した13年前の

レポートをリブログします。

 

 

 

 

 

 下山国鉄総裁追憶碑の前を流れる五反野親水

緑道の小川に沿って北上してみましょう。

JR線の高架をくぐったその先は五反野コミュニティ

公園のある閑静な住宅街になっていました。

 

 

 

 

 

 今度は五反野親水緑道を南下してみます。

五反野親水緑道

 東京都足立区を走る東武スカイツリーライン

の東に整備された、水に親しめる散歩道です。

 毎年7月から8月にかけて、緑道内には

「じゃぶじゃぶ池」が開設され、すがすがしい

風が通り抜ける小川で、小魚やザリガニなどを

見ながら水遊びをすることができますよ。

 また、初春には、すぐ近くにある五反野コミュ

ニティ公園の桜が見ものとなります。

 駅から近いので、子どもと一緒に気軽に利用

できますよ。

 是非一度、訪れてみてください.

〔参考:サイト「Yhoo!マップ」より〕

出発点まで行くとオブジェがあり、そこから水が

流れ出していました。

「五反野親水緑道」と刻まれた石柱があります。

その先には東京拘置所が見えました。

こちら側は足立区、向こう側は葛飾区になるん

ですね!?

 

 

 

 

 

 東京拘置所を囲むような水路が見えます。

これは「裏門堰親水水路」と呼ばれるようで、

綾瀬川荒川につながっているそうです。

水路に架かる新古川橋を渡ってみました。

裏門堰親水水路

 裏門堰は、古隅田川ではなく、旧綾瀬川流路

です。

 現在は、綾瀬川から裏門堰親水水路に取水し、

五反野親水緑道の下に設置された浄化槽で浄

化し緑道に供給し、再び綾瀬川に戻し河川浄化

の一助としています。

〔参考:サイト「Discover江戸史蹟散歩」より〕

東京拘置所のフェンス手前に小林一茶に関する

説明板を見つけました。

一茶と小菅

 江戸時代の俳人小林一茶は足立や葛飾あたり

の風物を詠んだ秀句を多く残しています。

その中から、特に小菅に由緒の深い句をとり出し

て紹介します。

(小菅籾蔵)

 遠水鶏 小菅の御門 しまりけり

閉まろうとする小菅籾倉の御門を叩いているよう

な水鶏の声が遠くから聞こえてくる。

静かな夏の小菅の夕刻です。

(合歓の花)

 古舟も そよそよ合歓の もようかな

一茶の深川紀行に「小菅川に入る。左右合歓の

花盛りなり。」とあり、続いて右の句が記されて

います。

小菅川とは、綾瀬川下流の別称です。

歌川広重の江戸名所百景にも描かれ、江戸名所

花暦にも、次のように紹介されています。

 「合歓の木」綾瀬川・・・・花又村(今の足立区花

畑)の川筋、小菅御殿の跡の辺、いにしえはおほ

かりしが、いまはここかしこにあり・・・。

 現在の東京拘置所付近の綾瀬川辺りが合歓木

の名所であったようです。

綾瀬川の合歓木は江戸の人々にも花名所として

知られていたようです。

 初夏に小枝の先にうす紅色の長い糸のような

可憐な花をつけます。

この花をたずねて、風雅を愛する人々が訪れた

ことでしょう。

(葛西ばやし)

 けいこ笛 田はことごとく 青みたり

 今年も豊年。秋祭りももうすぐだ。

葛西ばやしは葛飾地方に古くから伝わる郷土芸

能のひとつです。

かつて小菅に下屋敷のあった関東郡代、伊奈

半十郎忠辰は、天下泰平、五穀豊穣、さらには

一家の和合と非行防止、余暇善導を目的として、

おおいに葛西ばやしを奨励しました。

毎年各町村で葛西ばやし代表者推薦会を催し、

選ばれた者を代官自ら神田明神の将軍上覧祭

りに参加を推薦したので、一層流行し、農業の

余暇にお囃子を習う若者が続出したといわれ

ます。

(蚊)

 かつしかの 宿の藪蚊は かつえべし

蚊もまた葛飾の名物だったようです。

〔参考:サイト「Discover江戸史蹟散歩」より〕

此処は郡代様も住む由緒ある場所だったよう

です。