その根が、「われわれ自身である」から、ということが最近多くなって来た。
先日亡くなった小松左京さんは、ふとっちょで大柄、どちらかというと外見はほがらか、人を安心させるような風情があった。
だが、いまその作品を眺め直してみると「自己否定」的なアイデアがもとになったものが多いと気付く。
自己矛盾をエンターテイメントで救おうとしたのかも知れない。いや、おそらく最後にはエンタメにしてしまうか、笑いのめしてしまうしかない。そういうものを確かにわれわれはもともと抱え込んでいる。
左京氏の訃報に接して、評論家の石井喬さんは、3月11日以降の事態を踏まえ、「こういう時代に立ち至らせてしまったのは、自分たち世代の責任なのではないか、という想いが氏の老衰を速めて行ったのかも知れない」と述べた。
あながち外れてはいないように思う。
あらためて氏の冥福をお祈りするとともに、作品を起動させたその真実の力をいささかなりとも、引き継げるよう努力をしてみたいと思う。
合掌。
PS.
そういういえば、アラブの国々はラマダーンの月に入った。