奥州街道⑦-1(本宮→二本柳宿) | Eddie's Diary

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メインテーマのない気まぐれDiaryです。
旧街道を歩く旅、ダイビング(休止中)、山登り、ムスメや日々の出来事
などなどをつづっております。
大阪人ですがあちらこちらへ出没します~。

<2024年4月20日>

先日の土日は久しぶりの遠征での街道歩き。

昨年6月以来の奥州街道の旅をしてきました。

今回は日帰りではなく1泊で、ガッツリ歩いてきましたよ~。

(前回は→ 奥州街道⑥-2(郡山→本宮) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )

 

去年は出発日が台風の影響で夜行バスがイレギュラールートで運行され40分延着でしたが、今回は何事もなく順調に福島入り、25分早く郡山駅に到着できました。

郡山からは電車で移動し、本宮宿を8時過ぎに出発しました。

 

宿場町の名残か店などはあるのですが、この区間は宿場っぽくは感じません。

 

道路標識に従って二本松の方へ進みます。

 

ここを右折すると・・・・

 

この日最初の古い建物、重厚感のあるなまこ壁の蔵がありました。

 

今回の「街道沿いの郵便局」を早々にチェックしました。

 

南北に長い本宮宿、北の本陣通りにも本陣跡があったようですが見落としてしまいました。

 

このあたりが本宮宿の北端、次の宿場へ向かいます。

 

街道沿いには馬頭観音など。

車が走るばかり道沿いで、今は人の目には届かない存在に思えます。

 

4月も後半に入りましたが桜が各所で咲いていました。

葉桜気味でソメイヨシノではないかもしれませんが....。

 

本宮市から大玉村に入ります。

 

遠くに安達太良山を望むことができます。

開放感のある春の風景が気持ちいいです。

 

大玉村の区間はわずかですぐに二本松市となります。

 

しばらく道なりに進んだ後、ここで右手の旧道へ反れて行きます。

薬師寺というと奈良の印象ですが、ここ奥州にもありました。

この日は30km以上歩くのが目標なので寺・神社の石段は完全スルーです。

 

このカーブの手前?に一里塚があったそうですが示すものはナシでした。

 

南杉田宿に入ってきましたが県道沿いの家並み風景でした。

 

第六奥州街道と名の付いたJR東北本線の踏切を渡ると・・・・

 

北杉田宿です。

南杉田宿とはニコイチと思われるのですが合わせて杉田宿としてるのもよく見られます。

 

杉田宿を出た所で国道4号線に分断されます。

写真の真ん中左の白看板から上がる道がもしかしたら旧道の痕跡かも??

いずれにしてもその先進めないのでガード下から向こう側へ迂回しました。

 

ガード下から国道沿いに進むと七夜坂という昔の道を上がっていきます。

 

桜の木の脇に七夜桜の説明板がありましたが、今ある木は当時の物ではないそうです。

 

さてその先かき分けるほどではないですが荒れ気味の道を進み、

会社の建物の手前まで行き県道の脇へ出ました。

 

県道を少し歩いて右へ反れて行きます。

 

前方にまだピンク色が残った桜を見つつ旧街道を北へと進みます。

 

これは枝垂桜ですね。

ほとんどまともに枝垂桜を眺めた記憶がないのでしっかり拝ませていただきました。

 

その横にお堂と石碑や石仏。

木登り地蔵がここにいるそうですが見つけられますか?

 

正面の木のてっぺんに鎮座しておられました!

 

木登り地蔵の先で坂を一気に下ったらすぐに登り返します。

今回登山するような山道や地道はないのですが、アップダウンが非常に多かったです。

 

上の写真の高架をくぐった先に馬頭観音。

その横の階段を登っていきます。

かつてはもっと急な坂が階段の上あたりに繋がってたんでしょうね。

 

階段を上がった所には旧道らしさの残る風景が見られました。

 

県道に戻った2つ先の信号で右折し、二本松宿に入っていきます。

 

南から北へ進む奥州街道ですが二本松宿は東西に延びる宿場町であり城下町です。

城下町と言えば二本松城も行きたかったのですが、街道筋からはだいぶ離れてるのと予定している距離が長いのでやむなく断念しました。

 

ここで一旦南に折れ、次いで東へ曲がっていきます。

 

ハム屋?肉屋?は古き時代は何を営んでたのだろう??とへんな空想に囚われました。

 

右手にJR二本松駅、左手に二本松神社

地名が本町なのでこの辺りが宿場の中心部かな?

二本松の駅を見て、初瀬街道が近鉄の三本松駅前を通ってたなぁとふと思い出しました。

 

史跡を示すものが見当たらないのですが、本陣跡と張番所はチェックできました。

 

上の張番所跡もそうでしたが和菓子店が多かったです。

 

シャッター通りにはなってなくて宿場町健在なりという趣きがあります。

 

S字状の大きなカーブになってますが、元々は桝形だったようです。

 

土壁の蔵がよく見かけたのですが、古民家も土壁。

このあたりは土壁が好まれてきたんでしょうか。

 

さてこの角でまた方向を北に変え、亀谷坂を登っていきます。

 

この亀谷坂、相当に勾配がキツイです!

十分にアップダウンさせられてきたので早くも足にきました。

 

登り切った所は切通しなので昔はもっと高い位置に道があったはず。

と思うと楽をさせてもらってありがたいと思わなければ・・・・。

 

で、下りは竹田坂、家具店が多く見られました。

 

竹田坂を下りきって右折します。

某サイトでは二本松城下の見附だったとありましたが、もっと先だと書いたWebもあって、当方には判別ができないのですが、大雑把に言えば二本松の町から離れていくことになります。

 

街灯はあるもののこの区間は電柱電線がなくてスッキリした町並みでした。

 

智恵子抄で有名な高村智恵子の生家が残っていました。

酒造りの家に生まれた智恵子ですが、当方詩には疎くてWikipediaで詳しく知りました。

 

高村智恵子の生家周辺は油井宿と書かれてるものもあるのですが、宿場町としてのカウントはどこを調べてもされてないようで、調べた範囲ではどういう位置づけだったかが不明です。

 

長谷観音という寺があり三大長谷観音の一つとされてるようですが、奈良の長谷寺と鎌倉の長谷寺以外はいろんな名前が挙がってるみたいですね。

 

スタートして予定の半分に少し足りない15km歩いてきました。

ホームセンターの表に回って、トイレとパン休憩をしばし取りました。

 

大阪では初夏の気配もありましたが、北国はまだ春の装いです。

 

二本松を出てから向かい風が強くなってきました。

家並みが途切れると風が吹きつけてややペースダウン気味~。

 

ここを曲がると次の宿場二本柳宿です。

 

昭和後半まで宿場町に川が流れてたそうです。

今は端っこの細い水路になり道が広げられています。

 

宿場町から望む山並みには白い雪が残っています。

 

多くはないですがかつての屋号を示してる家も見られました。

 

紅殻塗りの古民家と白塗りの蔵。

紅白並んでてコントラストがよく効いてます。

 

さて...

歩いた距離も撮った写真の枚数もほぼ半分になりましたので一旦ブレイク。

後半に続きます~ニコニコ