「鶴ヶ峰探検:畠山重忠にたずねよ」1:先ずは白根神社から! | 今日は何をレポートしようかな?

今日は何をレポートしようかな?

身の周りの物の掘り下げ、都会を訪ねて、歴史を訪ねて、小説・
映画・TVドラマの舞台を訪ねて、レトロを探して
何でもレポートします。

 4月の最終日、地元でも有名な鎌倉幕府

の有力御家人・畠山重忠の遺構を歩いて

みることにしました。

「畠山重忠」って誰?と言われる方が大半

と思われますので説明しましよう!

畠山重忠

畠山重忠は、鎌倉時代に活躍した武将で、

幕府を開くときにも力をつくし、源頼朝に

たいへん信頼されていました。

平氏全盛の時代に、現在の、埼玉県深谷

市畠山(旧川本町)で生まれ、嵐山町に

屋敷を構えていました。

重忠は、源義経とともに一の谷や屋島で

平氏と戦い、奥州征伐でも活躍したとい

われています。

しかし、幕府の権力争いにまきこまれ、

鎌倉に向かう途中、鶴ケ峰付近で討ち

死にしました。

地元の人たちは、その人柄をしのび、八

百年以上たった今も語り継いできました

ので、旭区内には、重忠ゆかりの史跡が

たくさん残っています。

また、六ツ塚がある薬王寺では、毎年6月

22日に重忠公和讃や重忠節踊りの奉納

などで畠山重忠をしのぶ慰霊祭が開催さ

れています。

〔参考:「横浜市 HP」より〕

言わば地元の英雄、「重忠」を冠した蕎麦

屋さんもある程です!

では探検開始です。

 

 

 

 

 探検スタートは、先ずは相鉄線鶴ヶ峰駅

に近い源氏ゆかりの「白根神社」に入りま

した。

白根神社

ご祭神:日本武尊

創立年月は不詳であるが、源義家が厚く

信仰し、天喜年間安倍貞任・宗任征伐の

時、当社御神像を守りとして兜の中に納

め、勝利を得たのに報いる為、康平6年

(1063年)権五郎景政に命じて社殿を造

営し御神像を祀ったという。

治承4年(1180年)、源頼朝鎌倉入りの

途次、義家の故事を想起し、境内の池

で身を浄め勝利の祈誓をした、その池

は鬢手洗池として現存する。

現社殿は大正8年(1919年)4月炎上後

に造営したものである。

江戸時代には、白根不動として世に知ら

れていたが、神仏分離によって明治42

年(1909年)社号を白根神社と改め、

大正10年(1921年)12月には村社に列

せられた。

〔参考:サイト「御朱印集めには神社が

いいね・お寺がいいね」より〕

鳥居の傍に万葉歌碑があります。

碑文(表面) 

わ可ゆきの伊(き)津く志可(は)あし可ら能

  美ね(は)保く毛(を)三(と)しぬ波ね

                    服部於由

わ可(世)な(を) 筑紫へやりて う(津)くし

美 

  おひ(は)はとかなヽ あ屋(に)可裳ねも

                    服部呰女

〔参考:「万葉歌碑を求めて!」より〕

横に説明板があります。

 

 

 

 

 

 

 

 滝の音が聞こえます。

奥に白糸の滝がありますね。

白糸の滝橋を渡ると、見えてきました。

白糸の滝

帷子川支流の中堀川が境内を流れ、

大滝(写真)と小滝の2つの滝があります。

大滝は幅9.1m、落差5.5mあったのが1991

年の護岸工事により幅7メートル、落差3.

2メートルとなりましたが、それでも横浜市

で最大の滝です。

小滝は行者の修行にも使用されたとか。

〔参考:サイト「さわやかマイタウン横浜

旭区」より〕

お天気が良いので、清涼感が堪りません!

実はここから坂道を上って神社に向かうと

ころですが、7年前の同時期に此処を訪れ

た際の苦い記憶が・・・

その時の記事をリブログしておきます。

白根不動尊に向かうことにしました。