奥州街道⑦-2(二本柳宿→福島) | Eddie's Diary

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旧街道を歩く旅、ダイビング(休止中)、山登り、ムスメや日々の出来事
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大阪人ですがあちらこちらへ出没します~。

<2024年4月20日>

土曜日の奥州街道の旅、後半戦です。

写真を撮り過ぎて少し長くなりますがご覧いただけると幸いです。

(前半は→ 奥州街道⑦-1(本宮→二本柳宿) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )

 

円東寺という寺の前で曲がり二本柳宿を後にします。

 

宿場町を出てすぐに大きく下りまた登り返していきます。

しばらく田園地帯の中、アップダウンが幾度も続きます。

 

街道の脇に鹿の鳴石というのがありました。

石の周りを3回周ると鹿の鳴き声が聞こえるそうですがホンマかいな?

奈良公園へ行けば周らなくても鹿がピーッと鳴くのが聞けますよ。

 

花を愛でながら北へ北へと進みます。

が、北からの強風が強くてちょっと閉口ぎみ....。

 

広々とした田園風景、遠くに山並みも見えて美しいです。

なのですが、人口密度が低いというか家並みが密でないのが心なしか寂しく感じてしまうのは、

人通りの多かった江戸以西の旧街道を多く歩いたから?でしょうか。

 

緑の中の濃いピンクに薄いピンクが艶やかです。

 

旅人を見守ってた馬頭観音や石仏など、ここに移設されたのかな??

 

もの寂しいなど書きましたがコレを見るとそんな気分もすっ飛んでしまいました。

 

桜を見つつ長~い坂を下っていきます。

 

どこまでも続く旧奥州街道、青森三厩に着くのはいつだろ~か?

と思いつつまずは福島県を早く通過しなければ!

 

ぬくぬくの格好をしたお地蔵さん。

温暖化ですぐに夏が来るので早めに衣替えした方がいいですよ。

 

水路のような細い川境川を境川橋で渡り、二本松市から福島市に入ります。

古き時代も境界で安達郡と信夫郡を分けていたとのこと。

 

奥洲八丁目天満宮....、八丁目とは住所の番地ではなく地名そのもの。

この神社を過ぎると八丁目宿に入っていきます。

 

古い石橋は松川橋。

あとから分かったのですがアーチ型のめがね橋、横から見るべきでした。

 

多くはないですが昔からの建物がちらほら見られます。

 

本宮宿をスタートしてジャスト20kmの地点は八丁目宿内で最初に曲がる角。

右折が奥州街道(赤矢印)、左へ行く黄矢印は板谷峠を越える米沢街道です。

あの上杉鷹山はここから米沢へお国入りしたんでしょうか?

であれば、米沢方向にも歩いてみたいものです。

さて、ちょうどこの場所に東屋があったのでひと息入れました。

八丁目宿の案内板もありましたよ。

 

東屋の裏には古そうなお地蔵さんが並んでいました。

 

突き当りが本陣があった場所で今はガソリンスタンド。

うっかり写真を撮りそびれたまま福島市街方向へ左折してしまいました。

 

重厚感のある蔵を眺めつつ宿場町を北上し、遠くに見える青い標識の先で右折します。

 

エリアは広いのですが宿場町らしい趣きはやや少なめでしたね。

 

東に向いて歩いてきましたがここで奥州街道(赤矢印)は北へ向きを変えます。

手前の青矢印相馬街道、常夜燈型の道標も立っていました。

元禄期のものなので旧街道にある道標としては比較的古い部類に入ります。

 

相馬街道との分岐点からまた坂を登ってきました。

この辺は新興住宅街となって元の古い道筋が全く見えなくなっています。

しかし傍らに石仏がいるのでほぼほぼ街道筋であるのは間違いなしです。

 

住宅街を抜ける道が途切れ、写真の真ん中の逆Y字のところから旧道復活となります。

この場所は山を削ったのでしょうか、眼下の道は痕跡のようにはあまり思えません。

やむなく写真の外側の迂回坂道を下ることにします。

 

ここが逆Y字ポイント。

おそらくここから旧道ルートになります。

 

