私は山に向かって目を上げる
私に助けは誰から来るか
私の助けは天地を造られた神から来る。
ーーー詩篇121
https://youtu.be/9uk2GLTZyg0?si=8e4N39uhYB5cS6-8
だいたい私の人生、6年に一回くらい、
リスクを顧みず竿の先からジャンプするような冒険をしているのですが、
四国遍路に出た時のことを思い出します。
神様いるんだったら、助けてくれ、
と将来や、自分のしでかした罪のことが不安で不安で仕方がなかった。
高校と塾で勤めていましたが、
学級崩壊、先生をバカにして楽しんで、
職員室からはしっかり管理せいと圧力をかけられ、
生きている意味がわからなくなってきて、
虚しくて仕方がない。
夜回り先生や、GTOやドラゴン桜や金八みたいな、
そういう熱血で、生徒を見捨てない、本気でぶつかる、
みたいなのになろうとしていたが、
現実は、もう真逆というか、
問題児を愛の力で信じ抜いて更生させたみたいな話を聞くと、
「俺の愛やハートや覚悟が全然足りない」
とか落ち込む。
キャパも器も小さいクソダメ講師だと自分を責める。
我慢してポジティブ、いい先生を演じておりましたが、
何をどう前向きに解釈しようとしても押しつぶされてしまうので、
次第に、この茶番にぷっつんきて、
中島義道さんの『グレる』を授業で扱うことにした 笑
「皆さん、どうせ死んでしまうのですし、生きていても面白いことなどないのですからグレて生きましょう」
「人生に生きる意味があるのかどうか、ということをいい大人たちはみんな誤魔化し蓋をして生きている。」
云々。
キルケゴールの言う、
「永遠を前に絶望して、なお自分自身であろうとする」立場ですが、
多分、
学級崩壊とか過剰な管理とか一切の対話を押さえつけるというのは、
絶望を封じ込め僅かでも表に出てこないようにするための全力の誤魔化しなんだろう。
悪いけど、気持ちよかった。
水谷さんに、めっちゃ怒られた。
怒られて、追い出された。
死んだ方がマシだと思った。
いや、
超一流の人間は、ほとんど狂気に近いくらい振り切れている。
全部捨てさせる。
しがみついているもの全てを。
世間の常識とかいうものに一切迎合しないで、
全員から叩かれても自分の強烈な確信や信念を貫く。
おまけみたいに、名声や注目が集まってくる。
ああいう人に、
学識を集めて、理性でバランスとって、計算して、、、
ということはない。
全部直感。
そんな感じで、どこにおるんじゃー神様、と
山々に目を上げながら、祈りながら歩いていたが、確信も持てず。
6年後に、はたと、
よくわからんけれども、声にするなら
「私はお前と共に片時も離れずずっと同行二人で歩いていた!」
「お前を導いたのは私だ」
というようなありありとした直感が私を覆い、
その瞬間、泣き崩れた。
人間ではどうしようもないことも神にはできる。
起業した時のこともそう。
テクニックや知識で祈り方をあれこれしていたときは余計にどんどん悪くなっていった。