GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊。 | 江戸の杓子丸

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化け猫 杓子丸の大江戸見廻覚書


「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」


85分 日 1995年


監督 押井 守
  
製作 講談社 バンダイビジュアル MANGA ENTERTAINMENT
アニメーション制作 Production I.G
CG制作 オムニバス・ジャパン
脚本 伊藤和典
原作 士郎正宗
音楽 川井憲次
撮影 白井久男
出演 田中敦子 大塚明夫 山寺宏一 仲野裕 ほか



【完全ネタバレ】


自分という殻とその外。☆☆☆☆☆


〔ストーリー〕
 西暦2029年。他人の電脳をゴーストハックして人形のように操る国際手配中の凄腕ハッカー、通称「人形使い」が入国したとの情報を受け公安9課は捜査を開始するが、人形使い本人の正体はつかむことが出来ない。

 そんな中、政府御用達である義体メーカー「メガテク・ボディ社」の製造ラインが突如稼動し女性型の義体を一体作りだした。義体はひとりでに動き出して逃走するが、交通事故に遭い公安9課に運び込まれる。

 調べてみると、生身の脳が入っていないはずの義体の補助電脳にはゴーストのようなものが宿っていた。

(義体化とは、脳の電脳化と同じように体を機械的に補強する事。)

(ゴーストとは、自分を外界や他人と区別する根源である意識や精神というようなもの。)




うっとり(笑)

僕は作家性のあると言うか、その監督じゃなきゃ作れないだろというような世界観を持った映画がやっぱり好きでこの映画はまさにそれ。

ずっと観ていたい、その世界に浸っていたいと思わせてくれるような映画。

以前、映画「パトレイバー」の1か2を友達に観せてもらい、すごく面白かった。
その時にこの押井監督という人を知ったんだけど、あれからず~と食わず嫌いで今頃観てみた。

米国でもカルト的な人気だというのは知ってたけど、確かに米国でビデオはどこのお店でも売ってたな。

名作映画にはゾクゾクするプロローグがあってワクワクするオープニングクレジットがあるけど、好きな映画ってたいてい始まって1分もしないうちに好きになったりする。




映画「パトレイバー」を観た時の印象は、この監督さんの心は砂漠なんじゃないかと感じた事。

この映画でもそうなんだけど、電飾でギラギラしたビルや生活感あふれる下町がまるでゴーストタウンのような無機質丸出しな雰囲気を持って迫ってくる。
なんというか虚無感というか。

なんだろう、アレは。
建物にはさまれた狭い空を飛行機がぐ~と向こうへ飛んでいくカットがある。
このカットを含んだ容疑者が逃走するシーンはとにかくすごい。

これは監督の世界への視点であり、主人公の見ている世界でもあり、脳をハッキングされた逃走する容疑者の世界でもある。

演出上、音がないワケではない。でも、シ~ンとした静寂の世界が拡がる(笑)
なんだろう、この空気感は。

すごい。


その後のアクションシーンもかっちょいい。
主人公、草薙の上段後ろ回し蹴りのトリプル・ショットがたまらない。





電脳とは、ネットなどの外部からの電子情報を脳内の情報として扱えるように機械的に補強した脳の事で主人公、草薙は警察本部と自分をつなぎ情報を得たりする。

この時の表現は「マトリックス(1999)」にまんまパクられてるんだな(笑)

電脳化すると脳をハッキングされてしまう恐れがあり、洗脳のように記憶や思い出を書き換えられる事も起こる。

すべてがハッカーによって与えられた記憶である事を知った容疑者が絶望し、まるで人形のような表情を浮かべる。

ゾッとするいいシーンだ。


絵がすごい。緻密で濃密。

制作されたのが1995年か、印象としてはもっと古いアニメの雰囲気を感じるキャラクターデザインだなぁ。
わざとなのか、リアルなタッチのせいか表情が時に、まさに人形のようになってしまうカットがある。

突然、主題歌をかぶせた世界観を説明するためのシークエンス(背景画の連続)がはさまれるんだけど、これが何だか映画の世界観に入り込むのを拒絶しているかのようで面白い(笑)

映画のトーンそのものなんですけどね。

CGがモロでちょっと浮いちゃってるけど、すごく効果的なところもある。
当時としてはすごかったんだろうなぁ。




同じ材料で作られ同じ形をしているクマちゃんのぬいぐるみが2つあったとして、片方は倉庫で眠り片方は少年に買われていく。
買われていったクマちゃんは少年と友達になり、一緒にいながら汚れたり欠けたりする。

ある日、見た目を同じように汚された倉庫のクマちゃんと少年のクマちゃんを取り替えて欲しいと言っても、少年は嫌だというはずだ。

友達で一緒に思い出を作ったのはこっちであり、そっちではないからだ。
まったく同じクマちゃんのぬいぐるみであったとしても。


人間の細胞は1年間で全部入れ替わると聞いた事がある。(ネットで見ると6年と書いてあったりする、よくわかんない)

では、一年前の親や友達と今の親や友達は別人とも言える。
顔や声、くせ、嗜好が一緒でも全く違う物で出来ているのだから。

この映画では、何が自分を自分たらしめているのか、そして自分たらしめているものが自分を制限しているのではないかと問う。





劇中登場する「人形使い」は、もともと一つのプログラムだったものが膨大な電子情報の中で自我を得た存在と理解した。

彼というのか、それというのか、は生殖出来ず死ねないため生命体ではない。

「人形使い」は草薙と融合する事で自分の情報(遺伝子)を残し、異質となる事で死を迎え生命体と化したい、と望む。

それは行われ、草薙は広大で膨大な電子世界を得る。

自分を形作る殻を捨て、外界とつながった彼女はどういう存在になったのか。

天使か神か。

人間のネクストステージはどんな存在なんだろう。


クライマックス、草薙と戦車のようなマシーンとの銃撃戦は重厚な迫力があって、すごい見ごたえ。
銃弾で柱が削られていく演出も「マトリックス」はオマージュを捧げていますね。


映画の「パトレイバー」をもう一度観ないと。