10/1の奥州街道の旅、後半です。
(前半は→ 奥州街道⑤-1(白河→矢吹) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )
一直線に伸びる矢吹宿に入りました。
おもちゃ屋さんに昔のヒーロー3体。
当方の世代的にはマジンガーZがリアルタイムですが、
どちらかというと再放送で見たジャイアントロボの方が馴染み深いです。
28号は世代は外れてますが、神戸の新長田駅で何度も見てるので親近感大!
コンビニ横の広場で蔵と老舗のらしき店を眺めながらパンでエネルギー補給。
シャッター付きにリニューアルした蔵。
潰してしまうよりは見た目を変えても長く使うのはいいことだと思います。
矢吹駅へ向かう角にある元銀行っぽい建物も古いものかな?
元病院だった洋風建築にその向かいの和風建築。
数は多くないですがバリエーションに富んでますね(駅を含め)。
祭りの準備でしょうか、矢吹町の祭りはこんな大屋台がお出ましになるようです。
かなり幅も重量もあるので引き回すのが大変そうやなぁと見ていて、
そういえばウチの市内も来週末が祭りやん~、とふと思い出しました。
本陣跡を見逃したまま矢吹宿を出ます。
引き続き街道はまっすぐな一本道。
矢吹一里塚跡、標柱しか残ってませんが立ってる木を塚と見立てましょう。
国道4号線に合流してすぐに、矢吹町から鏡石町に入り、
稲穂を見ながら次の宿場町へ向かいます。
久来石(きゅうらいし)宿へ入ります。
今回の宿場は独特な読み方をする町が多いです。
規模の大きなお屋敷とでもいうような民家が見られました。
こちらなどは重厚感があって庄屋様とか豪農だったのかも??
久来石宿を出て国道と斜めに交差。
斜めのまま信号を付ければよいものを垂直交差にするところが多いですね。
斜めに残った旧道跡をたどって国道を横切ります。
東北に来ても熊野神社があります。
2kmも歩かないうちにまた宿場町。
笠石宿です。
他の宿場と同じく笠石の町も間口の広い家が多く、
史跡などがないにも関わらず宿場の雰囲気を保っていました。
明治天皇、ここでも休憩したようです。
教科書などで見るいかめしい顔のイメージばかりですが、
笠石宿に来た明治9年というと明治天皇はまだ23歳の頃。
若き天皇は何を思い全国行脚をしたのかあれこれ空想してしまいます。
宿場町を出て駅のある鏡石町の中心部へ来ました。
鏡沼とか鏡田という名のバス停があるということは、
鏡石町=鏡沼もしくは鏡田+笠石の合成地名ですか。
鏡石が由緒ある地名のように感じてたのでちょっと意外な思いです。
街道は国道に合流しそうになりながら、側道となりしばらく並走します。
300mあまり並走してこの日は4号線とはお別れし、
矢吹町から須賀川市へ入っていきます。
その先に須賀川一里塚が両基現存していました。
跡ではなく正真正銘の一里塚です。
右側の塚、分かります?
左の塚と・・・・、 右の塚です。
綺麗な型で保存されてるのはイイですね!
この日は一里塚の跡すらないところが多かったので、
嬉しくてしばし佇んでしまいました。
一里塚とわずかに残った松並木の向こうに街道が続いていますが・・・・
東北本線の線路で途切れてしまいますので、
手前の国道118号線経由で線路の向こうへ出ます。
くの字に曲がったあたりから旧道ルートが再開します。
少し先で県道と合流すると市街地らしき風景に変わっていきます。
郵便局の手前に須賀川宿の入口である黒門(木戸)跡の案内があったのですが、
全く気付かずに通過してしまってました。
交差点を渡った右手に円谷幸吉メモリアルパーク。
いちおう名前を知ってるので足を停めて写真を撮りましたが、
昔々のオリンピックのマラソンでメダルを獲った人という程度の知識。
そのうち知らない人が増えて立ち止まる人が少なくなるのかもしれません。
当方にとってはその横に立ってる道標付き庚申塔の方に興味をそそられます。
「がんふうじみち」 「いしかわ道」と両脇の面に彫られてました。
古き時代から商いをしてるような漆器店や金物屋もありますが、
風景としてはこの日一番現代化してしまった宿場町でした。
おそらく震災で新築や整備などが成されたのではないかと思います。
本陣跡はポケットパークになってました。
奥に芭蕉と曾良が立っていました。
本町なので須賀川宿のちょうど真ん中になるのでしょうか。
ということでこんなメンツが須賀川宿にいらっしゃいました。
市民交流センターにはレッドキングにキングジョー、
そして一番有名な宇宙人であるバルタン星人。
当方の目はウルトラワールドにしか向いていません。
ベムスターがいましたよ~。
個人的には「帰ってきたウルトラマン」ではツインテールが推しなんですけどね。
当方はリアルタイムの「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンA」と、
再放送の「ウルトラマン」「ウルトラセブン」にどっぷりつかった年代。
すみませんができる限りアップさせていただきます。
あ~、こんなのもありましたわ~。
「小野仁井町をへて磐城平道」 「東堂山 及 三春道」
ここで右手に反れて行きますが、向こうに誰か立っています。
ウルトラの母がお見送りをしてくれました。
母はいましたが、残念ながら父はいませんでした(父は市役所にいるとか...)。
須賀川市はM78星雲の光の国と姉妹都市、良き友好関係を築いているようです。
できればメトロン星人、ダダ、ジャミラあたりもいてくれると嬉しいですけどね。
須賀川宿も河岸段丘上にあるのでしょうか?
急な坂を九十九折りに下りていきます。
車が通れる道ですが、かつてはもっと急な道だったのでは?と推測するしだいです。
釈迦堂川の土手まで来ました。
この左手に渡し碑があったようですが見落としてしまいました。
残念....。
渡し船があったり江戸中期以降は橋もかかったそうですが、
今はその場所で川を越えることはできず、下流側にある橋を渡ります。
橋を渡って最初の信号で右折、このあたりからだいたいの旧道筋になります。
あの藤原鎌足の子孫が建立したという鎌足神社の角で折れて行きます。
せっかく旧道らしき跡を辿れるかと思いましたが、
左手の工場が占拠してしまったため通行できません。
完全に街道消滅状態となります。
工場の縁を辿り、東北本線を越える県道の高架橋の下まで来ました。
旧道の跡がないままのゴールは少々もの寂しいのですが、
今回の奥州街道の旅はここまでといたします。
次回は地下歩道で線路をくぐった先で街道が現れる地点からスタートです。
30km弱の白河から須賀川までの奥州街道の旅。
実は体のコンディションがいま一つのままスタートしたのですが、
ラッキーなことにさほどの影響もなく無事踏破することができました。
ただ、別途足の裏にマメができかけて、最後の数kmはちょっとキツかったです。
そのせいで翌日曜日に予定していた街道歩きは断念することとなりました。
さて・・・・
単身部屋へはウルトラマンが空へ飛び立つ須賀川駅から。
須賀川からは逆方向へ北上し、郡山経由東北新幹線『つばさ』を使いました。
次回の奥州街道は1年後?あるいは2年後?かな。
新幹線ではなく、夜行バスでの福島県入りとなる見込みです~