テキスト読みになぜ「戦略」などというのかというと、
この昭和9年(1934年)に書かれた和辻哲郎の「日本精神」という時務的な論稿が、
今日現在にすこぶる相似した状況に向けて書かれたもので、
明治維新で終わる『日本倫理思想史』が扱っていない「現代」に向けて、『日本倫理思想史』で駆使された方法を用いて、真っ向勝負するといった構えを持ったものだからだ。
今現在、この論考を読もうとする者にとって、
クロニクルは過去と現在と未来をスリップしまくる。
もちろん1934年(昭和9年、皇紀2594年)はピン留めできる。この年はいわゆる30年代のものものしさを示す事件が数多く起きている。
1月15日 - 日本共産党内部の裏切り・スパイ疑惑に関する査問事件を「赤色リンチ事件」として公表
3月1日 - 満州国で帝政実施。執政溥儀が皇帝となる
3月13日 - ムッソリーニ、スペイン王党派と協定
5月30日 - 東郷平八郎元帥逝去。東郷神社建設の声が全国で起る
10月1日 - 陸軍省がパンフレット「国防の本義と其強化の提唱」を配布、社会主義国家創立を提唱
8月19日 - 独大統領選挙でヒトラーが当選、総統と首相を兼任
和辻は、こういう時代に向けて「目前の用法」=「標語」としての「日本精神」をテーマに振られて、書くことを引き受けた。なぜ振られたかは「自分が『日本精神史研究』の著者」だからだろうと自身が断っている。
さりげないが、このこと、つまりまったく同じ字面の日本語四文字熟語が、和辻がテーマとした「国民的自覚」の問題と、時代の「標語」としてのそれとの差異と同根性を、それ自体を梃子にするという和辻の方法の真骨頂が試されているという意味でも、実にスリリングな論考になっている。
そこから出て来る問いは、まず、
「自国の伝統を強調すること、すなわち国民的自覚が、何ゆえに革新に反するのか?」
で、革新も保守反動も、「何に対して」、「何時」を見据えることで、簡単に入れ替わりうると結論する。
問題は「国民的自覚」の有無であって、「国民的自覚」は、時代の後先の認識フィルターによって、
いつでも反動でありうるし、いつでも革新でありうる、そのように現象するとした。
問題は、「国民的自覚」自体を保守反動とする、マルクス主義に代表される左翼思想の普及だ。
和辻は、少なくとも日本におけるこの「進歩思想」「世界性」には、「物質的基礎」がないと批判する。
俗流マルクス主義者以上に、和辻はマルクスを透徹した目で読み切っている。
そのうえでマルクスもまた西洋という風土に根ざした、西洋発の「世界性」を唱えているに過ぎず、世界性ないし「普遍性」は、「特殊性」を媒介しないかぎり観念論に終わるとした。
「この思想は日本の無産階級の「物質的」基礎から生まれたのではなくして、まず知識階級の「精神」のなかへ思想しとして受け入れられた。だから左翼の理論家が資本主義の没落を叫び続けている間に、日本の資本主義は着々として上昇して行った」
ソ連が崩壊し、冷戦終結から20年近くが経ついま、この和辻の議論はいかにも古いと知ったか顔で判断される御仁は多いだろう。
しかし、話はこれからなのだ。
(続く)