座禅と瞑想で脳をリセットする。 | 救魂録

救魂録

カルトや発達障害や自己啓発など潜り抜けてきたカトリック信徒のブログです。

とあるマラソン漫画で、座禅を練習方法に取り入れていたり、ジョブズが座禅をしていたというので、「禅」と響きのカッコよさに憧れていました。

 

 

 

 

私の大学の構内に教会があったのですが、なぜかそこではドイツ人の神父が座禅の指導をしていらっしゃいまして、私も毎週参禅をさせていただいておりました。

本格的にやると、40分の座禅を三回繰り返すというとてもハードな修行で、足は痺れるわ、眠たくなるわ、発狂したくなるわですが、

終わってキャンパスを出て都会の喧騒の中を歩いていていても、とても落ち着いた平和な気持ちで世界を見渡せるのです。

 

 

現在も、自宅で、10分~20分ほど時間を取って、座ることをしています。

 

大切なことは呼吸に戻って、ひたすら自分の「感覚」を観察することです。

「全く何も考えがなくなり、無の状態になること」を目指すことを考えていましたが、なかなかそうはなれない(笑)

 

座禅をしていても、雑草のようにあっちからこっちから次々と考えは出てきます。

それはほおっておくことです。

「あー、また脳からうねうね出てきてるなあ。吸う、吐く、吸う、吐く。」

様々な考えや不快なイメージが出てきますが、それを避けるでもなく捉われるでもなく、出るがままにまかせておくのです。

そしてまた、呼吸の感覚に戻ります。

鼻の穴やお腹が動く微妙な感覚に意識を集中させていきます。

 

さまざまな情報でグルグルとかき乱され、濁った泥水のようになった脳内が、泥が下に沈殿してきれいな水が見えてくるように、少しずつ澄んでいくのがわかるはずです。

 

いわば、脳というハードの機能をいちどスリープ状態にすることで、脳のゴミが取れて、休まるとも言えます。

また、瞑想が深まっていくと、呼吸や消化、身体の働きは「私」のものでないことがわかってきますし、「私の意思でやっている」と思っていたことも実は無意識の反応であったものが大きいことにも気が付きます。

また、すべては生かされて生きているのだということに気がつき、その背後に何か大きな生命の働きを感じ取ることが出来、自分の存在はその大きな生命の働きの一部分であることを自覚するようになります。

その「生命エネルギー」が呼吸とともに自分のうちに流れ込んでくるままに受け入れ、細胞の隅々にまで浸りきるイメージを持っています。

 

姿勢はとても大切です。

背筋がピンと伸びており、目も閉じず、開かず、半眼でちょっと前あたりを見つめることが、自分の体と心を観察するうえで一番「整いやすい」状態です。

また、心や思考は頭の中だけにあるのではなく、目の動きや姿勢が作り出していることにも気が付かされます。

過去のことを考えているときの目線と未来のことを考えているときの目線は違いますし、

「にくいあん畜生」の事を考えずにはいられない時の脳内の血流の流れの部位と、何か面白いことを考えてにやにやしているときに考えている血流の部位に違いがあることも自覚できます。

自分自身の多動脳、アスペ脳をこうして観察してみると、「ははあ、こうなってるんだ。こうつながって、こう来るんだ」と面白いものです。

呼吸や内臓の感覚と精神状態はリンクしていることもわかります。

心はじつは体の一部であり、また、身体も心なのです。

 

「私」だと思っていたものは、実は「私のもの」、「私という感覚」であり、

「こうして自分自身を観察している主体」は絶対に対象化できない。

しかし、いつも、必ずそれ以外の対象と必ず結びついて動いている。

そんな不思議なことも思ったりします。

 

 

発達さんはその脳の特性上、疲れやすい傾向にあります。

忙しさや疲れを感じて頭の中がいっぱいになったと感じたり、情報処理が遅くなったと感じた時は、

五分や十分落ち着いた時間を取って、何もしないことに徹し、呼吸や脳や体の感覚に集中して「ありのまま」でいます。

 

そうした時間を取ることによって、一日の質というものは大きく変わってきます。

 

もちろん、毎日必ず習慣に出来る人は最強ですが、三日坊主を繰り返すということもとても素晴らしいことです。

気が向いたら、「ただ座って」みてください。