「自由が丘・田園調布探検」1:自由が丘を歩いた | 今日は何をレポートしようかな?

今日は何をレポートしようかな?

身の周りの物の掘り下げ、都会を訪ねて、歴史を訪ねて、小説・
映画・TVドラマの舞台を訪ねて、レトロを探して
何でもレポートします。

 ここのところ七郎委員長、横浜での単独行動が

続いていました。

ようやく今回探検地決定委員会が召集されました。

問題は雨です。

以前、雨の日は「美術館、博物館を攻めよ!」

いう鉄則を紹介しました。

しかしひとつ大きな問題を抱えています。

それは大抵美術館・博物館は展示内容の撮影が

許されていない、ということ。

迂闊でしたー!

今回の探検地決定委員会では、そこが争点となり

ました。

 そして今回採択された結論。

「近場で雨の間隙を突け!」でした。

決定した探検地「自由が丘・田園調布」と満場一

致で決まります。


自由が丘駅

自由が丘駅前ロータリー

 ここは横浜から東急東横線1本で行けます。

七郎委員長は勤め人時代、東急東横線沿線

神奈川県側に通っていました。

川崎市から多摩川を越えると「自由が丘・田園調

布」の在る東京都に変わります。

七郎委員長、職場の仲間と飲む時はほとんど

地元でしたが、たまに「今夜は決めてやる!」と

思った時には自由が丘でした。(何を決めるのか?

判りませんけど・・・笑)

花見も亀甲山古墳のある多摩川園駅(当時)傍の

公園でした。一行は自由が丘駅で降ります。

駅前はほとんど変わっていないロータリーです。

少し歴史を調べてみましょう。

自由が丘の歴史

現在の緑ヶ丘を含む自由が丘一帯は、もともと

荏原郡衾(ふすま)村字谷畑といった。

1927年、この地に自由ヶ丘学園が開校された。

1928年、東京横浜電鉄九品仏駅が自由ヶ丘駅

に改称された。

1932年(昭和7年)、東京市域拡張時に目黒区

が出来て、東京市目黒区自由ヶ丘となった。

1965年、住居表示に係わる法令により自由が丘

となり、翌年、駅名も自由が駅と改められた。

第二次世界大戦中、地名改正を勧告されたが、

住民達は同意せず、「自由ヶ丘」の名を守った。

〔参考:サイト「名湯・秘湯・立寄り湯」より〕


自由が丘デパート1
自由が丘デパート2

自由が丘デパート3

 駅を背にして右側に「自由が丘デパート」が在り

ました。まだがんばっているんですね。

自由が丘デパート

自由が丘は戦前から市街化していた街だった訳

だが、この自由が丘デパートの成り立ちは終戦

から近い昭和28(1953)年である。

デパートとは言っても、三越や丸井のそれとは全

然違っていて、店の中心は個人商店の集まり。

創業当時駅周辺に広がっていたバラック建ての

闇市を掻き集めて出来上がったという、所謂「戦

後のドサクサ」物件の一つなのである。

〔参考:サイト「東京DEEP案内」より〕

残念ながらこの日はお休み。中は清掃中のようで

した。


裏路地の鳥居

土蔵を改造した飲み屋さん

東急線のガード
レトロなラーメン屋さん


 さて七郎委員長、この自由が丘で何に焦点を当

てて探検するのか?いまひとつ決まりません。

「まあいいや!とにかく足の向くまま歩いてみよう!」

自由が丘といえばお洒落な街、スイーツの街・・・

そんなイメージが浮かびます。

しかしちょっと裏路地に入ると、ちょっとディープな

飲食店も存在します。

裏路地に突然鳥居が在ったり、土蔵を改造したお

店が在ったりします。

良くいえば多種多様な街づくり、悪くいえば雑然と

して何でも受け入れている感じがします。

東急線のガード下をくぐりますと、木造のレトロな

ラーメン屋さんが在りました。


昭和チックな裏路地

香辛堂

 また戻って裏路地に入ると、今度は親父が似合

いそうな、昭和チックなスナックや古い居酒屋が

建ち並ぶ一画が在りました。

そしてそこを抜けると、七郎委員長のアンテナが

ピピっと反応、香辛料専門店が在りました!

香辛堂

様々な食材、料理がテーブルに上がる今、日本で

初めてとなるオーダーを受けてから調合するミック

ススパイス専門店です。挽きたての香りを味わって

みて下さい!

〔参考:「香辛堂 HP」より〕