奥州街道⑤-1(白河→矢吹) | Eddie's Diary

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メインテーマのない気まぐれDiaryです。
旧街道を歩く旅、ダイビング(休止中)、山登り、ムスメや日々の出来事
などなどをつづっております。
大阪人ですがあちらこちらへ出没します~。

当方の単身赴任、残すところジャスト1ヶ月となりました。

大阪へ帰るとそうそう東の街道は歩けません。

残りの土日を目いっぱい街道歩きに費やさなければ・・・・。

ということで10月最初の土曜日、昨年6月以来の奥州街道を歩いてきました。

(前回は→ 奥州街道④(芦野→白河) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )

 

 

始発電車に乗って4時間以上かかって白河駅に到着、遠かった....。

 

白河宿のちょうど真ん中あたりにあるこの交差点から出発です。

 

ちょうど9時ごろ、町はまだ始動していません。

 

宿場の中で桝形に曲がっていきます。

 

本陣跡と脇本陣跡が街道を挟んで向かい合っていました。

 

この交差点で左折し北上するのですが、右角に道標(複製)がありました。

「左 で八 ゑちご せんだい あいづ」 

「右 日光 江戸」「左 たなくら い八き 水戸」

出羽や磐城の当て字が何で八なんですかねぇ。

 

案内板を見ると、福島・郡山よりも会津若松・白河の方が大きい町だったとか。

ちょっと歴史が変われば県庁所在地も白河になってた可能性もあったかも?

 

街道は東北本線の高架をくぐります。

国道294号線の拡張でレンガ造りだった高架橋が新しくなっています。

 

その先では国道バイパスが左へ曲がっていきます。

以前に歩かれた方には全く別の世界のように見えるのでしょうね。

 

白河宿を出てすぐに阿武隈川を渡ります。

 

当方は上がりませんでしたが、階段の上に地蔵などがあります。

切通しになっててかつてはこの上に街道があったそうです。

一気に上がって一気に降りるハードな坂だったと思われます。

 

ほどなく女石追分へ到着です。

右に行くと郡山・仙台からさらに北へ(赤矢印)、

直進すると会津へ進む白河街道(会津街道とも/青矢印)。

江戸幕府管轄の奥州街道はこの追分までなので、

五街道を歩く方はここで区切る方が多いようです。

それにしても奥州街道の終点であることを示すものがありません。

戊辰戦争戦没碑(撮影ミス)はあるのですが、ちょっと別物ですから・・・・。

直進した国道の手前に道標のレプリカがあるとついさっき知ったのですが、

そんな場所に置かれても旧街道を徒歩で来た人には分かりません。

五街道のラストをここで締めでも感動は薄いような気がします。

 

さて、気分を変えて広義の奥州街道(仙台道ともいう)を進んでいきましょう。

 

国道4号線に合流し、会社の倉庫を巻いて斜めにクロス。

少し離れる箇所もありますが、ほぼほぼ4号線を縫うように歩いていきます。

 

昨日はいい天気。快晴でした。

稲穂が黄金色に輝いてました。

 

今回は宿場町がたくさん登場します。

まずは根田宿です。

幕末~明治の戊辰戦争で古い建物が消失とのことですが、

明治・大正期の家が少しは残っててもいいかと思うのですが・・・・。

 

所々で脇に石仏や馬頭観音、廿三夜塔などを見かけました。

 

国道4号線に再度合流しました。

左手の高みの側道と国道の路面とどちらが旧街道のなのかが不明でしたが、

古道っぽく感じた側道の方を歩くことにしました。

 

側道から前方で左へ反れて行きます。

 

ここは間違えそうですが右が正解。

学校の横を上がっていきますが街道は山の中へと消滅しますので、

やむなく農道から国道へと迂回しました。

 

街道は今は切通しになった国道の上を通っていたようです。

 

切通しを抜けた向こうで旧道が国道の右手に残ってました。

下りていくすべがないので、100mあまり前方の切れ目で復帰。

 

またも国道の向こうに続くのですが、車道ではなく切れ目を下ります。

あやうく大きなクモの巣にひっかかるところでした。

 

