山本義隆『福島の原発事故をめぐって』読書メモ7:年表形式で読み直す | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

事故発生 2011年3月11日
東京電力福島第一原発一~四号機が地震によって損傷し、津波により非常用電源が喪失し冷却機能が失われ、核燃料のメルトダウン(溶融)と水素爆発をつぎつぎとひき起こし、多量の放射性物質が放出され、広範囲に飛散するという大事故が発生した。

事故発生前
1938年 リーゼ・マイトナーがオットー・ハーンの実験結果から「核分裂」を理論化
1942年頃 米国で原爆製造のための「マンハッタン計画」始まる
1945年  広島・長崎に原爆投下。非戦闘員を含む数十万人が犠牲となる
戦後当初、米英両国は、マンハッタン計画で開発し入手した核技術を秘匿
1951年 マンハッタン計画公式報告書『原子爆弾の完成』(スマイス著 岩波書店)帯には「科學技術の精華を伝える不滅の記録」とある
1952年 『鉄腕アトム』連載開始
1953年  米大統領アイゼンハワーが国連総会で「原子力の平和利用」を提案(真意は専門的な核技術の維持とその不断の更新、民間での核技術者の養成、米国核産業のグローバル市場の開拓など)
米英ソの核独占 戦後世界支配体制確立
1954年 ビキニ環礁で米国核実験、日本の漁船乗り組み員が被爆
同年、『原爆・水爆とビキニ死の灰まで』なる表題で物理学者が原子力への期待を表明
1954年 原子力基本法成立(日本)
1958年 総理大臣が東海村の原子力研究所を視察(岸信介『岸信介 回想録』廣済堂出版)
新妻清一『誘導弾と核兵器』出版
1960年 東京大学工学部に原子力工学科が設置される
1963年 この年以降、50年代末から日本が導入を計画してきた黒鉛炉がアメリカ製軽水炉に変わる。黒鉛炉はマンハッタン計画で原爆製造に使用された型
1964年 中国が核実験に成功
1968年 「核拡散防止条約」発効(米英仏中ソの核兵器独占)
1969年 「わが国の外交政策大綱」(外務省)
日本最初の商業用原子炉東海原発、運転開始
1974年 インドが核実験に成功
1982年 新日米原子力協定(レーガン政権下で日本に対するプルトニウム規制緩和)
1984年 核燃料サイクル基地建設構想
1992年 六カ所村ウラン濃縮工場運転開始
1993年 再処理工場着工
2006年 六カ所村で世界最大級の再処理工場試験運転
事故発生後
「私の哲学では、火でも蒸気でも石炭でも、人類は革新的技術を手に入れるたび、痛ましい事故に見舞われた。それでも我々は克服して前進してきた。福島の悲劇もその例外ではない」朝日新聞の記者インタビューでのNRC(米国原子力規制委員会)委員長の発言


※1938年の項をのぞいて、山本義隆『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)の本文の記述をもとに、年表形式で編集、再構成した。三章 は含まれていない。


(続く)


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