「首相のパワーにはオーソリティ(権威)の一片も感じられない。」 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

新聞に期待するものは、昨日記事にも書いたとおり 何もないが、社外からの寄稿には、ときどきじっくり読ませられることがある。


表題は、8月3日の毎日新聞朝刊に掲載された西部邁氏の「菅首相が居座り続けますが・・・・政治ゲームの純粋型とも」からの一部引用。


「いいにくいことだが、そういうみすぼらしい表情と物言いをしておられる」と続く。


で、これは菅に限ったことではなく、「戦後の66年間、特に平成の23年間、主として民主主義の名において、権威という文化的要素が破壊された」


その無残な典型だと。


そのとおりだろう。ただ、こういうことがまっすぐ見えるのは、どうもかなり年季の入った人々に限られるようでもある。


近いのは京大の佐伯啓思氏。1949年生まれ。


西部邁さんのことを知ったのは、『有閑階級の理論』で知られる異端の経済学者ヴェブレンについてたしか中央公論にのった記事を読んだのが最初だった。80年代だった思うので、現在の西部氏の真正保守主義の気魄をとくに感じることもなかった。


どちらかと言えば「進歩」的な印象だったかもしれない。いまやこの言葉「進歩的」なんてのは、こっぱずかしくて使えない。というか死語、ゾンビだ。


無残の典型は団塊世代で60歳代前半。西部氏らは60年代安保の世代だから、70歳を超える。


編集機関も早く年を取って老人Zになりたいものだと最近しきりに思っている。