紅葉橋に出ました。紅葉のオブジェが可愛いです。
ここから山側に上る坂を紅葉坂と呼びます。
伊勢皇大神宮に通じる入口に標識が在ります。
そして坂の途中には地元では知る人ぞ知る「洋食屋
綺・Luck(きらく)」が在りました。
俵型のハンバーグが美味しいそうです。
紅葉坂
横浜紅葉坂(よこはまもみじざか)とは、国道16号
紅葉橋交差点と横浜駅根岸道路とを結ぶなだらか
な坂。歩道から車道まで横浜でも珍しい総石畳の
風情のある道で全長は約300m程。
昔は楓の木が多かったため、紅葉坂と呼ばれるよ
うになった。
起点の紅葉橋交差点は横浜ランドマークタワーか
ら西側に約300m進んだ場所にあり、横浜みなと
みらい21のビル群や日本丸などが間近に見られ
る絶景ポイントである。
伊勢大神宮は天照大御神を祀る横浜最大の神社
で、隣地にはかつて明治天皇の離宮があった。
〔参考:Wikipediaより〕
観覧車が目線の位置に見えます。
さらに上ると、元ホテル横浜開洋亭が在った場所
です。今は高級マンションでしょうか?
両親がこちらに来た時はよく此処に泊まったも
のです。その部屋に入ったことがありますが、
確かに此処は絶景ポイントでした。
2006年、惜しまれつつ営業を中止しました。
その向かい側は掃部山公園です。公園内に県立
青少年センターや音楽堂、能楽堂が在ります。
道沿いには神奈川奉行所跡の石碑と説明板が在り
ました。
掃部山公園
掃部山は、昔、明治初期の鉄道敷設に携わった
鉄道技師の官舎が建てられていた他、地下から
湧く水を蒸気機関車の給水に利用していたことか
ら鉄道山と呼ばれていました。
その後、横浜開港に貢献した井伊直弼の記念碑
を建てる際に、井伊家の所有になりましたが、大正
3年に市に寄付され掃部山公園となりました。
桜に囲まれた広場の奥では、現在も井伊直弼の
銅像が横浜の港を見下ろしています。
また、公園内には遊具が設置された広場や、池を
配した和風庭園があり、公園の一角には横浜能楽
堂が建てられています。掃部山公園は桜の名所と
しても知られていますので、桜の季節には、ぜひ
お花見におとずれてみてください。
〔参考:「横浜市西区ホームページ」より〕
神奈川奉行所跡
この地域一帯は、横浜開港に備えて置かれた
奉行所の跡である。奉行所は、横浜開港直後の
安政6年(1859)6月4日に開設され、前年7月
以来開港準備を担当してきた水野筑後守(ちくご
のかみ)ら5人の外国奉行全員が当初の神奈川
奉行を兼任し、輪番で横浜黎明期(れいめいき)
の行政事務を処理していた。
〔参考:サイト「よこはま歴史の道」より〕
並びにまた石碑「金星太陽面経過観測記念碑」が
在ります。1874年(明治7年)の横浜における金星
の日面通過観測を記念したものだそうです。
紅葉坂を下りて右折、音楽通りを進みます。
このネーミング、前出の音楽堂から由来するらし
いです。
「ホテル テラス横浜」の看板が在り、その先に
瀟洒なホテルが在りました。
そこから間もなく本町小学校が在り、その横に
ガス灯を見つけました。
日本初のガス灯
ここは日本のガス事業を興した高島嘉右衛門の
ガス工場のあった場所だ。1870年(明治3年)、
高島嘉右衛門は10名足らずの有志とともに組
織を作り、計画書を県に申請、すでに事業の許
可を申請していたドイツのシュルツ=ライス商会
に対抗して勝利し、翌1871年(明治4年)に伊勢
山下石炭蔵のあったこの地にガス工場を建設した。
翌1872年(明治5年)、馬車道から本町通りにか
けて日本初のガスの灯がともる。その数十数基で
あったというが、その年の内には300基にまで増
やし、その二年後には東京銀座にもガス灯をとも
している。
〔参考:サイト「横浜線沿線散歩」より〕
横浜は“日本初”が多いです。
そして着いたのが「キッチンカフェ ぱる」、先日
ご紹介したとおり、ここで昼食を採りました。
これで「西横浜探検」を終ります。