「信じる」ことはとても難しいことです。
「信じこむ」ことは、盲目な気がしますし、
「信じない」ことは、孤独なことで
「信じられない」ことは、哀しいことです。
「信じている」つもりが、
実はただ「それにとらわれていただけ」だったり
「ただ頭でそういうことにしているだけ」だったり、します。
けれども、
「信じる人」が美しい、
と思うのはなんでなんだろう。
この世界が「信じない」ゲームの駆け引きの中で動き、
徹底的な検証可能性と証拠とデータと計算と理性のみによって処理されてしまう中、
それでも、なお、やっぱり、
何か一点、
何ものにも汚されることのない処女雪のような意志、
「信じる」
という真っ直ぐな光。
「信じる」ことは、
その人を本当にその人自身にするような気がするのです。
「信じる人」は、
「信じているもの」に、その人を照らし出されている。
少しだけでも、
「信じる人」になりたい、
ちょっとだけ
そんな美しさを持ちたい。
そう憧れます。