最終回「西横浜探検」5:横浜歴史の道 紅葉坂 | 今日は何をレポートしようかな?

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紅葉橋

伊勢山神宮標識と紅葉坂
洋食屋 きらく 
元ホテル横浜開洋亭 

 紅葉橋に出ました。紅葉のオブジェが可愛いです。

ここから山側に上る坂を紅葉坂と呼びます。

伊勢皇大神宮に通じる入口に標識が在ります。

そして坂の途中には地元では知る人ぞ知る「洋食屋

綺・Luck(きらく)」が在りました。

俵型のハンバーグが美味しいそうです。

紅葉坂

横浜紅葉坂(よこはまもみじざか)とは、国道16

紅葉橋交差点と横浜駅根岸道路とを結ぶなだらか

。歩道から車道まで横浜でも珍しい総石畳

風情のある道で全長は約300m程。

昔はの木が多かったため、紅葉坂と呼ばれるよ

うになった。

起点の紅葉橋交差点は横浜ランドマークタワー

ら西側に約300m進んだ場所にあり、横浜みなと

みらい21のビル群や日本丸などが間近に見られ

る絶景ポイントである。

伊勢大神宮天照大御神を祀る横浜最大の神社

で、隣地にはかつて明治天皇の離宮があった。

〔参考:Wikipediaより〕

観覧車が目線の位置に見えます。

さらに上ると、元ホテル横浜開洋亭が在った場所

です。今は高級マンションでしょうか?

両親がこちらに来た時はよく此処に泊まったも

のです。その部屋に入ったことがありますが、

確かに此処は絶景ポイントでした。

2006年、惜しまれつつ営業を中止しました。


掃部山公園と音楽堂
神奈川奉行所跡石碑 
神奈川奉行所跡説明板 
金星太陽面経過観測記念碑 

 その向かい側は掃部山公園です。公園内に県立

青少年センターや音楽堂、能楽堂が在ります。

道沿いには神奈川奉行所跡の石碑と説明板が在り

ました。

掃部山公園

掃部山は、昔、明治初期の鉄道敷設に携わった

鉄道技師の官舎が建てられていた他、地下から

湧く水を蒸気機関車の給水に利用していたことか

ら鉄道山と呼ばれていました。

その後、横浜開港に貢献した井伊直弼の記念碑

を建てる際に、井伊家の所有になりましたが、大正

3年に市に寄付され掃部山公園となりました。

桜に囲まれた広場の奥では、現在も井伊直弼の

銅像が横浜の港を見下ろしています。

また、公園内には遊具が設置された広場や、池を

配した和風庭園があり、公園の一角には横浜能楽

堂が建てられています。掃部山公園は桜の名所と

しても知られていますので、桜の季節には、ぜひ

お花見におとずれてみてください。

〔参考:「横浜市西区ホームページ」より〕

神奈川奉行所跡

この地域一帯は、横浜開港に備えて置かれた

奉行所の跡である。奉行所は、横浜開港直後の

安政6年(185964日に開設され、前年7

以来開港準備を担当してきた水野筑後守(ちくご

のかみ)ら5人の外国奉行全員が当初の神奈川

奉行を兼任し、輪番で横浜黎明期(れいめいき)

の行政事務を処理していた。

〔参考:サイト「よこはま歴史の道」より〕

並びにまた石碑「金星太陽面経過観測記念碑」

在ります。1874年(明治7年)の横浜における金星

の日面通過観測を記念したものだそうです。



音楽通り

ホテル テラス横浜案内看板

ホテル テラス横浜

ガス灯
キッチンカフェ ぱる

 紅葉坂を下りて右折、音楽通りを進みます。

このネーミング、前出の音楽堂から由来するらし

いです。

「ホテル テラス横浜」の看板が在り、その先に

瀟洒なホテルが在りました。

そこから間もなく本町小学校が在り、その横に

ガス灯を見つけました。

日本初のガス灯

ここは日本のガス事業を興した高島嘉右衛門の

ガス工場のあった場所だ。1870年(明治3年)、

高島嘉右衛門は10名足らずの有志とともに組

織を作り、計画書を県に申請、すでに事業の許

可を申請していたドイツのシュルツ=ライス商会

に対抗して勝利し、翌1871年(明治4年)に伊勢

山下石炭蔵のあったこの地にガス工場を建設した。

1872年(明治5年)、馬車道から本町通りにか

けて日本初のガスの灯がともる。その数十数基で

あったというが、その年の内には300基にまで増

やし、その二年後には東京銀座にもガス灯をとも

している。

〔参考:サイト「横浜線沿線散歩」より〕

横浜は“日本初”が多いです。

そして着いたのが「キッチンカフェ ぱる」、先日
紹介したとおり、ここで昼食を採りました。

これで「西横浜探検」を終ります。