信じること。 | 救魂録

救魂録

カルトや発達障害や自己啓発など潜り抜けてきたカトリック信徒のブログです。

「信じる」ことはとても難しいことです。

「信じこむ」ことは、盲目な気がしますし、
「信じない」ことは、孤独なことで
「信じられない」ことは、哀しいことです。

「信じている」つもりが、
実はただ「それにとらわれていただけ」だったり
「ただ頭でそういうことにしているだけ」だったり、します。

けれども、
「信じる人」が美しい、
と思うのはなんでなんだろう。

この世界が「信じない」ゲームの駆け引きの中で動き、
徹底的な検証可能性と証拠とデータと計算と理性のみによって処理されてしまう中、
それでも、なお、やっぱり、
何か一点、
何ものにも汚されることのない処女雪のような意志、
「信じる」
という真っ直ぐな光。

「信じる」ことは、
その人を本当にその人自身にするような気がするのです。

「信じる人」は、
「信じているもの」に、その人を照らし出されている。

少しだけでも、
「信じる人」になりたい、
ちょっとだけ
そんな美しさを持ちたい。

そう憧れます。