「災後」という言葉について | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

2011年の3月11日は金曜日だった(ほんとにそうか?)。


大揺れに揺れる部屋でパソコンに向かったまま動けなかった。


棚が傾ぎ、本が飛び出し、物が振り落とされていく部屋の、


自分の姿を含む、記憶に蘇る映像のほうが怖い。


不思議なことに当日感じた以上にゾッとしてしまうのだ。


大きなビルの高層階ほどではないにしても、5階にある仕事場の震度はひょっとすると6以上に迫っていたのではないかと思う。


一年前というのが、いかに「過去」とほど遠いかということを今回ほど感じさせられたことはない。まるで時間が止まってしまったようだ。


一年が経ってNHKでも「災後」という言葉を使い始めた。ニュースウォッチ9がこの語を冠したコーナーを始めたが、災害は「まだ終わっていないのに」不快だ、という声を寄せた人がいたらしい。


しかし、「災後」は災害の終焉など意味しない。


「戦後は終わった」という言い回しがあるように、「災後」は一定の期間あり続ける、継続する概念だ。


「収束」とはまるで違う。原発事故を含めれば、この「災後」は下手をすると数万年経っても終わらない。


ついでに言えば、「戦後」も、まだ終わってはいない。



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「災後」に読む和辻哲郎