イノセンス INNOCENCE。 | 江戸の杓子丸

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化け猫 杓子丸の大江戸見廻覚書



「イノセンス INNOCENCE」

100分 日  2004年


監督 押井守

製作 石川光久 鈴木敏夫
制作 Production I.G
脚本 押井守
原作 士郎正宗
音楽 川井憲次
出演 大塚明夫 山寺宏一 田中敦子 ほか




【完全ネタバレ】


私は傀儡ではない、という欲求。☆☆☆★★


〔ストーリー〕
 少佐こと草薙素子が失踪してから4年後の西暦2032年。

 少女型の愛玩用人造人間「ロクス・ソルス社製 Type2052 “ハダリ”」が原因不明の暴走を起こし、所有者を惨殺するという事件が発生した。

被害者の遺族とメーカーの間で示談が不審なほど速やかに成立し、また被害者の中に政治家や元公安関係者がいたことから、公安9課で捜査を担当することになる。

 公安9課のバトーは、相棒のトグサとともに捜査に向かう。




「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊(1995年)」の続編となる本作、第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にて上映されたそうで、アニメーション作品がカンヌのコンペ部門に選出されるのは史上5作目、日本のアニメ作品では初だったそう。

スタジオジブリのプロデューサーとして有名な鈴木敏夫が製作に名を連ねていて、タイトルや使用する曲についてアドバイスしたりしたのだそうだ。

ウィキによると、もともと押井監督は鈴木さんの友人であり、宮崎駿監督のもとでいろいろ活動をしてたという。

万事において宮崎監督同様、押井監督もむずかしそうな人だから鈴木プロデューサーの辣腕ぶりが光ったのでは(笑)


「GHOST IN THE SHELL 」(以後「1」)と展開や演出方法がほとんど一緒。
既視感を狙っての事でわざとだろうけど、それが少々残念。

後半、主人公のバトーたちはかつて戦友であったハッカー・キムに電脳(機械的に補強された脳)をハッキングされ疑似体験の輪廻に放り込まれるけど、これが象徴的。

やはり、「1」に比べて物語の展開がついで程度(笑)である事と、クライマックスのアクションシーンがおとなしくて盛り上がりに欠けているような気がする。

バトーの元同僚であり、ほぼ神に近い存在と化した少佐(草薙)、が登場してから展開が予定調和に進んでしまうので謎解きもあっけなく感じた。

監督にとってその世界を語る事が主眼でありストーリーなんてどうでもいいのかも。

登場人物たちのセリフが難解で、聖書や孔子の論語、釈迦やプラトンの言葉が引用される。

ハッカー・キムの館などで登場する「生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落落磊磊」は死んじまったらおしまいという意味のようだけど、キムにとって死こそが自分が傀儡ではなく人間である事の証明であり拠り所だったのかも。

「1」同様、全編なぜか中国が意識されていて、中国の漢字や言葉が散りばめられる。

もしかしたら日本人にとって似ていながら異なる物、そのメタファーとして中国語を適用しているのかも。





人間と人形、現実と虚構。

その境界のあいまいさに恐れおののき、それを明確にしてくれるゴースト(人間の精神や意志)にすがる人間たち。

人形を産んだのは人間であり、自ら肉体を機械化しておきながら・・・。


物語はガイノイド(女性型ヒューマノイド)による殺人事件の発生から始まる。

製造元ロクス・ソルス社は人間の少女たちを誘拐し、違法行為であるゴーストダビング(人間の脳をガイノイドにダビングしてしまう)をしていたのだった。

ゴーストダビングを繰り返すと脳が破壊されやがて人形のようになってしまう。





バトーは拉致されゴーストダビングさせられていた一人の少女を救出する。

その少女がガイノイドを狂わせ殺人行為をさせていたのだけど、その事をバトーに叱責され少女は
「私は人形になりたくなかったんだもの!」と絶叫する。

この救出される少女役の声優さんが下手で、大事なトコなのになぁ、ずっこけちゃう(笑)
監督もよくOK出したな。

自らを機械化し人形のようになりながら、万能性を追い求める人間たち。

「私は人形じゃない」という絶叫はバトーの、そして少佐(草薙)の、そして人間のそれだ。


人を傷つけようが自分の身を守りたいという少女の無垢(イノセンス)な欲求。

人形を作り極限まで人間に近づけようとする、人間の願望。

本来、欲望や業を裁くことが出来るのだろうか。
ましてや、人形がそれを持つ場合、彼らを裁くことが出来るのだろうか。


時に人は自分を人形化しますよね。

スポーツ選手のジンクスがそれに近いかも。

野球選手でも右足から球場に入るとか、テーピングは右手からこう巻く、みたいな話をよく聞きます。
手順の中で、雑念を捨て去りつつ自分を捨てていく。

動きを機械化し、ピッチングのマシーンに、バッティングのマシーンになろうとする。

瞑想もそうかもしれない。





劇中、愛玩人形や愛玩動物、そしてまだ自我のしっかりしていない子供がイノセンスの象徴として登場する。

オープニングクレジットは卵子が受精し細胞分裂するカットから始まる。
やがて、その卵子の持ち主はガイノイドであると提示される。

劇中でこれに関して触れられる事はないが、これはどういうことだろう。
卵子を持つセクサロイド(性的愛玩アンドロイド)と人間が交わり、命が生まれたら・・・。
それは何なのか・・・。


より人間らしいセクサロイドを作るため少女の魂をヒューマノイドにコピーし、そのヒューマノイドを売りさばくという近未来的な人身売買のアイディアは面白いなぁと思った。

命を宿すのは女性であり、実際射精したら用済みになる男の方が人形に近いように思うけど(笑)





映像はもうとてつもない。

光の表現がすごい。
光源やコントラストが明解で、反射の表現、とりわけ走行する車体の反射などにはびっくり。

冒頭から随所に見られるCGでござい、の映像は正直苦手。
人物の動きがもの凄くリアルで恐ろしいんだけど、アクションシーンが少ないのがホントに残念。


「1」では電脳に重きが置かれていたのに対して、今回は機械化された体(義体)やそれの破壊されるシーンが多くて人形化される人間への警鐘を感じた。


バトーと少佐(草薙)の肉体は義体化されていて、少佐も子供を産めない体という事だろう。

二人が肉体的に結びつく事はもはやないし、だからこそバトーの少佐への想いはイノセントなんだと思う。

しかし、「1」でも生殖機能が生命の生命たる証であると語られていた。
だから、強欲に肉体を求めるのもイノセントなのかも知れない。

その境界はもうわからない。
実際、バトーと少佐はもうつながってしまっているとも言えるのだし。


「イノセンス」公開前後の押井監督インタビューはこちら
面白いですよ。