【山田宗睦さん(左)と山領健二さん(右)@セシオン杉並視聴覚室】
今年91歳の山田宗睦先生と82歳の山領健二先生。
山田さんは30年前の還暦を迎えた年に、
他の主題の一切を放擲して『日本書紀』の解読に専心、
昨年の一月に一応の完成を見た。
今年成果を自費出版される。
(その意味は別途考えたい。先生には『昭和の精神史』という本があり、これは一時期バズワードになった「マルチメディア」以降のパブリケーション論として今日にも有効な視点を提供すると僕は見ている)。
山領健二先生はいわゆる「少国民」世代で、
長谷川如是閑の評論集編集者として知られている。
ワンゼネレーションの年齢の違いがある。
しかし八十歳を越えると九十歳との年齢差はトリビアに思えてくるのが不思議だ。
さておき、山田先生の話を聞いて感じたのが、
「科学精神」というものだった。
とくに科学の話をされたのではまったくないが、
以降の世代には余り感じられないセンスを、科学的センスと呼んでおきたい。
それで思い出したのが「日本の科学精神」という撰集のタイトル。
こちらは無論、数学を含む5つの分野の科学論文を集めたものだが、
(編集は『ライプニッツ著作集』で知られる十川治江氏)。
科学者、理系、などとという属性を越える科学精神というものが、
どんな言論にも普通に素地として生きた時代はあったのだと思う。
そういう時代の久野収さん――1910年(明治43年)6月10日 - 1999年2月9日――とタッグを組めた最後の世代である山田宗睦さんの世代が、ちょっとうらやましい。
科学の成果を自在に取り込めるだけでなく、
話の運びに(数学含む)科学的なセンスが生きているというか。
広い意味での京都学派の終端に対面できた、
と言えるかも知れない。
なんだか、与太話になってしまいそうなので、
これでやめておくけれども、
いずれどーんとマニフェストっぽい骨太の何かを、提示できればいいなあと思う。
そのときはしかし「科学」のカの字も出ない格好になるだろう。
【復刊希望。『撰集・日本の科学精神』全五巻】
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