しばらく歩くと東北本線の踏切と交差します。

複線ではなく単線なのはこのあたり上下線が400m以上離れているため。

この線路は福島・仙台方面の下りになります。

 

一旦県道に入ってまた分岐し、その先で高架の上り線と交差します。

 

上り線の高架の先にある小さな神社はお伊勢さん。

遠く福島からも遥拝されてるんですね。

 

県道にまた合流したらしばらく道なりに進みます。

市街地ではなくかなりの郊外にある国立の福島大学の入口(裏口)を通過していきます。

 

その少し先には馬頭観音などが並び立っていました。

 

福島大から200mほどで浅川新町宿に入ります。

浅川村から集落が移った宿場ですが、神社も祀られてることから若宮宿とも呼ばれます。

 

普通の民家が連なってるだけで史跡などは特に見当たりませんでした。

 

浅川新町宿を出てすぐに国道4号線にぶち当たります。

そのまま横断ができませんが、地下道があるので向こう側へくぐっていきます。

 

国道の向こう側へ出て5分あまりで次の宿場町清水町宿へと入ります。

 

浅川新町宿と同じくこれといった史跡もなく淡々と通過。

 

清水町宿の出口で左折すると・・・・

 

うわっ・・・・また長い登り坂。

久々の長距離なのでけっこう足に来てます。

 

おっ、住宅街の壁に一里塚跡発見、清水町一里塚です。

明治以降に一里塚が壊されるのは数多くあるのですが、江戸時代にしかも天明ですから1780年代に早くも塚がなくなったものがあるとか。

そういう状態を越えてよく一里塚跡を現代に示してくれてると思うとありがたいです。

 

先程地下道でくぐった国道4号を今度は高架で越えていきます。

 

坂を登り切って山(丘陵?)の中、桜に疲れを癒してもらいます。

この辺りで桜の写真を何枚か撮ってムスメに「福島県まだ桜咲いてるで~」と送信。

 

街道は共楽公園という公園の真ん中を突っ切っていきます。

 

28kmほど歩いてこの日のゴールまで残り4km。

向こうの滑り台で遊ぶ家族連れを眺めながらエネルギー補給をしました。

もらい物ですがカロリーメイトよりはパサつかなくて美味かったです。

 

清水町宿から坂を登って街を見渡せるような高い所まで来ていました。

 

現在地からは右下への太い茶色の位置を下っていくのですが、地図の右上少し離れた所に明治天皇の野立跡(お茶休憩ですね)がありました。

余力を残したかったのでスルーしてしまいましたが・・・・。

 

公園内の街道沿いに立つ馬頭観音に見送られ、福島市街へ急坂を一気に下っていきます。

 

坂を下り切って2車線の位置に合流します。

そのまま道なりではなく道の向こう側に旧道が消滅したり残存したりする区間がありますので、

ざっくり近いルートを歩いて行きました。

 

このバス停あたりから旧道と完全一致します。

 

残り僅かの距離を北上、あと1.5kmです。

 

どういう訳か荒川を渡るのはバス停の名の荒川橋ではなく信夫橋。

その信夫橋のすぐ東(右)側で荒川は阿武隈川に流れ込みます。

なのに写真はこれまたどういう訳か西側の風景です。

 

川を渡り奥州街道を示す所から福島城の城下町であり宿場町でもある福島宿です。

 

緩やかなカーブになってるところはかつての桝形。

福島市の案内板ではかぎ形と書かれています。

 

国道13号線と交差する信号でこの日の奥州街道の旅32kmはゴールです。

キツければ共楽公園近くの南福島駅で切り上げることも考えてたのですが、足裏にマメもできず足腰に問題なく1日目を終えることができました。

でもアップダウンが多くてキツかったですわ....。

 

今回は珍しく泊りでの街道旅でしたがホテル入りする前に福島駅へ。

スタバでコーヒータイムを取り、駅ビルで弁当を買ってからチェックインいたしました。

 

翌2日目は福島から宮城県へ向かっていきますが、さてどこまで歩けるか??

続きは後日アップいたします~ニコニコ