電力の安定供給と供給範囲、もしくは電力とディアスポーラとノマドな電気 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

しかしなあ、スキタイや匈奴が疾駆していた大草原はもうないだろうし、それこそモンゴルに核廃棄物処分場を作ろうなんて話が進んだりしている時代。


いきなり展開の腰を折るような枕になった。最近自分でボケてツッこむことが増えている。


それでも国という単位(観念)を少し伸縮自在にしてみれば、エネルギーの需要供給の問題、特に安定供給の問題も、そりゃ風とか太陽光とかでまかなえるかもしれん。ただし、


その場合はしかし国というより部族とか族、トライブの単位になるんじゃないか。総人口11人から30人程度。数百人、千人くらいはいけるかもだが。


加えてノマドとゆったって、それこそ牧歌的に牧畜だけをやりながら移動してたわけじゃない。強力な戦闘力を持っていた。兵器を携え軍事力を鍛えていた。これを忘れてはいけない。


もしくはポータブルで強力な知恵と知財だ。かつてのユダヤのように離散(ディアスポーラ)する場合は、渡り歩く先々の電力事情に合わせて、ということになる。ジプシー、放浪の民ね。


というわけで「ノマドな遊動する国家」というものを想像できるだろうか? ツーリストを超えてだ。


バックパッカーは自己完結型エネルギー源を持たない。行く先々でプラグインせざるを得ない。文革の直後あたりから中国には「電盗」というのがいたが。B級SF『JM』―エンジンは大好きだが―にも、ローテックの電盗にちかい自家発電システムが登場するが、まあサイバーパンクSFだ。


せいぜいがエネルギーの地産・地消だろうか。地域自治体の意味は、いずれ政府よりも大きくなっていく。これだけは、はっきりしているはずだが。


ついでに言っておくと、エネルギー安定供給と「月給」は生活の安全保障意識のようなものとして根がガッチリつながっているはずだ。


毎月一定の給金が安定的に支払われる仕組みの歴史はたった100年しかないのだが。


江戸の熊八はもちろんだが、今日でもたとえば漁業の「漁」には月給制以前の文化が残る。


編集機関が他人事ではないと思ったあのマグロの一本釣りの漁師さんらは、「月給」ではない。有休もない(→記事「マグロに選んでもらうため、貫く流儀がある。」http://ameblo.jp/editorial-engine/entry-10793791908.html )。月100万の維持費をかけているが、時化のときは漁に出れない。


有給休暇はない。漁に出ても一本も獲れなければその月の収入はゼロだ。


収入は安定、ではない。

だから税制上も「変動税」が適用される。


スーツを着て、安定的な電力供給に支えられた椅子に座って自然エネルギーを「絶賛」している諸君、サラリー不安定供給を覚悟の上で言っているのか?


それよりも「雇用」自体ガタガタなのは、3.11以前からの話。

お忘れではないでしょうね?


だから問題は二択ではなく、火力など含むベストミックスのシナリオの議論を尽くすことにある。


セイので、サラリーの安定供給を求める意識、暮らしに向かう気持ちをガラガラポンして変えてしまうことが可能なのか?


そういう重い課題をはらんだエネルギー問題が、テレビ放送局のスタジオや、あの国会議事堂で論じられているということが、すでにして大いにちぐはぐな感じもしてくるわけで。


お気軽ウケ狙いしかアタマにないカンとかゆーアタマの悪さ抜群の御仁など、論外である。