「沖縄探検2日目」8:いよいよ首里城!歓会門と龍樋と瑞泉門! | 今日は何をレポートしようかな?

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 玉陵を出て再び首里城公園に向かい

ます。

沖縄県立首里高等学校がありましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 守礼門をくぐって歓会門に向かいます。

両側にシーサーがいました。

歓会門(かんかいもん)

首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一

の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎

するという意味である。

往時、首里城へは中国皇帝の使者

「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こ

うした人々を歓迎するという意味でこの

名が付けられた。

首里城は外郭(外側城郭)と内郭(内側

城郭)により二重に囲まれているが、

ここは外郭の最初の門で、別名「あまえ

御門(あまえうじょう)」ともいう。

「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしい

こと」を意味する。

創建は1477~1500年頃(尚真王代)で、

沖縄戦で焼失したが、1974年(昭和

49)に復元された。

門は石のアーチ状の城門の上に木造

の櫓(やぐら)が載せてある。このスタイ

ルは後述する久慶門(きゅうけいもん)、

継世門(けいせいもん)、等と同じである。

門の両側には「シーサー」という一対の

石造の獅子像があるが、これは魔除け

の意味で置かれている。

〔参考:「首里城公園 HP」より〕

門をくぐると門番さんがいました。

 

 

 

 

 

 

 

 少し進むと石段の先に門です。

此処には龍桶冊封七碑瑞泉門があ

るようです。

石段の横に龍樋がありました。

龍樋(りゅうひ)

「龍樋」は、龍の口から湧水が湧き出し

ていることからそのように名付けられた。

この水は王宮の飲料水として使われて

いた。

また、中国皇帝の使者・冊封使(さっぽう

し)が琉球を訪れたとき、那覇港近くに

あった「天使館(てんしかん)」という宿舎

まで、毎日ここから水を運んだといわれ

ている。

龍の彫刻は1523年に中国からもたらさ

れたもので、約500年前のものである。

〔参考:「首里城公園 HP」より〕

水に恵まれていたようです。

冊封七碑があります。

冊封七碑(さっぽうしちひ)

「冊封七碑」とは、龍樋(りゅうひ)の周辺

に設置されている七つの石碑のことであ

る。

中国皇帝の使者として琉球国王の即位

を宣言するために遣わされた歴代の

「冊封使(さっぽうし)」たちは、龍樋の水

の清らかさを讃え、漢詩を詠んだり題

字を残した。

それらの碑は沖縄戦で破壊され、ほと

んど現存しないが、1984年(昭和59

年)発掘調査の際に「飛泉(ひせん)」

という割れた石碑が発見され、沖縄県

立博物館に保存されていた「漱玉(そう

ぎょく)」という石碑の残り半分であるこ

とが判明し当時話題になった。

「飛泉漱玉(ひせんそうぎょく)」とは清ら

かな泉が玉のように飛び散っていると

いう意味である。

〔参考:「首里城公園 HP」より〕

瑞泉門をくぐります。

瑞泉門(ずいせんもん)

「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでた

い泉」という意味である。

門の手前右側にある湧水が「龍樋(りゅ

うひ)」と呼ばれ、それにちなんでこのよ

うに名付けられた。

ここは第二の門で、別名「ひかわ御門

(うじょう)」ともいう。

「樋(ひ)」は川や泉から水を導く長い管、

または溝、あるいは屋根の雨水を受け

て地上に流す装置(掛け樋)等のことを

さす。

一方、沖縄で井戸や泉のことをすべて

川(カワまたはカー)と表現する。

「ひかわ」とは、こうした表現を合わせた

言葉で、フィージャーガーとも発音する。

創建は1470年頃で沖縄戦で焼失した

が、1992年(平成4)に復元された。

門の両脇には一対の石獅子(いしじし)が

並んでいる。

これも魔除けの意味で置かれている。

瑞泉門は先に見たアーチ状の石門の

歓会門とは異なり、双璧の門の上に直接

櫓(やぐら)がのっている。

このタイプの櫓門(やぐらもん)は日本本

土の城門でも見ることができるが、櫓の

中央の「瑞泉」という扁額(へんがく)が

琉球独特の持ち味を出している。

〔参考:「首里城公園 HP」より〕