“逆立”の意味―L'Illusion commune再読(1) | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

L'Illusion communeをそろそろ再々読していい時熟が来たと


ツイートしたあとつらつらブラウズしてたら、


また例の本にぶちあたった。


呉智英先生のは、『封建・・・』なんちゃらって本を昔読んだことがあって、


まあ面白いなあと思って来たので、


あんまし言いたくないが、


なんでこういう本を書くかね、やっぱ生活、楽じゃないんだろうなと、


半同情的になってみたり、


それともあれか、


「逆立」なんてものに、懊悩することもない、


幸せな人生を歩まれたか、どっちかだろうね、などと思ったり。


この「逆立」ってのは、ご存じ吉本隆明の用語だが、


僕はこれ、倒立像とか光学のイメージがあったろうと踏んでるが、


(吉本隆明は技術者としての場数も踏んでいる)


まあ、文脈によってすっと入ったり、揺らいてでしまったり、


「難解」と言われて仕方のない性質ももってはいる。


言いたいのはその本質的な意味合いではない。


呉智英先生の本を読んだか、立ち読みしたかして、


池田信夫の「ご高言」ツイートもなされたなと気づいたわけだ。


どうでもいいけどね。


記事末にその本のアマゾンアソシエイトリンク貼っておくけど、


アマゾンのこの本のレビュアーさんたちのレビューを読んでほしいわけだ。


マジすばらしいレビューで、該当本を超えちゃってると思う。


コメントの応酬もあって、「逆立」についての理解を披瀝している人もいる。


間違ってない理解だと思う。


こういうレビューを見ると、まだ日本も捨てたもんじゃないと思ったりする(笑)


しかしまあ、なんでこういう吉本論本ばかり多いんだろうか。


僕が知るかぎり、まともなのは遠丸立さんの一冊だけだ(とっくに絶版)。


詩論は別として。


すぐ秀美のはせいぜい文藝批評史のノートとしては読めるが、


たとえばこの「逆立」に迫るようなもんじゃないし、


こないだ西邊邁ゼミに出てた小浜逸郎のも、理解の努力からはほど遠い。


というか誤読してるし、理解がまったく届いていない。


まだまだあげればきりがない。


なんか隆明伯父さんの胸かりて、てめえのガス抜きやってるようなもんばっかだ。


そういうのは自分ちのトイレでやってくれ。


共同幻想論は、たとえば昨今話題の体罰問題であるとか、


いま現在起きている世の中のいろいろを見据えていくのに「使える」。


そういうアプローチは一切ない。


(村瀬学さんの心身療法への応用の試みはあるけど)


もうそろそろてめえでやるしかないなと。


ではでは、レビューを読んでほしく、以下小さく(笑)リンクしておきます。


吉本隆明という「共同幻想」  


なんかさあ、この小洒落たつもりのタイトリングが、とっても寒いよな(笑)


くれぐれも、レビューのほうにご注目くださいねw


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