「盛岡探検」8:三石神社の鬼の手形は凄い! | 今日は何をレポートしようかな?

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 次の名所「鬼の手形」に向かいます。

報恩寺からさほど離れていない場所に鳥居があり

ました。

此処が三石神社ですね。

三石神社

三ツ石神社は、盛岡市名須川町にある神社です。

三ツ石神社の創建年代等は不詳ながら、少彦名命

を始め四柱の大神を祀り、古くより信仰されてきた

といいます。

伝承では、鬼が住民・旅人を悩ませていたので、

当社に祈願して鬼を捉えて三ツ石に縛り付けた

ところ、鬼が退散することを誓ったので、三ツ石

(岩)に手形を押させたとも伝えられ、このこと

から岩手の名称が生まれたとも伝えられます。

南部二十七代利直公の盛岡築城に際しては、

南部初代光行公の神霊を合祀、明治3年には

村社に列格していました。

〔参考:サイト「猫の足あと」より〕

巨木の奥に大きな岩が三つ見えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 説明板があります。

三ツ石と鬼の手形

伝説によると昔この地方に羅刹という鬼が住ん

でいて付近の住民をなやまし旅人をおどしてい

ました。

そこで人々は三ツ石の神にお祈りをして鬼を

捕えてもらい境内にある巨大な三ツ石に縛り

つけました。

鬼は二度と悪さをしないし、又二度とこの地方

にはやってこないことを誓ったので約束のしるし

として三ツ石に手形を押させて逃がしてやりまし

た。

この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の

起源といわれ、又鬼が再びこないことを誓った

のでこの地方を「不来方」と呼ぶようになったと

伝えられています。

鬼の退散を喜んだ住民達は幾日も幾日も踊り、

神さまに感謝のまごころを捧げました。

この踊りが「さんさ」踊りの起源といわれています。

(境内掲示より)

〔参考:サイト「猫の足あと」より〕

これが「岩手」県名の起源とは!初めて知りました。

三つの岩を丹念に眺めましたが、確かに手形の

ようなものがあったのですが・・・自信がありません。

でもこの岩、どうやって運んだのでしょうね!?

お詣りして三石神社を後にしました。

 

 

 

 

 

 ぐるっと回って小本街道に戻りましょう。

東顕寺の山門前に来ました。

曹洞宗 松峰山 東顕寺

曹洞宗寺院の東顕寺は、松峰山と号します。

東顕寺は、出羽荘内出身の古山良空和尚が、

水沢正法寺で悟りを開き、不来方で草庵を営

んでいたところ、不来方城主福士五郎武田源氏

政長の寄進を受けて一寺となし、松峰山東顕寺

と称して古山良空和尚が開山したといいます。

開山・縁起

開創は至徳元年(一三八四) で、本寺は水沢市

正法寺である。

開山(古山良空和尚)は、出羽荘内の人で十九歳

のとき教院に身を投じ、天台の止観を学べども

疑い釈けず遂に禅門に入り、水沢市の大梅拈

華山圓通正法寺の二世月泉良印禅師に師事し

典座(修行僧の食事係)の役に身命を注ぎ弁道に

励む。

ある朝炉に柴を焚くの折、火星額に飛び負痛、

忽然として大悟し、師の月泉禅師より印下証明

を受ける。

その後、師匠月泉の許可を得て正法寺を退き、

至徳年間(一三八四~八七)に岩手郡の奇巌怪

石の間に草庵を結び、ひたすら坐禅三昧に打

ち込んでいた。

当時、盛岡を不来方といい、不来方の館の主を

福士五郎武田源氏政長といった。

政長が草庵で黙々と坐禅をする良空和尚の

道行に渇仰し、浄財を喜捨して一寺を建立し、

良空和尚を請して開山となし、また当時廃寺で

あった寺の称号をとって松峰山東顕寺と称した。

(「聯灯録」より)(「盛岡の寺院」より)

〔参考:サイト「猫の足あと」より〕

ようやくお寺が密集する地域 名須川町を離れ

ました。