編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks -67ページ目
[1・1]ホーキング博士は自由に動くことのできない不自由に対して、In my mind,I'm free.と言っている。彼の病から来る固有の「自由」ではないことに注意しよう。In my mindという拘束性における自由は、社会的自由に拘束されない代わりに、社会的自由に対して拘束的でない。

[1・1・2]脳(正確には脳内化学物質だろう)が求めるものと、社会性(関係性)から求められるものは一致しないが、この二つは無関係ではない。重合性を持つ。イメージとしてはロールケーキ型モデルを指向するのが最善か。

[1・1・2・1]重合性(略)

[1・2]クルト・ゲーデルの「不完全性定理」に数学史からアプローチするのは、まだ数学文脈内的だ。時代背景を含む数学社会学的接近になると少し学理からはずれていくことになるだろう。さらに彼の自死や米国への亡命問題を焦点化していくと社会的な作用点へ限りなく接近し定理は溶解するだろう。

[1・2・1]社会的な作用点は運動的ではある。留意すべきは社会的作用点形成の時間的な〈遅/速〉だ。「不完全性定理」そのものへの学理的(学術)アプローチの社会的作用点形成は遅いだろう。ゲーデルの妻を巡るユダヤ人問題、ナチス、戦争における作用点の形成は速いだろう。

[1・2・2]しかしこの遅速は見かけ上のものに過ぎない。原爆・原発の前提となったリーゼ・マイトナーの原子核物理学自体の社会的作用点形成速度は遅い。それは技術を介して速度を高めたかのように見えるだけだ。この領域に限らず、速いと見える作用点での運動は「一過性」に過ぎなかったりもする。

[1・3]この遅速二つの時間のダイナミズムを孕む運動体、超運動体が存在した(する)。二つの時間の境界で作用するものを仮に〈編集点〉と呼ぶ。ここに働いているのはプラグマティズムと言い換えることもできるかも知れない。これをモデル化するヒントを仮留めする図がユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の関係を一枚で示すポアンカレのモデルだ。末木剛博氏が『西田幾多郎』で用いた「内部脈絡」と「外部脈絡」に乱暴になぞらえればユークリッド側は外部脈絡であり、非ユークリッド側は純粋内部分析に比定できる。

[1・3・1]時機的に言えば、非ユークリッド側が今日圧倒的に不足する。非ユークリッドとユークリッドの境界線上にあるのが〈編集点〉とすれば、編集点はこの不足の充当に向けて動くだろう。これによってかつて学理・学術の作用点を置くものでもあった機関誌と、より社会的作用点に近い研究会のあいだに動くダイナモを賦活することができるだろう。切断即連続のロールケーキ型モデルが実装されるだろう。

[1・3・2]この〈編み直し〉は、談話会、雑談などの場の意義を同時に賦活する。「話していないことは書けない(松岡正剛)」という、〈場〉の位置づけを、かえって明確に示すことになるはずだ。極限では紙誌メディアは必須要件ではなく、喩えれば場そのものが学術団であって同時に社会的作用点であるようなダイナモであるからだ。

[1・3・2・1]文台引き下ろせば反古なり(芭蕉)。一座建立の夢が枯野を駆け巡ればよい。

以上は、140字文字制限内での複数ツイートを可符番短命題の集合として再構成の試み。

キー図版を挿入して完了。


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