二つ目の宿場、小田川宿に入ります。

各家の余裕のある間口に宿場町っぽさを感じました。

残念ながら史跡などを示すものはないので替わりにバス停を撮影。

 

先日の出雲街道の津山あたりとは建物の造りが全く違います。

 

今回も「旧街道に郵便局」をチェックしました。

 

小田川宿を出てすぐに東北自動車道と接します。

この近辺に一里塚があったのですが場所は不明のようです。

地図に一里塚という地名がかろうじて残されていました。

 

街道歩きの際にはついついパンを買って食べることが多い当方ですが、

旧道沿いの黄金色の田んぼを見ると米って日本の宝やなぁ~と思います。

 

街道の左、少し高い所に約2mほどもある武光地蔵というが鎮座していました。

 

白河市から泉崎村にはいるとすぐ太田川宿です。

太田川宿も戊辰戦争の影響を被ったようですが、宿場らしさは残ってました。

 

太田川宿は桝形に曲がるL字型の宿場町でした。

角の商店が昭和な趣きを醸し出してました。

 

宿場の外れに大小の蔵が並んでいました。

 

次の宿場へはまた小さな峠を越えていきます。

今回は切通しが連発します。

 

それにしても快晴すぎて暑いです。

帽子を持ってきてなかったので熱中症にならぬよう気を付けなければ・・・・。

 

踏瀬(ふませ)宿がこの日最も宿場町の空気を感じた宿場でした。

 

踏瀬宿を出ると教科書にも出てくる白河藩主松平定信が植樹させたという松並木。

暑くなってきたので並木道があると助かります。

 

矢吹町に入っても松並木は続きます。

泉崎村より矢吹町側の方が見栄えがいいように思えました。

 

休憩なしで2時間半歩き続けでちょっと疲れてきたので、

松並木に癒されながらエネルギー補充をしました。

 

この先でまた小さな峠道になり茶店がかつてはあったそうですが、

今は歩く人がいないのでご覧の通り。

コンビニもないので自販機頼りです。

 

その七曲峠のどこかで右手に入っていくのが旧街道なのですが、

今はその痕跡がないため車道を下っていきます。

 

車道を下ってきたら、「旧奥州街道→」の標柱が!

消滅した街道が一部残ってるようですので見逃す手はありません。

 

林道のような地道を2分ほど上がるだけでしたが、

わずかな痕跡でも確認できたので良しとします。

 

で・・・・

標柱のある所から大和久(おおわく)宿になります。

けっこう新しい家が多かったのは東日本大震災の影響での建て替えでしょうか。

震度6弱や6強のエリアなのでもしかしたら・・・・です。

 

金木犀が真っ盛り、各所で良い香りが漂ってきました。

街中の木に比べると大きなものが多かったように思えます。

金木犀の香りに囲まれる時間が多くて頭の中はあのメロディが・・・・♪

でも、馬に乗った鳶色の瞳のジャンヌダルクのような美女は一人もいませんでした。

というのが分かるあなたは当方と同世代^^

 

30℃近い暑さですが、ススキを見るとやっぱり秋を感じます。

 

次の宿場町、中畑新田宿ですが大和久宿と似たような風景でした。

 

地蔵にまでマスクさせんなよ・・・・、と思ってしまいます。

 

おっ、中畑新田宿の外れで常夜燈を発見!

(電柱を撮ったのではありません)

 

こんなずんぐりむっくりの常夜燈は初めて見ました。

てっぺんのアヒルの口みたいなのが、今になって気になります。

現地でもう少ししっかり見ておけばと少しばかり悔やまれます。

案内板には水戸街道との分岐点とありますが、当方が踏破した水戸街道とは別で、

常陸街道や茨城街道とも呼ばれるようです(GoogleMapでは棚倉街道との記載)。

 

常夜燈から1kmも歩くかどうかという距離で矢吹宿に入ります。

今は2車線の道ですが微妙なズレをみると昔の道幅は1車線分で、

カクッカクッと桝形に曲がっていたのであろうと見受けます(たぶん)。

 

 

思ったより長くなりましたので、ここで一旦ブレイク。

後半は後日Upいたします~