「戸塚宿探検」3:戸塚宿の本陣跡 | 今日は何をレポートしようかな?

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 国道1号線に出て、レトロな司命堂医院

前を歩きます。

すると明確な戸塚宿の名残を見つけました。

内田本陣跡です。

本陣は大名や勅使・院使・宮門跡・公家な

ど第一級の人たちが宿泊する宿屋のよう

です。

内田本陣跡

本陣とは、大名、勅使、公卿、宮門跡、公用

の幕府役人などだけが宿泊や休息できた

施設です。

この辺りに、戸塚宿 に2つあった本陣のう

ちの1つ内田本陣がありました。

内田本陣は間口18間(32.8m)・奥行14

間(25.5m)で、 畳数は152畳あったとい

うことです。

〔『内田本陣跡』説明板より〕

では前出の遊郭はこれらそこそこ身分の高

い方々が遊んだ場所になるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 さらに進むと脇本陣跡です。

出桁造りの家の前に説明板です。

脇本陣跡

脇本陣は、本陣に差し支えが生じたときな

どに利用されました。本陣とは異なり大名

などの宿泊が無い時は一般旅客の宿泊

に 供することができました。

規模は本陣よりも小さいですが、諸式は

すべて本陣に準じ、上段の間などもありま

す。

 戸塚宿には3軒の脇本陣がありました。

〔『脇本陣跡』説明板より〕

これら一般の方々はどこで遊んだのでしょ

うか?

 

 

 

 

 

 さらにさらに進むと宿場を思わせる街並み

です。

その辺りに「明治天皇戸塚行在所阯」と刻ま

れた立派な石碑と澤邊本陣跡の説明板が

ありました。

澤邊本陣跡

澤邊本陣は戸塚宿に2つあった本陣の

うちの1つです。

本陣創設時の当主、澤邊宗三は戸塚宿の

開設にあたって 幕府に強く働きかけた功

労者です。

明治天皇の東下の際には行在所になりま

した。

敷地の一角に戸塚宿の鎮守の1つ羽黒

神社があります。

弘治2(1556)年に澤邊河内守信友が

羽黒大権現を勧請したのが始まりと言われ

ています。

〔『澤邊本陣跡』説明板より〕

戸塚には本陣が2軒あり、それぞれ、内田

家と澤邊(さわべ)家がつとめた。

澤邊家には、現在標柱と説明板があり、

近くには明治天皇戸塚行在所阯の碑があ

る。

なお、裏手は今も澤邊家の住居である。

〔参考:旧街道紹介サイト「東海道」より〕

澤邊家のお宅にはまだ遺構が残っている

のでしょうか?

興味が尽きません。