対象化の不確実性にさらされることもなく、
〈自分込み〉の仕事と思えるのは、なぜだろうか?
アリスタルコス(紀元前310年 - 紀元前230年頃)は、
日蝕の観察から、地球と月と太陽の位置関係を推理し、
それを幾何学的に定位し、古代のコペルニクス
(地動説)と呼ばれるが、
この図を描くときの彼の姿は、
無心に砂場遊びをする子供のように想像されている。
上の図の「なかに」アリスタルコスがいること、
そこに内包されているからだろうか。
現代の理論物理学による宇宙論も、ちょっと内包的だ。
対象のもつマクロ包括性が、循環性を免れさせるのか。
同じ包括性を持つと思える国家の対象化が、
そうはいかないのはなぜか。
アリストテレスが天動説を唱えたのは、なぜか。